Musik


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2003/09/01


アルペジオーネ・ソナタを聴く(4)〜シャフラン編


シューベルト/Schubert
アルペジオーネ・ソナタ イ短調/Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
フランク/Frank
チェロ・ソナタ イ長調/Cello Sonata in A major (originally : violin sonata)
ドビュッシー/Debussy
チェロ・ソナタ /Cello Sonata




ダニィール(ダニエル)・シャフラン/Daniil Shafran (cello)
フェリックス・ゴットリーブ/Felix Gottlieb (piano / Schubert)
アントン・ギンスブルク/Anton Ginsburg (piano / Frank & Debussy)
1978 (Schubert) / 1970 (Frank & Debussy) (studio)/STEREO
Aulos Classics/AMC2-017(韓・輸入盤=原盤:蘇・メロディア)


【満足度】●●●◎○(Schubert & Frank)/●●●●○(Debussy)

シャフランという演奏家を、恥ずかしながら、私はつい数日前まで知らなかった。本当に何ヶ月ぶりかだろうか、渋谷のタワーレコードに立ち寄った。歴史的演奏のコーナーにこのCDを含めてシャフランのCDが3枚試聴機に入っていた。3枚しか入らない試聴機に、どうして同じ演奏家の演奏を入れているのだ?という疑問を持ちつつ、久しぶりにチェロもよいかと思い聴いてみた。1枚目はバッハの無伴奏チェロソナタだった。・・・がーん。おい、これ、これ、いいよ。今まで何枚もバッハの無伴奏を買ってきたが一聴して自分の求めていた演奏だ!とわかった。試聴機を耳から離して現実に戻る自分。そうは言っても無伴奏は何枚も持ってるだろう、すごい好きっていうわけでもないだろう、2枚組みなんだから高いだろう、試聴機で聴いて感激して買って帰って後悔したこと何度もあるだろう、今月金欠だろう、いくつもの購入を控えろという命令が自分の頭に・・・(苦笑)。続けてベートーヴェンのチェロ・ソナタ、シューベルトのアルペジオーネ・ソナタを試聴した。どれもいい。結局、自制が効いて1枚モノのアルペジオーネ・ソナタだけを買って帰ってきた。

家に帰って早速この「アルペジオーネ・ソナタ」を聴いてみた。まず、導入の部分だが、ピアノの落ち着いた音色と、華美にならないチェロの音色が理想的である。ただ、後半になるに従ってアップテンポ気味になる部分が多く、これはこの曲のイメージにそぐわず、ちょっと残念だ。続く第2楽章もただ落ち着いた音楽というわけではなく、チェロの個性ともいえる少し鼻にかかったような音色が魅力的だ。これは好き嫌いがあるのかもしれないが。第3楽章はやや盛り上がりにかける部分が気になるが、全体的にはすばらしい。

全体を通してチェロとピアノの音色やバランスはベストに近い。ただ、第一楽章のテンポ設定が私のイメージするところとずれがあり、違和感を感じた。気になる音質のほうだが、原盤メロディアということで不安があったのだがノイズカット等を行っ手入るらしく、聴きやすく仕上がっている。原音に忠実かという点はわからないが、一部音に歪みがある点以外、私としては満足に聴くことができた。併録されているフランクとドビュッシーだが、特にドビュッシーがエキゾチックでしっとりした音色で秀演だと思う。 フランクはヴァイオリン・ソナタのチェロ編曲版だがこの曲自体チェロ向けなのではないか、と思わせるような演奏。落ち着いた、雨ふる午後にしずくの音を聴きながら、ゆったりと過ごしたくなるような演奏だ。でも、やっぱりイメージとテンポが違う部分がある気がするのは個人的なものなんだろうな。





アルペジオーネ・ソナタを聴く(5)〜ペレーニ編


シューベルト/Schubert
アルペジオーネ・ソナタ イ短調/Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
ピアノ三重奏曲 変ロ長調/Piano Trio in B flat major, D.898 op.99
ピアノ三重奏曲 変ホ長調/Piano Trio Movement in E flat major, D.897 op.148 "Notturno"
ピアノ三重奏曲 変ホ長調/Piano Trio in E flat major, D.929 op.100




ミクローシュ・ペレーニ/Miklos Perenyi (cello)
アンドラーシュ・シフ/Andras Shiff (piano)
塩川 悠子/Yuko Shiokawa (violin / Trio)
1995/9 / Neue Konzerthalle Mondsee (studio)/STEREO
TELDEC/0630-13151-2(2CD)(独・輸入盤)


【満足度】●●●●●

ペレーニは1948年、ハンガリー生まれのチェリスト。日本での一般の知名度はイマイチだが、演奏家筋や通の聴き手には極めて評価が高い。録音もあまり多くなく、入手も困難、とまではいかないものの決して手にいれやすいとは言えない。このCDもあまり店では見かけないし、見かけるとしても「ピアノ三重奏曲」の方に分類されて、「アルペジオーネ・ソナタ」の棚にはなかったりする。私もようやく見つけた時は飛び上がって喜んだ。ただ、2枚組みフルプライスで5,000円前後もするので、買うのに勇気も要ったが。

さて、演奏の方。とにかく透明感が高く、濁りのない音色である。チェロという楽器は弦の擦れる音がゴリッとした感じに響き、それがよいところだと私は思うのだが、そういうのがない。こういう演奏ができるのは、技術的に相当高いものがあるのだろう。第1楽章からさらさらと流れるように、音色としてはうっとりするような演奏だ。技術的な問題はおそらく皆無、きりりとしまって贅肉(あるいは飾り)がないので、集中してこの音楽に直視対面して聴くと極めて疲れる。だからといって流し聴きをすると水のような演奏なので気がつくと終わっている。なんとも私にとっては付き合い方の難しい演奏のようだ。さらにピアノも伴奏ながら同種の傾向を持っている演奏だからなおさらだ。第2楽章はこの演奏のなかでも白眉だろう。冒頭から「これがチェロの音色なのか?」と思わせる(もちろんアルペジオーネのゴツゴツした音色でもない)。高貴で気品高い音楽だ。自分以外、あるいは自分さえもいない、果たしてこの世なのかもわからないこの音楽以外の音のない場所に連れて行かれ、帰って来れないような気にさせる。第3楽章に入っても第1楽章からの信念は揺るがない。他の演奏で盛り上がる部分でも、禁欲的ともいえるような穏やかさで音楽が濁るのを避けている。それでいて音楽が停滞しないのはペレーニのなせる技か。

全体を通して極上の大吟醸のような演奏だ。水のような、しかし甘口でないきりっとした飲み心地がある。水のようだが酒であるという自己を失っていないような。ただ、私としてはこの演奏は普段聴きの音楽にはなり得ない。チェロの人間味溢れる音色、そしてアルペジオーネ・ソナタという曲の渋みのある曲調という親しむべき姿がそこには姿を潜めてしまっているからだ。それは、酒呑みに言わせるところの酒が酒たるくどさがない、下戸に言わせるところの酒を飲んでいる気にさせないにもかかわらずしっかり酔ってしまっている、という非の打ち所のないよい酒を飲んだ時の憎まれ口のようなものにすぎないのかもしれないが。この種の酒は人生の一世一代の大舞台で登場すべき酒であって、一生でも一度出てくるかどうかというものだ。毎日晩酌できるような酒ではない。

こういう演奏は普段聴きという意味では同じシューベルトでもピアノ三重奏曲や、ピアノ五重奏曲のような室内楽にあっているのではないかと思う。続けて聴くピアノ三重奏曲の存在感の強さ。D.898でこそこういう演奏がよい。逆を言えばアルペジオーネ・ソナタのあとにこの存在感あるピアノ三重奏曲を持ってくることによってアルペジオーネ・ソナタがさらに際立ってくるという見方もあるだろう。

にもかかわらずこの演奏には満点をつけたい。それは、実際この演奏を聴いてみればわかるのではないかと思う。私の好みではないのだが、確かに才色兼備の演奏なのだ。





アルペジオーネ・ソナタを聴く(6)〜トルトゥリエ(1959年録音)編


シューベルト/Schubert
アルペジオーネ・ソナタ イ短調/Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
フォーレ/Faure
チェロ・ソナタ 第1番 ニ短調/Cello Sonata No.1 in A minor, op.109
マスネ/Massenet : エレジー/Elegie ,op.24
フォーレ/Faure : 夢のあとに/Apres un reve ,op.7-1
ショパン/Chopin : 前奏曲 ホ短調/Prelude in E minor ,op.28-4
パガニーニ/Paganini : 常動曲/Moto Perpetuo ,op.11
グラナドス/Granados : 歌劇「ゴエスカス」より 間奏曲/Intermezzo from "Goyescas"
ラヴェル/Ravel : ハバネラ形式の小品/Piece en forma de habanera
ドヴォルザーク/Dvorak : ロンド ト短調/Rondo in G minor ,op94



ポール・トルトゥリエ/Paul Tortelier (cello)
ロバート・ワイズ/Robert Weiz (piano / Schubert)
エリック・ハイドシェック/Eric Heidsieck (piano / Faure(op.109) & Massenet)
岩崎 淑/Shuku Iwasaki (piano)
1959/2/16-18 (Schubert) / 1974/01/21,04/22,06/28, Salle Wagram, Paris (Faure(op.109) & Massenet) / 1972/01 (studio)/STEREO
EMI CLASSICS/TOCE-55250(国内盤)


【満足度】●●●○○

トルトゥリエというチェリストも、長い間聴くことなく過ごしてきてしまった。先日、とあるCDショップでこのCDが試聴機で聴けたので、早速試してみると「おお、これは」と感動したので思わず買ってしまったもの。

家に帰り、シャフランを聴いたあとに聴いてみるとチェロの音程がやや高いように感じる。そのせいか、軽快で聴きやすい音楽になっている。初めて聴いた時にはなかなかいい演奏のように感じたのだが、シャフランのあとだと音程的に耳がなじめず、感想がうまく書けない。しかしながら、明るめの音と軽快な演奏にもかかわらず演奏に希薄さを感じさせない。・・・うまく書けないな、と思ってもう一度聴いてみることに。そうすると耳が慣れたのか、初めて聴いた時のように聴こえる。やはり自分は絶対音感がなく相対音感に頼っているのだと実感してしまう。だが、それにしても高音がどうもきつめ。その点を除けば非常に聴きやすい名演。けど、耳に高音がどうも残るので「その点」を除くことができない。そこで今度はCDウォークマンで聴いてみる。高音は気になるが、かなり最初に聴いた時の感動に近い。ずいぶん扱いに困る演奏(あるいはCD?)だ。

2ヶ月以上あとに、再度聴いて見た。おそらく、この演奏は高音の音程の取り方がやや甘いのではないだろうか、と思う。しかし、当初聴いた時と比べるとあまり気にならなくなった。曲の流れは速すきず遅すぎずで流れるようでぎくしゃくしたところがない。他の演奏も含めてだが、トルトゥリエの演奏は自分の理想とするところと近いと思う(音程を除けば(^^ゞ)。

(2003/11/16 再試聴)







アルペジオーネ・ソナタを聴く(7)〜トルトゥリエ(1981年録音)編


シューベルト/Schubert
アルペジオーネ・ソナタ イ短調/Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
ベートーヴェン/Beethoven
チェロ・ソナタ 第3番 イ長調/Cello Sonata No.3 in A major, op.69




ポール・トルトゥリエ/Paul Tortelier (cello)
マリア・ドゥ・ラ・ポウ/Maria de la Pau (piano)
1981/3/16-17, Abbey Road Studios, London (studio)/STEREO
Seraphim(EMI)/TOCE-7126(国内盤)


【満足度】●●●●○

1959年盤を聴いて、いい演奏だっただけに、音程の点で納得がいかず、煮え切らないものがあった。しかし先日ネットオークションを眺めていると、伴奏ピアニストが違う盤が出品されていた。1981年に録音した新盤のようだ。CD店でも見たことがないので「これは手に入れねば。もしや希少盤で値が釣りあがるのでは?」と思ったものの、出品開始価格のままで自分以外に応札がなかった。別に貴重でもないのかな?送られてくるや否や、早速聴いてみることにした。

この録音は音程も1959年盤のようなことはなく、安心して聴くことができた。トルトゥリエのチェロの音色はこの録音でも明るく、その個性が際立っている。それよりも驚くべきはその技巧だ。1981年と言えばトルトゥリエは60代後半、1959年では40台半ばだったことを考えれば、技術的には衰えがみえてもおかしくない。特にチェロという楽器は全身で弾くので体力が必要なのだが、技巧的に旧録音よりもこちらの方が上だ。旧録音以上にその演奏は流麗で生き生きとしている。音程面、技巧面でもこちらの新録音をオススメする。ただし、トルトゥリエ独特の明るい音色が苦手という向きには必ずしもぴったり来るとは限らないのでその点はご了承を。ちなみに併録のベートーヴェンも名演。これも1971年の旧録よりいいので弱ってしまう。

(2003/11/16 試聴)






2003/06/23


精緻なのにロマンティックなブロンフマンのラフマニノフ


ラフマニノフ/Rachmaninov
ピアノ協奏曲第2番 ハ短調/Piano Concerto No.2 in C minor Op.18
ピアノ協奏曲第3番 ニ短調/Piano Concerto No.3 in D minor Op.30




ヤーフェム(イェフェム)・ブロンフマン/Yefem Bronfman (piano)
エサ=ペッカ・サロネン指揮/Esa-Pekka Salonen (cond.)
フィルハーモニア管弦楽団/Philharmonia O.
1990/10/5-8 / Abbey Road Studios, Stadio 1, London(studio)/STEREO
SONY CLASSICAL/SBK 89734(米・輸入盤)


【満足度】●●●●●(Op.18)/●●●●○(Op.30)

ラフマニノフのピアノ協奏曲には特別な思い入れがある。私がまだ学生だった頃、バイト先のある女の子がクラシックを聴くというので、どんなのを聴いてみるかたずねてみたのだ。「ええ、ラフマニノフ。ラフマニノフの協奏曲とか。いいですよ。」私はまだそんなにクラシックを聴いていなかったので、数日後、その曲を聴こうと四条の十字屋を訪れた。が、ラフマニノフは協奏曲を4曲もかいていた。しかも、演奏家も多く、どれを買っていいのやら。結局財布と相談し、コチシュの全集+パガニーニの主題による狂詩曲、2枚組2,400円を買った。とりあえず全部聴いてみた。どの曲もよかったが、3番がとりわけ気にいった。次に彼女に会ったとき、「うん、よかったよ。3番が特によかった。」と話すと、「え?3番?私2番しか聴いたことありませんよ。」・・・なんか、女の子と話せて嬉しかった反面、番号が合致しなかったのが、少しさみしく、何か残るものがあった。彼女はカセットテープに入れたラフマニノフの2番の協奏曲をくれた。キーシンの演奏だった。コチシュの演奏がただただ早く、疾風のように駆け抜けてしまうのに比べ、同じく若手でもキーシンの演奏はじっくりと陰鬱に弾いていて、印象的だった。

それからというもの、ラフマニノフの2番と3番の協奏曲をことあるごとに違う演奏で聴くようになった。2番もいい曲だと思ったが、最初の印象で3番が気に入っていたし、女の子の件で「やっぱり君と同じ2番が好きだよ」と折れるのがなんだか悔しかったのもあって(苦笑)3番を最初はよく聴き比べた。最初はこの難曲を完璧に弾きこなす、きっちりした演奏を求めた。そんな希望に一番近かったのがアシュケナージがハイティンク指揮で弾いた演奏。この演奏を何度も何度も繰り返し聴いた。しかし、ある日、ぴたっとこの演奏を聴く気がしなくなった。要は技能的には完璧なのだが、色気がないからのようなのだ。最近は指揮活動の方が盛んなアシュケナージなのだが、イマイチ盛り上がりに欠け、きっちりとした演奏なのだが色気がないのは指揮もピアノも同じように感じる。で、次に聴くようになったのがアルゲリッチがシャイー指揮で弾いた演奏。アシュケナージのような単調な演奏と違い、力強さがあって、激情的だ。しかし、これも聴き続けているうちに疲れた。で、ホロヴィッツがオーマンディ指揮で1978年に弾いたカーネギーホールライヴを聴くようになった。これが3年目くらいのことだったろうか。ミスタッチが目立つものの、ロマンティックで優しい演奏。ちょっと録音が小さめなのが 残念。リマスターされて買い換えたらなんか単調な演奏に聴こえるリマスターであまり聴く気がしなくなってしまったが。それからはチェルカスキーのじっくり、優雅に弾く演奏(これもミスタッチだらけだけど、そんなことさえ許せるほどロマンチックな演奏)とワイルドの早めの演奏(ロマンチックだけど、録音が曇っているのが残念)を聴くようになって今に至っている。

今回初めて聴いたブロンフマンの演奏の紹介。ブロンフマンは中央アジアのタシケント生まれ、今年で45歳になるピアニストだ。CDになっている演奏も少なめでプロコフィエフやバルトークといった通好みなレパートリーなので知名度はイマイチ。私もこのラフマニノフが初めてだ。まず協奏曲第2番。聴きだして最初に感じたのは、精緻な演奏ということ。繊細という言葉とは違い、ミスタッチがない。このこと自体はアシュケナージも同じでそれほど大きな驚きはないのだが、精緻なのにもかかわらず、ロマンチックな音色のタッチをわきまえているということが驚き。テンポの取り方も若手にありがちな、技能に走って速くなってしまうこともなく、緩急が適当で軽さというものを感じさせない。伴奏のサロネンも澄んだ明晰な音楽をすることで有名だが、この演奏でも濁った部分など皆無でブロンフマンのピアノの伴奏にこの人ありと言えるほどの指揮で二人はマッチしている。この二人が競演すると緩徐な部分のロマンティックさが際立つのはもちろんだが、クライマックスの強奏部分でも演奏が透けて見えるような透明感がある。このことはラフマニノフ演奏にとっては重要で、強奏部でオケがグチャグチャになると、もともと情報量・ロマンティズム過多の傾向があるこの作曲家の曲はおなかいっぱいなのに京料理を器から溢れんばかりでてんこ盛りにしたような状態になってしまい、一度聴くのはいいけど、それ以上はちょっと・・・という事態になりかねない。やはり京料理は器の真ん中に、ちょこんと乗っているのが見目麗しいのだ。2番について言えば、ラフマニノフのピアノ協奏曲の理想的な演奏と言ってよいと思う。

3番も同じ傾向で演奏しているのだが、ブロンフマンの演奏だけをとって言えば、2番の方が好きだ。3番は精緻さよりもより高度なロマンティズムが求められるのかもしれない。ミスタッチだらけとしても、チェルカスキーのラストレコーディングの粋なかっこよさにはかなわないように感じた。とはいえ、ブロンフマンも健闘している。





2003/04/30


陽気なメキシカン・バティスのシューマン


シューマン/Schumann
交響曲第2番 ハ長調/Symphony No.2 in C major Op.61




エンリケ・バティス指揮/Enrique Batiz (cond.)
メキシコ国立交響楽団/Mexico states SO.
1998/09 / Sala Felipe Villanueva, Toluca, Mexico(studio)/STEREO
LUZAM / 17/18(墨・輸入盤)


【満足度】●●●●○

シューマンの曲は構成感がないと言われ、それが彼が精神病だったからだからとか言われることがあるが、私には構成感が特に欠如しているとも思えないし、専門的に見てたとえそうだったとしてもそれが精神病と関係しているとも思えない。それどころか、シューマンのメロディの精彩感は数多くいる作曲家のなかでもトップクラスではないかと思う。

こんな風にシューマンをひいき目に書くのは、初めて交響曲のCDを買ったのがシューマンの交響曲第2番だったからである。ヘレヴェッヘ指揮のパリ・シャンゼリゼ管の演奏で、同じくシューマンのピアノ協奏曲目当てで買ったらカップリングされていた、という程度のことだった。今思えば演奏自体はずいぶん窮屈なものだったのだが、この曲の魅力は十分わかった。今まで聴いていなかった交響曲というジャンルも魅力的だと感じ、これがきっかけとなってブラームス、ベートーヴェンと多くの作曲家の交響曲を聴くようになっていく。それとともに、シューマンの交響曲第2番という曲にも妙な愛着が沸き、ことあるごとに聴き比べてしまっている。熱烈なセルのライヴ盤、シャープな同じくセルのスタジオ盤、オーソドックスな名演のサヴァリッシュ盤、厚みを感じるスゥイトナー盤など、どの演奏にも新しい発見があった。「2度と振らない」と言ったカラヤン盤やバーンスタイン盤、ショルティ盤など、まだ未聴のものも多いのだが。

だが、この曲は難しい。何度も聴いて思うようになったのは、おそらくは緩徐楽章である第3楽章がこの曲の出来を左右しているのではないか、ということだ。熱演や激情的な演奏は、アダージョがくどい。Syuzo's HomepageのSyuzoさんに私がこの曲が好きだと話した時、「第3楽章、あれか」とまったりとした濃厚な歌いっぷりでやってくれたが、いささかくどい(Syuzoさんが、じゃなくてメロディ的に、ね(笑))。じゃあ、くどくならないように、さっぱりした演奏にするとどうなるか。これが、どうしようもない。さっぱり、というより、印象に残らないのだ。くどいのとさっぱりの中間はないのか、というと、おそらくあるんだろうけど、お目にかかることはほとんどない。私のなかで、最上のアダージョは、この曲の生演奏を接した唯一のとき、ジェームス・デプリーストが大阪フィルに客演した時のものだ。熱演だったが、アダージョはくどくなく、それでいて深さがあった。生演奏なので、CDとかはない。しかし、あの時はこの曲にどっぷりつかっていたし、もう5年以上も前のこと、今では記憶でしか再生できないので、かなり婉曲されている可能性もあるし、どっちにしろ、同じ演奏を2度と聴くことはおそらく不可能に近い。まあ、それがいいのだが。

これぞ、という演奏がないな、と思う。バティスのシューマンの交響曲全集が出ると知った時、聴きたいと思った。しかし、それは自分の求めている交響曲第2番が見つかるかもしれない、という気持ちからではなく、熱演指揮者バティスの新しい演奏が聴ける!という好奇心からだった。"Las Cuatro Sinfonias"…クアトロって、なんか宅配ピザ屋のメニューみたいだ。ライナーカードにはスペイン語しかなく、交響曲第1番の『春』なんて、"Primavera"と書かれていて、本当にドイツの作曲家の曲なのか不安になってくる。そもそも、バティスという指揮者が(一部の人々から)注目されているのは、どんな曲でもラテンばりのあっけらかんとした演奏をするからで、私も、ベートーヴェンの第九など聴き、そういう印象は持っていた。今回のシューマンの交響曲第2番も、解放的な雰囲気で始まる。ラテン的?な開放感と情熱からか、第1楽章から強烈な推進力がある、のだが、ところどころでテンポの取り方が独特だ。さて、注目の第3楽章のアダージョだが、これがなかなかの逸品。バティスが演奏してさっぱりということはありえないが、明るさのおかげか、くどさというものが感じられない。シューマンの色彩感とメキシコの色彩感というミスマッチが見たこともない美しい色彩の花を咲かせたかのようだ。そして圧巻は終楽章の後半からコーダにかけて。流すようなテンポを取る演奏が多いなか、なぜか足を踏みしめるようなじわじわとした演奏。これが意外にいい効果を生んでいる。従来の演奏だと軽い終結部になってしまうのだが、こう演奏するとなんだか骨太で、シューマンというよりベートーヴェン的。だけどそれが逆に新鮮でステキ。

正直言ってバティスのシューマンがこれほどとは思わなかった。で、第2番以外は?すみません、他の番号は流し聴きしかしてません。全曲聴いても第2番が最高と思うのは、俺だけか???





2003/02/12


カーゾンの変ロ長調ソナタ 2題


シューベルト/Schubert
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調/Piano Sonata No.21 in B-flat major D.960
即興曲 変イ長調/Impromptu in A-flat major D.935(Op.142) No.2
楽興の時/Moments Musicaux D.780(Op.94)*




サー・クリフォード・カーゾン/Sir Clifford Curzon (piano)
1970/09,1964/06* /Maltings, Snape & Sofiensaal, Vienna* (studio)/STEREO
LONDON / POCL-9988(国内盤)


【満足度】●●●●●

前回、シューベルト最後のピアノソナタ第21番(変ロ長調ソナタ)を紹介したが、今回は同曲をカーゾンが演奏したCDを取り上げてみたい。以前、このピアニストをシューマンとシューベルトのピアノ曲で取りあげたことがあったが、私がカーゾンというピアニストを知ったのはこのCDの方が先であった。 前回紹介したジェレス盤でこの曲に心酔してしまった私が十字屋(JEUGIA)四条店に立ち寄ってみると、「名盤1200」という国内盤のシリーズが売り出されており、そのなかにこのCDもあった。カーゾンというピアニストは聴いたこともなければ聞いたこともなかったが、何と言っても税込みでも1200円という安さに釣られて何の気なしに買ってみた。さて、家に帰ってみてこのCDをプレーヤーにかけ、流れてきた音色にびっくりである。このソナタに出会ったジェレス盤を聴いたときもショックだったが、今度はカーゾンのピアノに驚かされた。それまではアルゲリッチのような力強いタッチの演奏を是としていたので、カーゾンの繊細でガラスのピアノを弾いているようなタッチの演奏を初めて聴き、「ピアノってこんな音が出るんだ」と感じるとともに、シューベルトのこの最後のソナタがジェレスとは違った意味で私の心に染み入ってくるのがわかった。

第1楽章は導入の部分から極めて自然である。気がつくと始まっていた、そんな表現ができる。演奏によどむところがなく、ずっと前から演奏していて、ずっと続きそうな、シューベルトの永遠性を物語るような楽章、そしてその情景を壊すことがないカーゾンのピアノだ。おそらく、この楽章は主題からして繊細さが求められているのだ。展開の部分でもそのことはいえる。力強さも求められるが、それはメインではない。繊細さを強調するための引き立て役のような気すらする。じっと集中して聴くと、カーゾンが口のなかでメロディーを口ずさんでいる箇所がある。もちろんヘッドフォンをつけて聴かなければ気づかないほどなので鑑賞に支障はないと思う。この曲の流れをこの部分はこう、あの部分はこう、というように確固たる信念を持ってイメージして演奏しているのだろう。こういった信念のもと、これだけ陶酔して集中して演奏されるだけに、このような演奏が生まれるのかもしれない。第2楽章は暗く、極めて弱音で導入されるが、展開されていくと、しっかりとした力強い演奏となる。ここでのピアノは単に繊細なだけではない、芯を持ったひとつの方向性を持った演奏のように感じられる。第3楽章は今までのメランコリックな色彩からはまた一風違った、軽快なワルツとか舞踏のための音楽をイメージさせる楽章である。この楽章のようなきらきらと跳ねるような、舞うような音楽にはカーゾンの真骨頂が発揮される。他のピアニストではこのようなピアノは出ないように思う。最後の第4楽章は多くの演奏家は単調な導入になり、やがてダイナミックに弾くという傾向があるような印象を受けるが、カーゾンの場合は前半部から細部にわたり曲を熟知しているのであろう、音の強弱のつけかたに極めて気をつかっている。この点はカーゾンのこの曲の演奏中において、最も注目すべき点であろう。ぜひ、内田盤やブレンデル盤と比較して聴くことをオススメしたい部分だ。カーゾンの演奏には流れ、音の強弱において比類なき研究が行われているように思う。

カップリングされているのはソナタと同じくシューベルトの『即興曲 変イ長調』と『楽興の時』。ブラームスのピアノ・ソナタ第3番とカップリングされている盤(POCL-4513)もあるが、シューベルトのこういった小品と一緒に収められているこちらを推したい(ただ、音質が微妙にPOCL-4513の方がよいようにも思う)。『即興曲 変イ長調』はまったくもって大人の音楽である。シューベルトのピアノの天才ぶりが縦横に発揮された作品だろう。こんな落ち着いたメロディをカーゾンのように落ち着いた音色で弾ければいいな、と思うとともに、こんな演奏はできっこないからピアノなんて弾かないぞ!という気持ちにもさせる。『楽興の時』もすばらしい。第3曲目はNHK第一ラジオの長寿クラシック音楽番組『音楽の泉』(毎週日曜午前8時〜9時)のオープニングで使われておりおなじみの曲だが、あの演奏よりも落ち着いて、悲しい演奏をカーゾンはしているように思う。

このカーゾンのCDが『変ロ長調のソナタ』の2枚目であるのだが、今になっても私のベスト盤はこの演奏である。いきなり2枚目が決定盤であるおかげで、その後これ以上の演奏を見つけようといろいろ買ってはいるのだが、足元にも及ばない演奏がほとんどで、CD蒐集という面では面白味がなくなってしまった(苦笑)。こんな演奏が1,200円で売っているのだからありがたいことである。


シューベルト/Schubert
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調/Piano Sonata No.21 in B-flat major D.960

シューマン/Schumann
幻想曲 ハ長調/Fantasie in C major Op.17




サー・クリフォード・カーゾン/Sir Clifford Curzon (piano)
1974/08/24 /Salzburger Festspielen (live)/STEREO
ORFEO / C401 951 B(独・輸入盤)


【満足度】●●●●○+

カーゾンのシューベルト:ピアノ・ソナタ第21番にはもう1種類CDがある。1974年のザルツブルク音楽祭でのライヴを録音したこのORFEO盤だ。スタジオ録音とスタイルはほぼ同じだが、方向性がより一途になっている演奏だ。ライヴだけに完璧主義者として知られるカーゾンからするとCD化してほしくないようなミスの部分もあるが、それでもここまでスタジオ盤同様の透明感ある繊細な音色を紡ぎだす姿には驚愕である。第1楽章ではミスもあるものの、カーゾンの自然な流れはスタジオ盤に負けず劣らずシューベルト的だ。第2楽章は安定し、その表現に集中しているおかげだろうか、叙情性がその硬質感といいバランスで調和されている。続く第3楽章、第4楽章ともに高音がスタジオ盤と比べると耳につくが、ライヴならではの高揚感があり、終わりに近づくにつれて情熱的に、しかしその根底にはカーゾン独特の穏やかなパッセージを含む名演となっている。もうひとつのカーゾンの姿が見え隠れし、このピアニストの生きていた証ともいえる演奏だろう。

カップリングされているのはシューマンの『幻想曲 ハ長調』。以前1954年の録音を紹介したことがあった。おそらく、このCDに録音されている2曲はスタジオ録音も存在しているし、カーゾンの得意としていた、気に入っていた音楽なのだろう。演奏自体は1954年のスタイルと大差ないが、より洗練されている印象を受ける。録音としての完成度は、シューベルトよりも高いかもしれない。第1楽章から第2楽章にかけては、カーゾンのピアニズムに圧倒されるような力強いものだ。そしてここでもただ力強いのではなく、時折見せる穏やかな弱音部においてピアノの物悲しい表現、その楽譜を音に換えるという変換方法において極めて高度な能力を持つピアニストだったということを物語るような演奏である。続く第3楽章は私がスタジオ盤を聴いた時感動した部分だ。人生の彼岸という表現にはいささか嫌世的なものを感じるのであまり好きな表現ではないのだが、そんな感じか。誰もいない初秋の、懐かしい風景がセピア色で流れていくような。しかし、思い出だけでは終わらないのがこの曲のいいところ、悲観的に懐かしんでいるのではなく、明るい現在、そして将来が見えているような。カーゾンのライヴを聴いてこんな想像をしてしまった。終演後の聴衆の拍手が、圧倒的ではないけれども、聴き終わってゆっくりと余韻を味わってから拍手をしだしたような、拍手が徐々に大きくなる様子もこの演奏をそのまま表しているようで、このライヴを聴く価値があったように感じた。たぶん、このCDはシューベルトよりシューマンの方がよい。数少ないライヴのカーゾン(私の知る限り、ソロものはこの一枚?)を知るには必聴の一枚だと思う。





2003/02/02


シューベルトの『遺作』


シューベルト/Schubert
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調/Piano Sonata No.21 in B-flat major D.960




ディーク・ジェレス/Dirk Joeres (piano)
1985/07 /Deutschlandfunk (studio)/STEREO
Largo / CD 5104(独・輸入盤)


【満足度】●●●●○

「変ロ長調のソナタ」と言えば、この、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番のことだ。シューベルトのピアノソナタのなかで一番の名曲、いや、すべての作曲家のピアノ・ソナタのなかで一番の名曲なのではないか、と私は思う。

私にとって、シューベルトという作曲家は長い間「鬼門」であった。有名作曲家として数えられるにもかかわらず、交響曲を聴いてもいまいち生温かく、好きになれなかった。この曲を聴き始めた頃も、作曲家としては、苦手なほうだった。

この曲に出会ったのはクラシックを聴き初めて2年ほど経った、1997年頃だ。以前も紹介したが、昨年2002年の夏頃に残念ながら倒産してしまった大阪堂島のワルツ堂のセールで買い求めた。確か、最後の投売りで、1枚100円だった。100円でなければ買わなかっただろう。別に欲しくもなかったが、あまりに安いのでCDラックの肥やしになっても構わないと思い買ったのだ。さすがに売れ残りだけあって、当時クラシック暦2年の私には、知らない作曲家の知らない曲ばかりで、いくら安くてもどれを買っていいのかわからなかった。そのなかでは、シューベルトという作曲家は知っていたし、ピアノ・ソナタというのも、どんな曲かはなんとなくわかった。結局、私はこの「変ロ長調のソナタ」のCDと、聞いたこともない作曲家のオルガン・ソナタのCD(すでに売却済み!)を200円出して買ってきた。家に帰り、何気なくプレーヤーにこのCDをのせた。ゆっくりとピアノが流れ出す。思わずブックレットをめくっていた手が止まった。「な、何だこの曲は!この物悲しいような、心をしめつけるような感覚は何なんだ!」それまで音楽を聴いてこういう感覚に陥ったことはなかった。全曲を2回立て続けに聴いてしまった。初めて聴いてすぐに好きになった数少ない曲のひとつであり、それからというもの、この曲には特別な思い入れがある。

この「変ロ長調のソナタ」は『遺作』の別名がある通り、シューベルトが晩年(といっても30歳!)に書いた、最後のピアノ・ソナタである。シューベルトが亡くなったのは1828年だから、ベートーヴェンが亡くなってから2年も経っていない時期なのだが、このピアノ・ソナタはすでにベートーヴェンとは違った一つのスタイルを持っている。そしてこのあと、ブラームスもリストもショパンもピアノ・ソナタを書いているが、このいずれの作曲家もシューベルトのようなピアノ・ソナタは書かなかった。シューベルトにとって最後のソナタだが、シューベルトとしてはこのソナタが最後になるとは思ってはいなかったのだろう。亡くなる直前の1828年11月4日、ブルックナーの師としても知られるゼヒターからフーガのレッスンを受けている。おそらくは、シューベルトはこの「変ロ長調のソナタ」をステップとして、新たな境地を見出そうとしていたのだろう。もしもシューベルトがこのあと、もう少し生きていたのならば、その後のピアノ・ソナタの歴史も大きく変わってきたのかもしれない。しかし、シューベルトは死んだ。それだけに、この「変ロ長調のソナタ」がひときわ輝いて見えるのだろう。

ディーク・ジェレスというピアニストが弾いたこのCDが「変ロ長調ソナタ」を初めて聴いた演奏なのだが、100円で買ったという事実を差し引いても、いい演奏だ。いや、それどころか初めてのCDがこの演奏で幸せだったと思う。このあと、これ以上に気にいった演奏を見つけることになったが(これは後日紹介したい)、今だにそれに次いで気にいっている演奏だ。まず、シューベルトの告別の辞とも言われることがある第1楽章は、情緒的に流されることもないが、無表情でもなく、淡々と弾かれる。提示部の反復を省略していない点も相まって、時に消え入りそうな弱音で奏でられ、いつまでも続きそうな永遠性を感じる。第2楽章は、諦念ともいえる悲しい音色から始まるが、やがて冬の日の昼間を思わせる落ち着いた音楽となる。ここでもジェレスは過度な感情を抑え、それにも関わらず、ピアノはその奥に潜む気持ちをほんの少し表出することによってこの楽章の難しいバランスを最良のものにしている。第3楽章は一転して軽やかに、きらきらと葉の上を跳ねる水滴のような音楽である。続く第4楽章とともに、ジェレスは微妙なテンポとタッチの微妙な強弱をうまくコントロールして、感情ばかりを押し付けない。さらに、この美しい曲の流れをせき止めてしまうようなピアノの弾き方を極力避けているように感じられる。そして、最後は、最後の生命力を一気に、しかし弱い一面を持った音楽があらわれ、名残惜しげもなく終わってしまう。しかし、その終わり方は「最後」ではなく、もうひとつの「出発点」であるような気がしてならない。

その後、私はこの曲の同曲異演盤をいくつも聴いた。多くのピアニストがこの曲を弾いているのだが、ただ鍵盤を鳴らしているような演奏も多く(特に雑誌などで「名盤」とされている内田盤やブレンデル盤には失望した。まあ、感性の違いといえばそれまでだが。)、最初に出会ったジェレス盤が意外にも名盤であることに気づかされた。この無名?なピアニスト、現在はヨーロッパで指揮者として活躍しているらしい。実演に接してみたいのだが、もうピアノを弾くことはないのだろうか。いずれにしても、このCDとのワルツ堂での出会いこそ、一期一会、というのかもしれないと、今になっては思うばかりである。




2003/01/15


【Concert Report】第122回 つくばコンサート
チョン・ミュンフンの『幻想交響曲』と樫本大進のブラコン



ブラームス/Brahms
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調/Violin Concerto in D major Op.77 *

ベルリオーズ/Berlioz
幻想交響曲/Symphonie Fantastique Op.14




チョン・ミュンフン(鄭明勲)指揮/Myung-Whun Chung(cond.),
樫本 大進/Taishin Kashimoto(Violin)*
東京フィルハーモニー交響楽団/Tokyo Philharmonic O.

2003/01/13,15:00-17:40 Nova Hall,Tsukuba,Japan
〜茨城県つくば市、ノバ・ホール


【満足度】★★★★☆−

ベルリオーズの『幻想交響曲』…一度は生、ライヴで聴いてみたいと思っていた曲。演奏会でも比較的取り上げられる曲なのでいくらでもチャンスはありそうなものなのだが、意外にもその機会に恵まれなかった。この幻想交響曲、ベルリオーズが27歳のとき(あれ、自分の今の年齢と同じだ…。やはり天才は違うな)書き上げた出世作。主人公である芸術家の男がある女性に恋し、ストーカーのような状態になり女性を殺し、処刑され、最後に主人公は魔女の宴で葬られる、というストーリーの標題を持つ交響曲なのだが、そのストーリーの狂気性同様、音楽も極めてクレイジーな曲調を持っている。そして交響曲史上初めて「鐘」と「ハープ2台」を使い、効果的演出を施している。作曲されたのは1830年で、ベートーヴェンの没年が1827年だから、第九との作曲年は10年と違わず、そんな時代にここまで独創的かつ破天荒な曲を書くベルリオーズは天才であるか、この交響曲同様狂人であるかのいずれかだろう(そもそも私のような一般の人間にも「すごい」と思わせるのはたいへんなことだ。ノーベル賞の田中耕一氏だってその評価された研究「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」がすごいかどうかは私にはとても理解できないし、彼を雇っていた製作所だってそこまですごいとはわかっていなかったではないか。)。まあ、それは置いといて、地元でもこの『幻想交響曲』が聴け、しかもそれはチョン・ミュンフンの指揮によるものだという情報を手にいれたので、千載一遇のチャンスとチケットの発売日にホールまで行って買ってきたのだ。チョンにはパリ・バスティーユ管のシェフ時代にこの曲の録音がある(DG)。しかし、このCDはかなり上品というか、盛り上がりに欠けているように思う。実演はなかなか熱いとのことなので期待せずにはいられない。

コンサートはまず、日本人若手の注目株・樫本大進の独奏によるブラームスのヴァイオリン協奏曲で始まった。樫本は昨年のNHK大河ドラマ『利家とまつ』の挿入音楽で演奏していたりと売り出し中のようだ。始まってから思ったのだが、やはりブラームスの協奏曲というのは難曲だ。以前ピアノ協奏曲第2番を聴いたときにも感じたのだが、よほど魅力的に弾かないと退屈に感じてしまう。樫本の演奏はその若さゆえか力強いのだが力強さが一辺倒になりがちで曲が平板になってしまい、どうも退屈さを感じさせた。第一楽章のヨアヒムのものを使ったカデンツァは少し荒さが目立っていたが、これも若さゆえか。ブラームスの曲は鄙びた、枯淡な雰囲気であるくらいが味があると思っているのだが、力いっぱいで少し残念。それでもチョンと東京フィルの高サポートもあり終楽章までには圧倒的な推進力で曲を締めくくった。

さて、お待ちかねの『幻想交響曲』だ。第一楽章からチョンの指揮は冴え、オケもそれに応え、きびきびした音色を聴かせてくれる。音が生きていると言えばいいのか、跳ねたような音色で聴いていてもウキウキする。第2楽章の舞踏会のワルツもズンチャッチャズンチャッチャの優雅さのなかに不吉な感じが表現されていたのは作曲者のせいなのか演奏者のせいなのか(ちなみにこの2楽章で2台のハープ登場)。第3楽章では一気に弛緩させ(すぎて)ちょっと眠くなってしまい、ついウトウト(爆)、そんなところで第4楽章では寒々しく低音で始まりつつトランペットの前面に押し出された咆哮で一気に盛り上げていく。そして第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」では鐘の音が「カ〜ン カ〜ン」と鳴り響くにつけ不気味な雰囲気が。もはや演奏会場がどこかキチ○イじみた雰囲気になっている感じを受けるのはこの曲の特異性ゆえか。そしてクライマックスに向け、すべてがフォルティッシモでずんずんと進んで行き、チョンも指揮棒を激しく振り上げ、オケもそれに呼応する。ただでさえ狭いノバ・ホールがズズズン、ズズズンと低く震え熱狂のうちに大音響で曲が締めくくられた。チョン・ミュンフンが「美しく上品だけど盛り上がりに欠ける」というCD上での印象とは違った「美しいけど激しく情熱的」な生演奏をしてくれて満足だった。やっぱりCDだと編集されちゃって幻想のような曲は録音向きじゃないのかもしれない。なお、アンコールはビゼーの『カルメン』より前奏曲で、こちらも同じ未の局ということもあり多いに盛り上がった。チョン氏はその後あっさりと幕から引け、オケのメンバーたちは握手して成功を祝っていたが、あとで調べてみると同じプログラムで今日まで6日間連続で東京×2、宇都宮、鎌倉、名古屋そして最後にこのつくばと演奏してきたらしい。明日・明後日は休みのようだが、まったくお疲れさま。大事な人たちなんだからもう少しゆったりしたスケジュールにしてやれよと思わなくもない。

冒頭で書いた通り、この曲だけは一度はライヴで聴いておきたいと思っていたのだが(他の曲もなるべき生で聴いてみたいが)、実際聴いてみるとこのオドロオドロしさは想像以上に刺激的だった。また、生のコンサートでいくつか発見があった。まず、第3楽章「野辺の風景」でフルートが遠くから聴こえるシーンがあるのだが、ホールで演奏する場合、1人だけフルート奏者が舞台裏に行って演奏し、遠くから聴こえている、という情景をうまく音の遠さで表現していた。これはCDでも若干不鮮明で遠くから聴こえてくるようになっているのだが、コンサートではこんなことをしていたとは!初演当時からこの方法を取っていたのかどうかはわからないが、目からうろこの出来事だった。もうひとつは鐘の音色のこと。CDではどうも目立たない程度の音のものが多い(鐘、チューブラベルに関わらず)のでながら聴きした場合など聴き逃すこともあるのだが、実際のコンサートではずいぶん存在感があって、異様な雰囲気を出すのに効果絶大であった。CDを聴いていたときには「鐘の音は高めより低めの方がよい」などと勝手に思っていたが、多少高めの方がリアルだし、実際私などは心臓に不安感がズキズキきた。こうした意味でもたまには生演奏を楽しむというのは発見や刺激があり行く価値が大きい。以前ネット上で『幻想交響曲』の演奏会ばかり聴きに行っている人のページがあったが、その気持ちがわかるような気がした演奏会だった。それにしても今日は擬態語多いなぁ(笑)。





2002/12/24


シベリウスも推薦?のオーマンディ指揮交響曲第5番


シベリウス/Sibelius

交響曲第5番/Symphony No.5 in E-flat major Op.82
交響詩「伝説(エン・サガ)」/En Saga Op.9
交響詩「タピオラ」/Tapiora Op.112




ユージン・オーマンディ指揮/Eugene Ormandy (cond.)
フィラデルフィア管絃楽団/The Philadelphia O.

1975/11/18(Op.82), 1975/11/10(Op.9), 1976/10/26(Op.112) /Scottish Rite Cathedral, Philadelphia (studio)/STEREO

BMG / BVCC-38123(国内盤)


【満足度】●●●●○

先日、シベリウスの交響曲第5番を聴いて以来、何枚かこの曲を聴いてみた。シベリウスの音楽は一部の評論家先生によると「素朴」で、「無機的」で、「陰鬱で派手でない」のが最上とされるようだ。そのお言葉に従い、先生の薦めるベルグルンドなどのシベリウスを聴くと、実に素朴で地味で抑揚に乏しく退屈である。なぜこのような音楽が推薦されているのか?20世紀音楽だから無機的に演奏すべし、北欧は陰鬱で光り輝くような金管は不釣合いだから抑えて演奏すべし、難しい音楽理論がどうこうだから地味な感じが適切???・・・よくわからない。

さて、今回紹介するオーマンディ盤は非常に普通な、いろいろいじっていない演奏である。意外なことにこういう演奏は少ない。シベリウスは生前、ラジオから流れるオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の「交響曲第2番」を聴いて、感激したというが、これは作曲者自身は無理に素朴にしたり、無機的なテンポを望んだり、わざと陰鬱に演奏してほしいとは思っていないということを示しているのではないだろうか。作曲者が望んだ演奏がベストとは思わないが、評論家のいう演奏で満足できず、ストレートな演奏で満足できるのならば、わざわざ無理して素朴な演奏を聴くこともないだろう。

この演奏を聴いて感じることは、表現すべきところをはっきりと表現し、ぼかしていないことにより、今まで感じていた欲求不満を解消してくれているということである。演奏の細かい部分もきっちり演奏しているし、また、フィラデルフィア管の技術的高さもそこをうやむやにしない強さを持っている。第1楽章からそのことは感じることだが、特に終楽章である第3楽章の冒頭での弦楽器の力強いアンサンブルは特筆すべき点だろう。そしてクライマックスでの金管の程よい響きも素晴らしく、音の一つ一つが明確で生命力を持っている。コロムビア(現SONY)時代に比べて録音がぼやけているというのがRCAの録音の欠点なのだが、この演奏は比較的その欠点が気にかからずオーマンディの音色がストレートに近い形で聴こえてくるのは幸いだった。かつて交響曲第2番の演奏をSONY盤と比較してRCAの録音のぼやけ具合に愕然とし、あっという間に中古屋に売ってしまったことがあっただけに、これは助かった。

併録されているエン・サガとタピオラも同様の傾向で明晰な演奏だ。素朴で無機的、陰鬱な演奏を好む人たちも確実にいるのでそのような方から見ると好みではないのかもしれないが、作曲者の感激したような演奏を好む人たちには最適な演奏ではないかと思う。また、北欧の冷たく厳しい自然というイメージからしても、ぼやけた生ぬるい演奏と比べるとクリアでシャープな演奏が適切のように感じる。また、生演奏と録音とでも感じ方が違うのでそこは難しいところで、どちらにせよ人の好みによるのだが。





2002/12/16


クーベリック渾身の「第九」ライヴ


ベートーヴェン/Beethoven

交響曲第9番/Symphony No.9 in D minor Op.125




ラファエル・クーベリック指揮/Rafael Kubelik (cond.)
バイエルン放送交響楽団・合唱団/Babarian RSO. & Chorus
Helen Donath (S.), Brigitte Fassbaender (A.),
Horst Laubenthal (T.), Hans Sotin (B.)

1982/5/14 /Herkulessaal, Munchen (live)/STEREO

Orfeo / C 207 891 A(独・輸入盤)


【満足度】●●●●○

今年もまたこの季節がやってきた。どうして年末になると猫も杓子も「第九」なのだろう。バレンタインデーのチョコレートのようなもので、音楽業界の人が商業戦略として一大キャンペーンを繰り広げたのか、はたまたNHKあたりが「年の瀬に第九を聴きましょう」と吹聴したのか、どうでもいいが「第九」=年末、という方程式が日本人には刷り込まれている。そもそも、日本では12月以外に「第九」のコンサートをやるという話はほとんど聞かない。だが、海外で演奏された第九のCDのライヴ演奏日を見ると、決してそんなことはない。むしろ12月に演奏されることは少ないという観すらある。今回紹介するクーベリックのライヴ盤も5月に演奏されている。

さて、どうして数ある「第九」の演奏のなかでこの演奏かといえば、いちばん「第九」らしい堂々とした演奏だからである。「第九」らしい、というのも難しい設定だが、まあ、日本人が年末に聴くいわゆる「第九」としてどれがいいかと問われれば、私はこれを選ぶ、という程度の話だ。

まず、第1楽章から、どこか神妙で、それでいて緊張感がある。「むむ、ただならない雰囲気」というのがクーベリックのライヴ盤にはある(例えばHALLOOという海賊レーベルから出ていたマーラーの「復活」。現在はauditeから正規リリースされているはず)が、それだ。その緊張感は第2楽章でも持続されている。年末に連日集金コンサートのような「第九」を演奏するオーケストラではこうはいかないだろう。もちろんそういうのがないと興行的にはマジで成り立たないし、社会的なクラシックの認知度も日本では低いままになってしまうのだけれど。そして、第3楽章では次第に遠く手が届かなくなっていくようなメロディーの美しさ。そのまま終楽章へと昇華していく。今までの神秘的な、どこか危機迫る雰囲気さえあった演奏が一気に開放されて、聴く方の気持ちまで開け放たれていく様だ。その後独唱、合唱が入ってくる部分についても当初の緊張感を維持しつつ、ライヴにありがちな「実演を聴いたら感動するが、録音を聴くと崩壊状態」ということもない。若干フィナーレに迫力が不足している観があり、少し残念。クーベリックのライヴにはBBCから出ているフィルハーモニア管を振ったものあるのでそちらの方も聴いてみたい。

それにしても、どうしてこんな何かに取り憑かれたような演奏ができるのだろうか?やはりクーベリックの実力なのだろうか。初めて年末に「第九」を聴きに行ったのは私が中学生の頃だったと思う。アマチュアの市民交響楽団が年に一度の晴れ舞台で、合唱はもちろん市民有志という典型的な演奏会だったが、とにかく第三楽章まで退屈で、ほとんど寝ていた。その眠気は終楽章でも続き、聴き覚えのある合唱の部分さえも夢うつろだった。それ以来「第九」を聴きに行こうと思ったことはないが、こんな演奏を聴いていたら毎年行こうと思ったかもしれない。少し無理なお願いだが、小さな頃から素人の音楽だけでなく、プロの音楽も聴ける環境がよいのではないかと思ったりしている。





2002/12/02


遥か穏やかに広がるブラームス


ブラームス/Brahms

交響曲第1〜4番/The Four Symphonies (No.1-4)
ヴァイオリン協奏曲/Violin Concerto in D Op.77 *1
悲劇的序曲/Tragic Overture Op.81
アルト・ラプソディ/Alto Rhapsody Op.53 *2
大学祝典序曲/Academic Festival Overture Op.80
ハイドンの主題による変奏曲
/Variations on a Theme by Haydn("St. Anthony Chorale") Op.56

ハンガリー舞曲第1、3、19番/Hungarian Dances No.1,3 & 19




ジェイムズ・ロッホラン指揮/James Loughran (cond.)
ハレ管弦楽団/Halle O.
モーリス・ハッソン/Maurice Hasson (vn.) *1,
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団/London PO. *1
Bernadette Greevy (contralto) *2, Halle Choir *2

1973-75 /The Free Trade Hall, Manchester & Barking Town Hall *1(studio)/STEREO

EMI (Classics for Pleasure) / 5 75753 2(英・輸入盤・4枚組)


【満足度】●●●◎○

驚くべきことに、このページで初めて取り上げる「ブラームス」である。何度か取り上げようかと思った演奏もあったのだが、ブラームスの曲(特に交響曲)は、1度目に聴いたときや、久しぶりに聴いたときは感激するのだが、いざレビューを書こうと思って何度か聴きこもう、としているとあまりに重く暗く、自分が拒絶反応を起こしてしまいレビューを書くに至らなかった。今回紹介するロッホランの交響曲全集は最初の印象はいたって「穏やか」なのだが、BGMがわりに流すことのできた初めてのブラームスの交響曲だった。逆を返せばブラームスらしくない、「つまらない」演奏とも取れるかもしれないが、何度か聴き返すうちにつまらないの一言では片付けられないような気がしたので今回取り上げた。

この全集はイギリスEMIのローカルレーベル"Classics for Pleasure"から出ている。英国の演奏家の演奏を廉価で発売しており、この4枚組のCDも1,880円だった。個人的には落ち着いたデザインが気に入っているレーベルでもある。このレーベル、マッケラスのベートーヴェン全集やタスミン・リトルの弾くヴァイオリン協奏曲など、なんとも個性が光りつつも演奏はたいへん無難(悪い意味ではない。いずれも標準以上の演奏だ。)で、誰にもオススメできるものばかりである(が、ややつまらないのは仕方あるまい)。

このロッホランのブラームスも、そうした傾向は同じで、安心して聴ける。交響曲第1番など、人前で聴くといきなり低い大太鼓の連打で始まり、「おいおい、えらく暗い曲聴くね、この人は」と思われてしまいがちだが、この演奏だったら友人や家族の前で聴いても落ち着いていい響きを出してくれるおかげで「クラシックって穏やかで落ち着くわね」と思わせることができる。真のブラームス通にとってはこんな演奏は許せないのかもしれないが、私のような1度聴けばおなかいっぱいの人にとってはロッホランの落ち着いた何度聴いても飽きのこない演奏はまさしく待ちに待った演奏といえる。敢えて難をいうならば、オケの技術的なものがたまに気になるのだが・・・。しかし、緩徐楽章では究極のヒーリングミュージック(って褒めてないか?)とも言え、現代人の疲れた心に一服の清涼剤をもたらしてくれる。具体的に挙げるならば交響曲第3番の第3楽章の心地よいこと。

さらに、この全集のなかで本当のオススメ曲は4枚目に入ったヴァイオリン協奏曲だ。モーリス・ハッソンというフランス人のヴァイオリニストの演奏で、現在は近年知られてきた日本人ヴァイオリニスト川畠成道が師事しているらしい。ブラームスのヴァイオリン協奏曲という曲自体すべてが聴きどころといっていい名曲なのだが、この演奏のヴァイオリンは実にロマンティック。聴く者をウキウキさせるようだ。第2楽章の古きよき時代を思い起こさせるようなヴァイオリンの響きもいいし、 終楽章に向けだんだんよくなっていく。 退屈な演奏を3枚も聴き続け、4枚目のハンガリー舞曲もこんなん上品なハンガリー人がいるか!と思いつつ耐えて聴き、本当の最後にこの演奏が入っているとはClassics for Pleasureのプロデューサーもかなりのヤリ手だな(爆)。どうもこのCD、ヴァイオリン協奏曲がメインで交響曲全集はオマケだったみたいだ。(ウソ)





2002/11/27


【Concert Report】第18回つくば国際音楽祭
〜ネーメ・ヤルヴィとエーテボリ響のシベリウス〜



マルティンソン/Martinson
A.S.の追憶 シェーンベルクの「浄夜」に寄せて/A.S. in Memoriam

グリーグ/Grieg
ピアノ協奏曲 イ短調/Piano Concerto in A minor Op.16 *

シベリウス/Sibelius
交響曲第5番/Symphony No.5 in E flat major Op.82



ネーメ・ヤルヴィ指揮/Neeme Jarvi(cond.),
中村 紘子/Hiroko Nakamura(Piano)*
スウェーデン国立エーテボリ交響楽団/Gothenburg SO.

2002/11/21,19:00-21:00 Nova Hall,Tsukuba,Japan
〜茨城県つくば市、ノバ・ホール


【満足度】★★★☆☆
(グリーグは星ゼロ!)

昨年は行けなかったが、一昨年も行った地元の音楽祭である「第18回つくば国際音楽祭」の一連の出し物のメインともいえる公演に出かけた。今年は3つの公演を聴く予定だったが、すでにシューベルトのピアノ・ソナタ第21番のリサイタルにはチケットを買ったにもかかわらず、都合がつかずにキャンセルしてしまい、この公演と、あとは12月の庄司紗矢香のヴァイオリン・リサイタルの2つにしか行けなくなりそうだ。

さて、今回はネーメ・ヤルヴィが手兵エーテボリ響を率いての北欧系プログラム。以前、息子のパーヴォのコンサートではたいへん感激したが、親父さんはどうなのか?と期待が膨らむ。 1曲目はシェーンベルクの「浄夜」に寄せて作曲されたというマルティンソンの曲。マルティンソンは1956年、スウェーデン生まれの現代作曲家で、この曲は1999年に「浄夜」作曲から100年を記念して作曲されたという。弦楽のみで演奏され、所々「浄夜」からの引用が見られるが、やはり本家を越えることはできず、やや冗長な曲という印象だった。ただ、この季節の寒い夜空にはぴったりの雰囲気があり、選曲的にはすばらしかったと思う。(そうでなくてもこの手の曲は感動をもたらせるまでに演奏するのは大変なことだ)

2曲目はグリーグの名曲ピアノ協奏曲なのだが…正直言ってこの演奏は最低だった。北欧通に言わせれば「こんなのはグリーグではない!」だろう。私も同感だ。まず第一に音量が大きすぎる。出だしから1楽章においてはある程度の音量も必要だろうが、第2楽章のアダージョでどうしてあんな音量を出す必要があろうか?聴いた席が2列目でピアノから近すぎたこともあるのだろうが、あまりに酷い。第二にミスタッチが多すぎる。私は基本的にミスタッチに関しては寛容なほう(だと思うの)だが、このミスタッチは常軌を逸している。復帰後のホロヴィッツや晩年のチェルカスキーは素人が聴いてもミスタッチが多いが、彼らはヴィルトオーゾとして十分すぎるほどのロマンティズムを持っており、音量も考えたなかでのミスタッチなので多少は耳につくことがあっても慣れてしまえば耳障りには思わない。しかし、彼女はあの音量のうえに単純な部分でのミスが多すぎる。第三はテンポのとり方が理解できない。私も楽譜を見て音楽を聴くほうではないので正確にはわからないが、「この人は本当に暗譜してきたのだろうか?」と思わせるような異常に遅いテンポを取ることがあり、音楽が点となってしまい、現代音楽を聴いているような気分になった。これは伴奏するオケの側にも辛かったようで、オケはピアノのテンポに合わせるのにかなり苦労していたように聴こえた。また、楽団員もちょっと苦笑せずにはいられない状態。これがショパンのような情熱的な曲であればいい味も出てこようが、グリーグのような北欧のリリシズムを重視する曲では不向きだろう。耳を覆いたくなる、とはこのこと、日本国内7公演のうち5公演もこんな演奏につきあわなければならないヤルヴィとエーテボリ響にとっては拷問以外の何者でもないだろう。

さて、休憩を挟んで少し気を取り直して、今日のメインプロであるシベリウスの交響曲第5番を聴く。シベリウスの交響曲というと、これまで2番ばかりで、ごくごくたまに1番を聴いていたくらいだったので、第5番を聴くにあたっては予習を少ししてきたのだが、すこし盛り上がりに欠ける、というイメージだった。このイメージは、この日の演奏を聴いても変わらなかったのだが、この日の演奏はよかった。どうして音を大きくして盛り上げないのか、という理由がわかったからだ。シベリウスの曲は、あえて音に頼らず、適音で演奏することによってその音の美しさを伝えている、そして作曲者もこれを伝えたかったのではないか、と思わせた。そう考えると、この曲のそういった面をCDなどの録音盤で伝えようとするときわめて難しいのではないかと思う。先ほどの協奏曲とは対照的な初冬の夜空にふさわしい演奏とはこのことだろう。また、部分的なことを言えば、終楽章のトロンボーンがかっこよかった。フィンランディアといい、シベリウスはトロンボーンにいい役を与えてくれているな、と思う。

満員の観客もそれを知ってか惜しみない拍手をヤルヴィとオケに注いだ。アンコールはシベリウスの「アンダンテ・フェスティーボ」(この曲はこのオケのアンコール定番で、弦楽のみの落ち着いた曲)、そして鳴り止まない拍手に応えてさらにシベリウスのカレリア序曲の第3曲「行進曲風に」を演奏してくれた。演奏後も鳴り止まない拍手にマエストロ・ヤルヴィは何度も登場してくれた。壇上の奏者に直接サインを求める観客がいたり(しかも応じてくれてるコントラバス奏者もまんざらではなかった)でなかなかフレンドリーだ。また、顔を赤らめた大道芸人のようなヴィオラのおじさん奏者はオケのメンバーが退場してからも観客に手を振り、再びマエストロの手を引いて壇上に現れたりと、聴衆と演奏者の理想的な関係があったように思う。このホール、収容1000人ほどと、日本のホールにしてはこじんまりとしており、聴衆とオケとの距離がたいへん近い。それだからこそこのようなことが実現できたのだろう(今回、このコンビは高松、横浜、名古屋、大阪、東京、札幌を回るが、このなかで最小のホールなのは確実)。興業的には補助がないと維持できないレベルだと思うが、何千人も入れる、奏者が見えないようなホールに比べて贅沢なことだと思う。





2002/11/17


ウィーンオペラ座で”バレエ”を見た


Aram Il'yich Khachaturian(ハチャトゥリアン)

Ballett: Spartacus 〜 バレエ『スパルタクス』




準・メルクル指揮/Dirigent:Jun Markl,
Spartacus:Jurgen Wagner,Phrygia:Simona Noja,Crassus:Gregor Hatala,
Aegina:Eva Petters,Minotaurus:Tomislav Petranovic,Harmodius:Christian Musil
ウィーン国立歌劇場管弦楽団/Wiener Staatsoper O.

2002/10/24 19:30-22:00 /Wiener Staatsoper〜ウィーン国立歌劇場


【満足度】★★★★☆

今回の旅行での目的のひとつがこれ。別に『スパルタクス』でなくてもよかったし、バレエでなくてもよかったのだが(正直言えばオペラのほうがよかったのかもしれない)、日程的にこれになった。しかし、バレエを生で見るのは初めて、それがウィーンのオペラ座となれば平凡なオペラよりいい経験のように思えた。

日本を経つ1週間ほど前、このあまり知らないバレエの予習をするために、パイオニアから出ているボリショイ・バレエのDVDを買いこんだ。ローマ軍の奴隷であるスパルタクスは、反乱を起こし成功を収めるが、再びローマ軍に鎮圧され処刑される、というのが大きなストーリーで、それを見ての感想は、「暗い、登場人物が少ない、華やかさに欠ける」というものだった。管弦楽もいまいちだったし、『白鳥の湖』に代表されるような美しい踊りもほとんどなかった。そんなわけであまり期待はしていなかった。

ウィーン国立歌劇場を訪れるのはこれで2回目だ。3年前、1999年の12月に初めて訪れたときはシルマー指揮の『フィガロの結婚』。ケルビーノ役のアンゲリカ・キルヒシュラーガーの演技、歌がすばらしかったのを覚えている。今回は数日前にモスクワで劇場占拠事件があったせいか、オペラ座内にも数人の制服の警官がいる。内部の豪華さを楽しみつつ、開場時間を待つ。前回訪れたときと同じバルコンが座席だった。3階席とはいえ真正面最前列の位置、音響的にも料金的にも申し分ない。やはりバレエということもあってか、サイドや上の階の後部座席には空席もちらほら。待ち時間にパンフレットを買う。3ページだけながらも日本語のあらすじがついている。これはありがたい、と思って読んでみるとどうも家で予習してきたボリショイのときのあらすじとぜんぜん違う。場が付け加えられていたり、役によってはずいぶん書き加えられているところもある。

「新しい」あらすじを把握しきれないままに開演。日本人ピアニストの母とドイツ人ヴァイオリニストを父に持ちN響などでもおなじみの準・メルクルがオケピットの指揮台に上がる。第1幕第1場のスパルタクスの少年時代からボリショイとは違い少年少女のバレエ団が踊り、なかなか華やかで明るい雰囲気だ。逞しく優しげなスパルタクス、妖艶なエギーナ、そしてかわいらしいフリージアと、それぞれが個性的で印象的だ。特にエギーナの妖艶さをうまく表現していたエヴァ・ペッターには惜しみない拍手が会場から沸き起こった。個人的にはフリージアもよかった。2時間はあっという間に過ぎ去り、つまらないのではないかという不安は全く不要のものだったと感じた。「スパルタクス」のような見せ場が少ない、あっても地味な演目では、演出家の度量によりこのようにしていくこともできるのだな、と感じた。演奏の方もさすがはウィーンフィル、メルクルの指揮のもとスパルタクスでも艶やかな音を聴かせてくれた。それでも嫁さんは「間違えていた部分があったし、あの部分はちょっと気入らないなぁ」となかなか厳しい(笑)。たしかにそう言われて注意して聴くとそれはもっともな意見だったりするから何も言えず。それでも全体的には演奏の方も及第点だったようだ。

<参考盤>

ハチャトゥリアン/Khachaturian

バレエ組曲『スパルタクス』(第1番〜第3番)
/Ballett "Spartacus"(No.1-3)





ローリス・チェクナヴォリアン指揮/Loris Tjeknavorian(cond.)
アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団/Armenian PO.

1999 /The Aram Khachaturian Hall, Yerevan, Armenia(studio)/STEREO

ASV / CD DCA949(英・輸入盤)

【満足度】●●●●○+α

ハチャトゥリアンの『スパルタクス』については圧倒的に映像が少ない。予習で購入したパイオニアのDVDも少し盛り上がりに欠けるし、ボリショイ劇場管弦楽団の演奏は伴奏に徹していて退屈に尽きる。他にも輸入盤が2種前後あるようだが、期待していいものか・・・?CDでは全曲盤も売られていたが、有名なのは組曲だろう(それでも種類は少ない)。

帰国後にBerkshire Record Outletで購入したチェクナヴォリアン盤がなかなかよかった。ハチャトゥリアンはアルメニア人の血をひいていたそうで、この曲を有名にしてやるぞ、という気持ちが爆演で知られるチェクナヴォリアンに火をつけたのか?リズム感が重要なハチャトゥリアン独特のメロディーラインをアルメニア・フィルが実力を十分発揮して演奏している。バレエなしでも大迫力をもってスパルタクスを楽しめる。特に金管の音色はロシアの力強さを保持しつつ、咆哮が行きすぎず上品さも併せ持っている。その名もハチャトゥリアン・ホールでの演奏。

さて、ここまで書いて、いったんは筆をおいた。だが、なんだか知らないうちにこのCDをもう一度かけていた。なんだかこのリズムは耳について離れない。ハチャトゥリアンってこんなすごい曲かく人だったっけ?特に第一組曲の第3曲目「エギーナとバッカナリアの変奏曲」と第4曲目「クロタラムの情景と踊り」、第2組曲の第2曲目「商人の入場〜」あたりは頭の中をリピート状態である。おそらく、松浦亜弥なみにゴールデンにCM打ちまくったらみんなの耳についちゃって、ベストテン入りを果たしそうな気すらする。ASVさん、やってみない?(爆)少なくとも小澤征爾の第九よりは売れそうな気が・・・(なんかあれ、小澤らしくもなく、えらく雑な演奏では?どこのクラシック売り場に行ってもかかってるけど、あれでは買う気がなくなってしまう。)なにはともあれ、ハチャトゥリアンパワー(というか、チェクナヴォリアンミラクル?)恐るべし、と言ったところか。ん?でも、バークシャーで売られてるっていうことは廃盤か?やっぱり脳内麻薬でも入っていて販売禁止にでもなったのかもしれない(嘘)





2002/08/27


『千人の交響曲』〜最初で最後のベスト盤


マーラー/Mahler

交響曲第8番 変ホ長調 『千人の交響曲』
/Symhony No.8 "Symphony of a Thousand" in E flat





ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮/Jascha Horenstein(cond.)
Barker, Joyce(S),Hatt, Beryl(S),Giebel, Agnes(S),
Meyer, Kerstin(MS),Watts, Helen(A),Neate, Kenneth(T),
Orda, Alfred(Baritone),Van Mill, Arnold(B),
BBC Chorus, BBC Choral Society, Goldsmiths' Choral Union,
Hampstead Choral Society, Emmanuel School Boys Chorus,
Orpington Junior Singers
ロンドン交響楽団/London SO.

1959/3/20 /London, Royal Albert Hall(Live)/STEREO

BBC Music / BBCL 4001-7(英・輸入盤)


【満足度】●●●●●

ホーレンシュタインはおそらく、最高のマーラー指揮者の一人であると、私は思う。特定のオケの常任をしていたとか監督をしていたという期間がほとんどないので録音に恵まれていないのが残念なのだが、3番や、この8番は現在存在するマーラー演奏の録音のなかでベストであると言っていいだろう。特に、このロンドンのロイヤル・アルバートホールでの交響曲第8番はそれまでほとんど取り上げられなかったこの曲を一躍有名にさせた演奏であるとともに、同曲のなかでのベスト盤だと思う。この録音以降に数多くの指揮者の録音があるのだが、この演奏以上のものは皆無だ(この録音が近年まで正式に発売されなかったのは、他の演奏の売り上げを伸ばすためではないか、と勘ぐってしまうほど他の演奏はいまいちで、この演奏はすばらしい)。また、マーラーの交響曲のなかでとりわけこの第8番は「ベートーヴェンの第九以降、大きな合唱つき交響曲を書きたいがためにマーラーが書いた曲」だとか「いくら聴いてもよくわからない曲」などと評論家やネット上で語られている場合があるが、マーラー自身が「これまでの私の交響曲は、すべてこの曲に対する序曲にすぎなかった」と書いているようにマーラーの交響曲の集大成とも言える曲なのだ。それにも関わらずいまいち他の曲と比べて理解や評価が低いというのは残念でならない。(ただ、内容的には簡単には理解しがたい思想であるような気がするが)ホーレンシュタインのこの録音はそのような評価を一気に覆すのに十分なものだった。それまでは私自身、「単に騒がしい、大爆発曲」という程度の認識しかなかった。

まず、第1部。「来たれ、創造の主たる精霊よ」で荘厳に始まる。第一部はとにかく怒鳴り散らして千人が騒ぎ立てる、という演奏か、千人近くもの合唱とオーケストラを完全に掌握しようと思ったのかやたら慎重で無難な演奏か、のどちらかになってしまうことが多いのだが、ホーレンシュタインは両方の演奏のよい部分を抜き取ったような指揮をする。つまりつきぬけた力強さとともに合唱合奏のバランスをうまく併せ持った演奏をしているのだ。続く第2部はこの曲のメインとなる部分だ。テンシュテットのズバーンとした特定のパートがいきなり飛び出てくるような逝っちゃった演奏もあれはあれでいいのだが、聴いているほうはかなり苦痛になる。ホーレンシュタイン盤は天国と地上の間の空間にいるような幻想的かつマーラーの音の厚みのなかにいる安定感を持った演奏を聴かせてくれる。そのなんともいえない音に包まれたような感覚でラストの第一主題まで一気に聴かせてしまう。部屋を暗くして聴くとこの感じが非常に心地いい(あぶない?(笑))。

この演奏は同曲をメジャーにした演奏であり、同曲のベスト盤であり、要は『千人の交響曲』に関してはこのCDがあれば他は必要ないというほどの演奏だと思う。だから、このCDを聴いてもこの曲がダメというのならば、しばらくはこの曲を聴くことをあきらめた方がいいかもしれない。





2002/08/26


フリッチャイの”重い”英雄交響曲


ベートーヴェン/Beethoven

交響曲第3番 『英雄』/Symphony No.3 in Es op.55
『レオノーレ』序曲 第3番/Leonore Overture No.3 Op.72a
『エグモント』序曲/Egmont Overture Op.84


フェレンツェ・フリッチャイ指揮/Ferenc Fricsay(cond.)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/BPO
1958/10(op.55), 1958/9 /studio/STEREO

DG/POCG-6034(国内盤)


【満足度】未記入

フリッチャイといえば、「将来を嘱望されながらも病気のため若くして亡くなった」指揮者とされる。この『英雄』の演奏はフリッチャイが最初の手術を受ける直前に録音されたものだ。手術を受ける前というのは嫌なものだ。簡単な手術とわかっていても、ほぼ100%の成功率の手術であったとしても、もしも手術室に入ったのを最後に自分の記憶が途切れるのではないか、という不安にがよぎり、人は弱気になる。そんな状況で、もしや、指揮台にあがるのもこれが最後ではないか、と思えば、その指揮者の紡ぎだす音楽というのもそれまでとは変わりざろうえない。

フリッチャイは一音一音を踏みしめるように指揮する。力強いのだが、何か未練のようなものを感じる。そのせいかテンポも気持ち遅めになり、どこか重い。葬送行進曲は妙に現実的だし、最終楽章の足取りの重さはそんな背景を嫌が上でも感じてしまう。

誰かが、『英雄』という曲には仕事や、人生で挫折しそうになったとき、何度も助けられた、と言うのを聞いた。だが、このフリッチャイの演奏に助けを求めるのは少し酷な気がする。この演奏には助けてくれそうな要素などないのだ。だからといって聴いている私たちがこの演奏を助け出すことも難しそうだ。失恋したときや仕事で失敗したときなど、元気のないときには聴かないほうがいい演奏かもしれない。





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