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2000/10/24-11/29


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2000/11/29

ヤンソンス指揮オスロ・フィルのショスタコーヴィチ
:交響曲第6番&第9番


Dimitri Shostakovich(1906-1975)
・Symphony No.6 in B minor,Op.54
・Symphony No.9 in E flat major,Op.70

Mariss Jansons(cond.)
Oslo PO.
1991/1,Konserthus,Oslo(studio)/STEREO

EMI CLASSICS,7 54339 2(欧・輸入盤)


【満足度】●●●●○

今月の16日に書いたように、ヤルヴィ指揮東京交響楽団のショスタコーヴィチ:交響曲第6番を聴いて以来、この曲のCDでいいものはないか?と探していた。ネットで情報を探っていると、ヤンソンス盤とザンデルリンク盤がよいとの情報を得た。演奏時間もチェックして、よりテンポとリズム感がよいのはヤンソンス盤ではないか?と考え、このCDを買うことになった。

ヤンソンスという指揮者は、名前を聞いたことがあったが、今までCDを聴いたことはなかった。モスクワ生まれで父親も名指揮者、北欧での活躍という点はパーヴォ・ヤルヴィと似ていないでもない。しかし、オスロ・フィルなんてマイナーなオケで大丈夫なのか?という不安はあった。

まず、第1楽章。心配したオケの力量は杞憂に終わった。それどころか、なかなか澄んだ音ながら力強い部分もあり、なかなかよい。じっくりとした第1楽章はたるんでしまって聴くのが退屈になる演奏があるが、この演奏は一定の緊張感と明暗を分けた音作りで退屈と思わせない。EMIの録音はいまいちという印象があったが、この録音はそういうこともなく、かえって優秀録音といえそうだ。続いて第2楽章。テンポ感よく前へ前へと突き進む音楽。金管の音質音量ともに申し分ないし、木管のソロ部分の演奏も気に入った。いい感じで第3楽章に突入し、さらにテンポよく刻んでいく。次第にテンションも高くなっていくのを感じる。ワクワクして聴きつづける。さすがに先日のヤルヴィの実演と比べたらテンションという面では劣るのかもしれないが、そういう比較は野暮だろう。音量を上げて(隣人、スマヌ!)クライマックスを聴く。聴いていてリズムを踏みたくなるような演奏だ。

第9番のほうは数年前に一度聴いたきり聴いたことがなかったので、事実上初めて聴いたも同様だったが、6番同様テンポがよく、まったく違和感なく耳に入ってきた。特に第1楽章はユニークかつ色彩感豊かな演奏で、6番の流れで聴きつづけていると続けてのってしまいそうだった(苦笑)。

当初はどんな演奏か心配だったのだが、ひさびさに"当たり"のCDだった。オケの音色もいいし、録音も上質。時には朝起きて、1日に気合いをつけるために6番の第2・3楽章を聴いていったりしている。そんな日は仕事中も一日中メロディが離れなくて困ったりしているのだが…(^^ゞ。ヤンソンスのほかのCDもおいおい聴いていこうと思っている。



2000/11/27

ベルグルンドという指揮者(2)〜弦楽セレナード編

Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)
・Serenade for Strings in C minor,Op.48

Antonin Dvorak(1841-1904)
・Serenade for Strings in E major,Op.22

Paavo Berglund(cond.)
New Stockholm Chamber O.
1983,1989(studio)/STEREO

Conifer Records,CLASS 7076(英・輸入盤)


【満足度】●●●●○

このCDもBerkshire Outletで購入。この2つの弦楽セレナードは特に透明感の要求される演奏が向いていると思うので、ベルグルンドの演奏には期待していたのだが、その期待を裏切らない名演奏だった。

まず、チャイコフスキーから。まず、導入の部分が変に厚すぎないのがよい。小編成の室内オケを使っているためだろうか、水が流れるように爽やかな演奏だ。だが、冷静沈着というわけではなく、なかなかに熱がこもった部分では熱がこもっている。それでも爽やかというのは、おそらくオケ自体の音色と、歯切れよい演奏から来ていると思われる。第2楽章ではその特徴を維持しつつ、艶やかな音色を出すことにも成功している。第3楽章の弱音部やテンポが緩やかな部分も手を抜くことなく、じっくり聴かせる。終楽章では今までの集大成といった趣で、たたみかけるようなテンポで涼しくも熱い演奏を聴かせる。

続いてドヴォルザークの弦楽セレナード。チャイコフスキーが秋の涼しさとするならば、こちらは夏の避暑地の涼しさという形容がもってこいのように思う。その表現にぴったり合った、高原の雪解け水の流れる小川のような演奏(どないやねん(苦笑))。チャイコフスキーと比べ、より爽やかさが増しているのは曲のせいもあると思うが、やはりベルグルンドの透明感ある指揮(あるいは、それはオケを選ぶという部分も含め)に感心する。そういう意味でもこのようなシベリウス以外のベルグルンドのレパートリーをもっと紹介すべきだと思う。

ただ、このCDはラジカセや、ことさらに高音部が強調されるようなシステムで聴くのは向いていないと思う。私自身安物の寄せ集めシステムだからなんとも言えないが、CDウォークマンなどで聴くと、低音部が弱く、極めて軽っぽい演奏に聴こえる。なお、Conifer盤は廃盤のようで、現在はスウェーデンのBISというレーベルから同じ演奏(のはず)が出ているようなので、こちらを探すほうがよさそうだ。



2000/11/26

【Concert Report】
ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団
〜小林研一郎指揮 マーラー:交響曲第1番《巨人》 ほか


Gustav Mahler(1860-1911)
・Adagietto(from Symphony No.5)
・Lieder eines fahrenden Gesellen《さすらう若人の歌》*
・Symphony No.1 in D major "Der Titan"《巨人》

Ken-ichiro Kobayashi〜小林研一郎(cond.)
Yumiko Samejima〜鮫島有美子(Soprano)*
Hungarian National PO.
2000/11/25,15:00-17:15 Nova Hall,Tsukuba,Japan〜茨城県つくば市、ノバ・ホール

【満足度】★★☆☆☆

先週のシャハムに続いて「つくば国際音楽祭」最大の出し物である、小林研一郎指揮・ハンガリー国立フィル(旧称:ハンガリー国立管弦楽団)の、マーラープログラムに行ってきた。チケットは売り切れており、招待券分の空席が若干あったが、ほぼ満席だった。私はシャハムのとき座った席から会場に向かって左側に1席ずれただけだった(すなわち、最前列の若干左寄り)。コバケンの愛称?で知られる指揮者・小林研一郎の左斜め後ろ3メートルという場所だ。小林研一郎は日本人指揮者としてハンガリー国立フィルの桂冠指揮者として知られているが、CD、実演を含めて一度も接したことがない。京都・知恩寺の古書市で手に入れた『京都市交響楽団30年史』の付録CDで彼の振ったマーラーの交響曲5番があるが、当時の京響の技術を考えると、怖くていまだ開封していない(^^ゞ。指揮中に熱中すると、唸り声を上げるということで、彼のCDには「このCDの録音に入っている声は 指揮者・小林研一郎氏の唸り声です」と注意書きがしてあるとかないとか…

コバケンが舞台に現れて、まず驚いたことは随分ひょろっとしていたことだった。背はそんなに高くないが、痩せている。もう少し恰幅が良いほうが、マエストロらしいのだが。少し貧相な気がしないでもない。1曲目はマーラーの交響曲第5番より、第4楽章の《アダージェット》。まずは軽く腕ならしといった感じで進んだが、さっそくコバケンの唸り声を拝聴できた。しかし、アダージェットのような静かな曲でまで唸るとは驚いた。続いて、鮫島有美子のソプラノで《さすらう若人の歌》。最前列ということもあり、プロの歌声を堪能することができた。あまり声楽曲は聴かないが、鮫島は日本人ながら、無理のない発声で、余裕を持って聴かせるといった風情だ。今度はコバケンも伴奏に徹し、歌の邪魔をするようなことはなかった(笑)

休憩をはさみ、メインの《巨人》。最前列ということもあるのだろうが、どうも音が良くない。アンサンブルが雑というのだろうか、どうも音のバランスも良くないし、ミスも目立った。特に弱音部ではいまいち退屈で推進力が弱いように感じられた。それでも終楽章ではコバケンが唸り、弦楽セクションが一生懸命弾き、金管群も咆哮、ラストではトランペットが大音量で派手に鳴らし、ブラボーと拍手の嵐。アンコールではダニー・ボーイとブラームスのハンガリー舞曲2曲、加えてコバケンのハンガリーの言葉と日本語の類似性などの語りが入ったりして盛況のうちに終わった。

だが、私としてはどうも満足行かなかった。このオケの重心がいまいち低い、というか、悪く言ってしまうと鈍さが目立ったような気がした。それはアンコールのハンガリー舞曲でも言えたことで、いまいちテンポに乗り切れず、惰性でやってしまいがちに見えた。小林研一郎の指揮も完全にオケをドライヴしている、と言っていいのかどうか。しかし、コバケンのオケのメンバーたちへの感謝の気持ちは大きく、演奏後ひとりひとり手をとりあったり、花束をメンバーにあげて感謝を示したりとメンバーを尊重していることこの上なかった。このあたりに演歌的こぶしの唸り声と日本的人情の人付き合いのうまさ?を感じた。これもこの指揮者の能力のように思われた。



2000/11/22

ベルグルンドという指揮者(1)〜チャイコフスキー編

Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)
・1812 Festival Overture,Op.49
・Symphony No.4 in F minor,Op.36

Paavo Berglund(cond.)
London PO.
1998/2/28,30? Watford Colosseum(studio)/STEREO

BMG Conifer,75605 570402(CLASSIC fM series)(英・輸入盤)


【満足度】●●●◎○

シベリウスのスペシャリストとして有名なベルグルンドのシベリウス以外の録音を3〜4回に渡って連載してみようと思う。ベルグルンドはシベリウスの交響曲全集を3度に渡って録音しており、私も最も古いボーンマス響との録音を聴きかじったことがあるが、どうもしっくりしなかったことを覚えている。おそらくそれは、私がシベリウスをよく知らないことに起因していると思うが(そうでなかったら、ベルグルンドのシベリウスがここまで高く評価されるはずがない)、他にも良い録音があるということでこのCDを取り上げた。

このCDでのベルグルンドは、とにかく澄んだ演奏を聴かせる。さらにはBMGの優秀な録音がそのみずみずさに輪をかけている。まず、大序曲「1812年」。私としては、この曲はどれだけ迫力あるものを聴かせるかが大きなポイントであるように思うのだが、そういった期待とはまったく違った次元で演奏している。だからといって迫力がないというわけではない。ややもすると迫力だけを追いかけ、汚く下品に陥りがちなこの曲を、見事にすっきりと演奏している。そうでありながら、大砲が加わってのクライマックスは充実したものである。大序曲「1812年」といえば、カンゼル指揮シンシナティ管のものが有名だが、あれよりずっと上品でありながら、適度な高揚感が味わえる。個人的に言えば、こちらのほうが好みだ。

交響曲第4番も基本的に演奏の方向性は大序曲「1812年」と変わらない。第3楽章冒頭の低音弦楽器陣の音色などは、息もあい、その上澄みきっていてなんともみずみずしい音色を引き出すことに成功している。弦の音が一音一音はっきり聴くことができる。その余韻を残しつつ、クライマックスの終楽章を迎える。ここでも大音響の中でそれぞれの楽器の音が一音一音聴き分けることができ、雑然とすることなく、それでいてテンポが良い迫力ある演奏をしている。ここまで清々しいチャイコフスキーはこの演奏以外にないだろう。ただ、一つ文句をつけるならば、もう少し柔らかさがほしいというところだろうか。ちょっとカチッとした印象を受けることも事実だ。

こうしてこのCDを聴くと、ベルグルンドがシベリウスに適性があると言われているのがわかったような気がする。たしかに、このスタンスで、この録音でシベリウスを演奏したら、ぴったりくるように思う。そのうち、余裕があれば最新録音であるヨーロッパ室内管とのシベリウス全集を聴いてみたい。
ところでこのCD、録音年月日に1998年2月28日&30日とあるけど、2月は30日もあったろうか…(^_^;)



2000/11/21

骨太の音楽〜コンヴィチュニーのブルックナー:交響曲第7番

Anton Bruckner(1824-1896)
・Symphony No.7 in E major

Franz Konwitschny(cond.)
Gewandhausorchester Leipzig
1958/6 Leipzig(studio)/STEREO

BERLIN Classics,BC 2114-2(独・輸入盤)


【満足度】●●●○○

このCDはBerkshire Record Outletで購入したものだ。このBerkshire Record Outletは、その名の通りCDのアウトレット・ショップで、廃盤品などを$1.99〜で売っている。他の商品を買うついでに買った一枚だし、輸入盤でも千円前後、国内盤も千円で出ているので、送料を考えれば国内の店舗で買ったほうがいいかもしれない。

実のことを言うと、このCDは買ったことを忘れていた。Berkshireのような通販で買うと、多く買わないと送料が高くついて元が取れないので、勢い1度に10枚くらいは注文する。最近ブルックナーを聴こうという気になっていなかったのもあり、聴きたいほうから聴いているうちに、別のCDを買ったりして、存在を忘れていたのだ。今日たまたま、手に取ったので聴いてみたというわけだ。

聴きはじめてその骨太な演奏にびっくりした。がっちりと腰の据わった演奏というのか、重心が低いまま、ゴゴゴ…と進んで行くのだ。「ドイツ的」という言葉を使うのが許されるなら、こういう演奏のことではないかと思う。しかも、今はない、東ドイツのどこか野暮ったさも感じる重厚な音色。こういう音色、毎日聴いていたらしんどいだろうけど、必ず何度か聴きたくなる音色。晩秋の茶色い落ち葉が冷たい雨に濡れる並木道のイメージにぴったりくる演奏。そういえば、同じくコンヴィチュニー&ケヴァントハウス管の組み合わせのベートーヴェン全集も同じ音色だが、さすがにここまで重くない。この文章を書くために2度目を聴いているものの、集中して聴いていると頭が重くなってくるというのは私が日本人である証しかも(苦笑)。それにしても、この年代にしてこの録音、BERLIN ClassicsのNoNoise-Systemは聴きやすく、なかなか気に入っている。



2000/11/17

このページの内容アップに向けて&満足度の表記について

音楽の感想を書き始めましたが、自分自身、至らなさを感じています。まず、音楽、楽曲に関しての知識が乏しいこと。作曲家の活躍した時代背景、時代における作曲家の位置づけ、楽曲の様式や楽器のしくみなどの知識が非常に貧弱です。さらには、あの曲の「第1主題の展開部・・・」といった表現がわかりません。いささか勉強不足を感じます。文章を書くときも感じるのですが、書こうとしている文を支えるバックボーンとしての基本的な知識や裏付けがなく、自分の力不足を認めざるを得ません。それを解消するには、書店で関係する書籍を買ったり、図書館に行ってそれらの知識を得たいのですが、仕事もあり、一朝一夕でそういった知識を得ることはできません。これからゆっくりと一つ一つ勉強していき、少なくとも自分で満足できるような文章を書けるようになりたいと思います。

しかし、このページの更新をやめることは考えていません。なぜなら、こうして文章を作る場所を持ち続けることによって勉強していく意欲を、勉強した成果を試す場所をも持つことができるからです。いつになれば満足いく文章が書けるようになるのか、まったく先が見えませんが、長い目で見てやってください。

このようなつたない文章ですので、どこに主眼が置かれているか、総合的な意味で、作者はこの演奏にどのような評価(というか、満足度、といったレベルですが)をしているのか、非常にわかりにくいと思います。そこで、文章を補完する意味で、作者自身の満足度の表記と、作者の伝えたい部分を太字表記する、という2点を行いたいと思います。

★☆☆☆☆:不満
★★☆☆☆:やや不満
★★★☆☆:普通
★★★★☆:ほぼ満足
★★★★★:大満足

※CDの場合は●○○○○〜●●●●●で表記。

基本的にやや不満〜普通〜ほぼ満足の3段階を主流とし、不満及び満足は特別な場合にのみつけようと思っています。また、CDと実演ではこの表記に互換性はないものとします。あくまでも個人の満足度の度合いですので、世間一般の評価ではなく、人それぞれで思い入れは違うと思います。この表記は人の価値観の違いを否定するものではないということを記しておきます。

いささか堅苦しい感じですね。あくまでも遊びですので…。「こいつはこの演奏のこと、この程度にしか思ってないのか、かわいそうな奴だ」と思っていただいてもいいですね(実際、他のページに行ってそう感じたこともあるし、逆もあります(^^ゞ)
それでは、今後ともよろしくお願いします。



2000/11/16

【Concert Report】
東京交響楽団 第475回定期演奏会
〜パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 ほか


Paul Hindemith(1895-1963)
・Symphonic Metamorphosis on themes of Carl Maria von Weber

Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)
・Flute Concerto No.1 in G major,K.313

Dmitry Shostakovich(1906-1975)
・Symphony No.6 in B minor,Op.54

Paavo Jarvi(cond.)
Emmanuel Pahud(Fl.)
Tokyo SO.
2000/11/11,18:00-20:40 Suntory Hall,Tokyo〜東京、サントリー・ホール


【満足度】★★★★☆

サントリー・ホールで行われた東京交響楽団の定演に行ってきた。東京で聴く3回目のコンサートになる。もちろん、ホールも楽団も初めてである。サントリー・ホールは地下鉄の溜池山王駅下車。全日空ホテル、テレビ朝日、そしてアーク・カラヤン広場に囲まれるようにして、そのホールはあった。入場すると、まず1階席と2階席でチケット切りの場所が違う。まるで、ウィーンの国立歌劇場のようだ。私たちは2階のホールに向かって右翼の席だった。ホールの印象は、なかなかよい。東京芸術劇場で感じた「広すぎる」という感じがなかったからである。

まず、1曲目のヒンデミット作曲「ウェーバーの主題による交響的変容」だが、この曲、生はもちろん、CDでも聴いたことのない曲である。最初ショスタコ調で始まったかと思うと、主題ごとに大きく調子を変え、ヒンデミット調になったり、ウェーバー調になったりする。ウェーバーの主題、ながら、私はウェーバーの元曲たちを知らないのでよくわからないまま終わってしまった(苦笑)。

続いて、2曲目のモーツァルト:フルート協奏曲第1番。この曲も初めて聴く(^_^;)。ソリストは今年6月にベルリン・フィルの主席奏者で退団したエマニエル・パユである。美しい音色だとは思ったが、フルートのような楽器を聴くには遠すぎたのであろう、モーツァルトの柔らかい音色に包まれ、私はウトウトしてしまった。なぜ知らない曲が続くコンサートに来たかといえば、今回のコンサートはとある方の誘いだからである。しかし、知らない曲を聴くというのは得るものが多い。事前に予習できたにしろできなかったにしろ、最初に生で聴くと、はまった場合、一生聴ける曲になるのだ。いきなり開眼、という感じである。残念ながら、前の2曲はそこには至らなかったが。

実は、メインのショスタコーヴィチの交響曲第6番もそんなに得意な曲ではない。この日のためにムラヴィンスキーの1965年ライヴをCDで聴いてきたが、いまいち乗り切れなかった。まず、第1楽章。最初の弦の音は美しい。さすがに技術の良い日本のオケに澄んだ音色を得意とする息子ヤルヴィだけある。だが、調子は平均的という印象であり、テンポも比較的ゆっくりにとっているため、間延びする感はあった。続いて第2楽章、クラリネットのソロで始まり、次第にテンポを上げていく。気持ちヤルヴィの指揮も動きが少し大きくなってきた。トランペットが激しく鳴り、主題の部分ではヤルヴィも調子を上げてきたように見えた。しかし、この時、終楽章でヤルヴィがあんなふうになるとは想像していなかった。 最終の第3楽章が始まると、ヤルヴィは腕を大きく振って、小気味よいテンポで進んでいく。主題が繰り返されるごとにテンポは速くなり、腕の振りもこちらが赤面してしまうほど激しくなっていく。最初の盛り上がる部分ではヤルヴィは垂直飛びして宙に舞って、さすがに私は笑いそうになったが、それほどにヤルヴィは熱くなっていた。最後のコーダではオケもキリキリ舞い、観客も席から身を乗り出してそのリズムに乗っていた(もちろん私も)。ラストでティンパニが激しくなり、終わったと同時、いや、それより少し前に拍手喝采、歓声が飛んだ。私たちはえもいわれぬ興奮に包まれ、いつまでも拍手をしていた……
喝采の拍手にヤルヴィがアンコールとして演奏してくれた、その選曲がまた良かった。ステンハンマルのカンタータ『歌』より間奏曲。あれだけ燃え上がっていた会場を、この数分の美しい旋律の曲でジワッとさせ、清々しい感動に変えた。

今回のコンサートはあまり興味の強くないプログラムだったが、この感動は大収穫だった。これがあるから、興味がないからといってコンサートを外すことはできないのだ。しかも、何回か聴いていた交響曲第6番もCDではまったく得られなかった曲の魅力と感動を得ることができた。アンコールのステンハンマルの選曲も特筆もの。今日のコンサートに誘ってくれた方に感謝したい。帰宅後、あんなにすごい曲だったかと、予習したムラヴィンスキー盤、借りてきたテミルカーノフ盤、この曲との出会いとなったコンドラシン盤の3枚を聴いたが、いずれも到底あの日の衝撃には及ぶべくもなかった(実演とCDが違うのは当然だが、あれくらいのテンポとリズムを持ったCDがあってもよいのではないか?)。比較的気に入ったコンドラシン盤をあれからというものよく聴いているが、どうも物足りなくて困っている。



2000/11/14

【Concert Report】
第16回つくば国際音楽祭(その1)〜ギル・シャハム ヴァイオリン・リサイタル

Johannes Brahms(1833-1897)
・Violin Sonata No.2 in A major,Op.100
・Violin Sonata No.3 in D minor,Op.108
・Violin Sonata No.1 in G major,Op.78《雨の歌》

Gil Shaham(Violin)
Rei Eguchi〜江口 玲(Piano)
2000/11/14,19:00-21:00 Nova Hall,Tsukuba,Japan〜茨城県つくば市、ノバ・ホール

【満足度】★★★☆☆

私がつくばに引っ越して以来、初めてつくばで行ったコンサート。つくば市では「つくば国際音楽祭」という音楽祭を9月から翌年1月にかけて行っている。今年で16回を数え、今回は8つのプログラムが用意されている。私はこの”ギル・シャハム ヴァイオリン・リサイタル”と、今月25日に行われる小林研一郎指揮・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団演奏会の2つを聴く予定である。人口17万の都市にしてはなかなかがんばっていると思う。

私もコンサートにたくさんとは言えないまでもここ3〜4年、年に5〜6回程度は行っているような気がするのだが、室内楽の演奏をライヴで聴くのは初めてであり、つくばという場所も考えると私にとっては初めてづくしである。 私は最前列の中央部近くに座ったので物理的にはシャハムに最も近い客ということになった。この場所からだとホールの音響はいまいちよくわからないのだが、ソリストの細かい技を見ることができるし、思うより手頃な価格で聴くことができるし、何よりもソリストの息遣いや楽器の音を直接聴けるというのが魅力だ。

さて、演奏のほうだが、まず、第2番から始まる。3曲の中ではあまり聴かないほうなのだが、それだけに曲にとらわれず楽器の音を聴くことができた。オケでしか弦の音を聴いたことがなかったので、純粋に1本のヴァイオリンの生の音を聴いたことはほとんどなかった。これがストラディバリウスの音なのか、と思うが、正直言って、よくわからない(苦笑)。まだまだそれを判別するには経験がなさすぎる。どちらかというと、ピアノの音の美しさのほうに驚いた(スタインウェイ社製)。恐ろしいほどに澄みきっていて、かつ音に丸みがある。第2番は淡々と演奏された。この曲の聴き込みが足りないからかもしれないが、少し物足りなく感じた。

続いて第3番。滑らかに、少し物悲しいメロディを奏でる。そのあとで、シャハムのヴァイオリンは変わったように感じた。今までとは違った様子で感情を込めて引きはじめたのだ。しかし、その瞬間だけで、また第2番のときと同じ調子で進んでいった。第2楽章のアダージョはそつなくこなし、3楽章も無難に通り過ごした。終楽章は曲調からしても、少し調子を取り戻したようだったが、私の心を揺り動かすところまではいかなかった。

ここで休憩が入る。まあ、初めての室内楽のコンサートだからこんなもんなのかな、と思い、席を立ってホールを眺める。つくば市の事実上の中心であるつくばセンタービルの一角を占めているノバ・ホールに入るのは今回が初めてだ。最前列の席だったので気がつかなかったが、最後部列の後ろの通路に立つと、座席数は1,000ほどで、ちょうどいい大きさのホールという印象を受けた。これ以上大きいと、演奏者と聴衆の間に壁ができてしまうのではないだろうか。ステージ手前の壁が石を使っている部分のほかは華美な部分がなく、実際、外から見た正門外観も、近代的なビルの一部に石をうまく使ってコンサート・ホールらしさを出している。個人的にはウィーンのムジークフェラインやベルリンのコンツェルトハウスのように、ある程度の装飾があったほうが雰囲気がよいと思うのだが、日本のホールは、そのほとんどが公共事業なので、税金を使って贅沢なものを作ることはできないのだろう。それにしても、観客の少なさが気になる。座席は3割前後しか埋まっていないのではないか。おそらく招待券の人も多いだろうからチケットを買ってきている人はどれだけいるのか。これでは大赤字だろう。少し気になってしまう。

休憩後は第1番である。3曲中、最も有名で、それゆえラストに持ってきたのだろう。はじめは意外にさらっと過ぎてしまって、じっくりテンポが好みの私からすると残念だが、そのあとの展開はそんなこともすっかり忘れさせてくれた。今まで以上にシャハムはテンポを揺らし、江口のピアノも息が合っている。こちらもだんだん身を乗り出すようになってきた。第2楽章のアダージョでは、思わず目をつぶって聴いてしまうようなピアノの澄んだ音色とヴァイオリンの繊細な音が絶妙だった。楽章が終わった瞬間は、何とも胸が締め付けられるようなものに襲われた。そして終楽章。先ほど以上に二人の演奏は激しさを増し、どちらかが崩壊してしまうのではないか、と不安になってしまうほどだった。それほどにテンポの揺らし方が大きく、休憩前の2曲とは違う演奏者なのではないかと思うほどの熱演だ。曲の終わりに近づくにつれ、思わず目頭が熱くなるようなしみじみとした音色も聴かせてくれた。 曲が終わってからは、少ない観客ながら拍手がいつまでたっても鳴り止まず、3曲ものアンコール曲を披露と相成った。私もいつまでも拍手をしていていいと思ってしまうくらいよいラストだった。

今回、初めて室内楽、しかもヴァイオリン・ソナタのコンサートに足を運んだわけだが、新しい発見があった。オーケストラのときにも感じることが多かったのだが、スタジオ録音をしたCDと違い、ライヴではその場でしか味わうことのできない高揚感があり、それは室内楽の奏者とて同じだということである。 また、前半ではあまりのっていなかったシャハムのヴァイオリンが後半になってあれだけ雄弁になったのにも驚いた。そしてピアノの江口もヴァイオリン以上に素晴らしかったと思う。江口がいなければここまでの演奏はできなかったと言ってもよい。あれだけ高揚した《雨の歌》を聴けただけでも今回のコンサートに行けてよかったと感じた。それだけに、観客の少なさは残念だった。主催者側もいろいろ工夫していると思うが、できたらプログラムを週末に持ってきたほうがよかったのではないか。



2000/11/10

初めてのクラシックCD〜小澤征爾の「惑星」

Gustav Holst(1874-1934)
・The Planets,Op.32

Seiji Ozawa(cond.)
Boston SO.
New England Conservatory Chorus
1979/12/3,10 Symphony Hall,Boston(studio)/STEREO

PHILIPS 416 456-2(国内盤)


【満足度】●●●●○

前回も書いたが、私にとって初めてのクラシックCDは小澤征爾/ボストン響の組曲「惑星」だった。中学校2年のとき、所属していた吹奏楽部で「惑星」の第4曲目「木星」を演奏することになった。その時、顧問の教師が何枚か聴いてみてこの演奏を目指すことにしたのだ。まあ、小澤征爾にしてもボストン響にしても田舎の中学教師と吹奏楽部が及ぶはずはないので、イメージとして「こういうテンポ感と雰囲気で演奏することを目指してほしい」という意味だったのだろう。「木星」はテレビのCMでも聴いたことがあったので(たしか、今はなき山一證券のCMだったような気がする。いや、野村か・・・?)、私は近所のCD屋で初のクラシックCDとして購入した。

当時聴いた時の印象は、きれいで聴きやすい演奏、ということだった。今回聴き直してみて、その印象はいささかも変わっていないように感じられた。全体を通して澄みきった見通しのよい演奏を聴かせてくれている。特に第2曲「金星」では、みずみずしい音楽を奏で、合唱が加わる終曲「海王星」は永遠に宇宙の彼方に吸い込まれて、あたかも昇天していくような神秘性を持っている。これは小澤の振ったマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」の第2部にも言えることだろう。また、「木星」ではテンポもよく、無駄なく引き締まっていて、それでいて暖かみを感じる演奏をしている。

よく、小澤征爾は音はきれいだが、それだけで内容がない、と言われる。しかし、この「惑星」に関してその言い方は的を得ているとは思えない。見た目はそうなのかもしれないが、そのバックボーンとなっている大きなもの(=音楽や作品に対する勉強や思い)が存在していなければこのような演奏はできないだろう。例えがよくないかもしれないが、ミネラルウォーターと雨水くらいの違いがあると思う。その違いを飲み分けるのはたやすいことのように思えるのだが。また、PHILIPSの録音のよさが、小澤の表現に大きく寄与している点も見逃せない。結局のところ、「惑星」に関していえばこのCDが決定盤となり、その後「これは!」という演奏に出会ったことがない。

最後にやはりあの時の顧問の音楽教師の選択は正しかったな、と思った。演奏会でも気持ちよい演奏ができたと思う。さすがに演奏後、録音テープで聴くと鑑賞に堪えなかった記憶があるが・・・(苦笑)



2000/10/24

クラシックを聴きはじめた頃

私がクラシックを聴きはじめたのはいつ頃か、と問われると、なかなか遅い。格別家でクラシックが流れていたような環境でもなかった。小学校の頃はエレクトーンを習ってはいたが、本人はあまり興味もなく、あまり身につかなかったと思う。それでも親が練習に行かせていたのは母親自身がヴァイオリンを習っていたものの、あっけなく辞めてしまったという後悔から来ていたようだ。血は争えないというのか、自分自身に興味がなかったからなのか、私も数年でエレクトーンを辞めた。今思い出してみると、家での練習では母親に怒鳴られっぱなしだったし、自分でもスラリと弾けないのが歯がゆかった。そういう状況下で音楽が好きになるということはないだろう。エレクトーンを辞めてから、私の興味は音楽から急激に遠ざかっていった。

再び音楽に関わることになったのは中学校に入ってからだった。運動部にはどうにも興味が湧かなかったので小学校卒業時の担任の言葉もあり、吹奏楽部に入ることになったのだ。しかし、これがまた苦渋の日々!希望したトロンボーン配属になったはいいが、一つ上の先輩がなかなかのワル。まぁ、ワルというよりサルのような外見ではあったが、背が低かった彼はそういう点にコンプレックスを抱いていたのか、とにかく私にあたった。たしかに練習嫌いの私にも原因はあったが、冷静に教えることもできず、怒鳴ったり、殴ったりしているようでは練習どころか部活に行くのも嫌になってくる。しかし部活だけには行った。いろいろ言われたが、逃げ場はなかったし、何か意地のようなものがあった。私が中学2年にもなるとさすがに周囲にも「あの先輩はおかしい、我慢しているあいつは偉い」と、陰ながら応援してくれる人も多くなってくる。そうなるとなんとなく音楽も楽しくなってきた。そんなこんなで、吹奏楽で演奏する曲を聴くようになってきたのだ。

この頃からクラシック音楽を、ほんの少しだが、聴くようになった。小澤/ボストン響の「惑星」が初めて買ったCDだったろうか。これは吹奏楽部の顧問の先生が「惑星」の中の「木星」を演奏するにあたって「何枚か聴いたけど、これがいちばんいいな。」ということで買った。そして、プレヴィン/ウィーン・フィルの「展覧会の絵」。駅前のレコード屋で「展覧会の絵がほしい」と言うと、「これがいいよ」とどのジャンルにも精通していた店員の兄ちゃんが勧めてくれたのだ。この頃はほとんど管弦楽曲しか聴かなかった。管弦楽曲以外はオムニバスのCDだった。J-POP系ももちろん聴いていたが、少しマイナー路線が好きで、「愛は勝つ」が大ヒットする以前のKANなんかを聴いていた(^^ゞ他にこの時期に買ったクラシック関係の曲といえば音楽の授業でやったグローフェの「グランド・キャニオン」(ドラティ/デトロイト響…カップリングのコープランドもよく聴いた)、ドビュッシーの「海」「牧神の午後の前奏曲」(デュトワ/モントリオール響)あたりだった。

というわけで、Musikコーナーもこのあたりから始めていこうかと思う。


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