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2000/12/05-2001/02/23
Composer Index | Artist Index | Concert Index
2001/02/23
クリフォード・カーゾンのシューマン&シューベルト・ピアノ曲集
Robert Schumann(1810-1856)
・Fantasie in C major, Op.17
・Kinderszenen, Op.15 『子供の情景』
Franz Schubert(1797-1828)
・Wanderer-Fantasie in C major, Op.15, D760 『さすらい人』
Clifford Curzon(p.)
1954/3(Schumann),1949/7(Schubert),The Decca Studios,London(studio)/MONO
DECCA(Decca Regends),466 498-2(独・輸入盤)
【満足度】●●●●○クリフォード・カーゾン。私の好きなピアニストだ。私も数多くのピアニストを知っているわけではないが、その音色がよい。ピアノというのは楽器の中でも音を鳴らす、ということは一番簡単な部類に入ると思う。楽譜が読めなかったとしても、ドレミ、と譜面上にふっていき、この鍵盤がド、順番にレミファ・・・と教われば、簡単な曲だったらすぐにそれらしく弾ける。しかし、自分が気に入った音色を出す、ということはとてつもなく難しい。激しく弾きたい、と思っても、ガチャガチャ汚い音、頭を抱えてしまうような音が出るし、優しい音色を出そうとピアノに触れても、力の入れ方がおかしいのか、単に弱い音が鳴るだけになってしまう。そういった意味で、ピアニストというのは偉大だと思う。そんなピアニストの中でも、カーゾンの音色は私の好みに合った。それまでアルゲリッチのような力強いピアニストを聴くことが多かった。情熱的な指遣い、身体の内から燃え上がらせるようなあの音色。だが、弱音部で特別に感動したということはなかった。しかし、カーゾンのCDを聴いて驚愕した。ここまで弱音部がリアルに生きている音色は聴いたことがなかったからだ。
カーゾンはピアノを弾くのには特段のこだわりを持っていたようで、手が滑ってとなりの鍵盤を押してしまわないように鍵盤の上にヤスリをかけて滑り止めにしたとか、録音が嫌いで、若い頃にした数多くの録音も大半は満足行く出来でないと言ってリリースを拒否したという。よく言えばこだわり、だが、要は神経質だったのだろう。こんな音色は、神経質なくらいの人間でなければ出せない。この録音は1954年と1949年の録音で、モノラルながらデッカならではの優秀な録音で、多少のシャーというノイズ以外はあまり気にならない。特に、1954年の録音は下手なステレオよりも生き生きとしている。
最初のシューマンの『幻想曲』は、何と言っても終楽章だ。壊れそうな、それでいてきらきらと光る水滴のようなピアノの音色。街外れの林の中に続く雨に濡れた石畳、その奥にある古い家から聞こえてくるような落ち着きがある。続く『子供の情景』はこのCDのなかでもカーゾンのピアノの良さをよく表わしている。全編を通じて弱音部が多いこの曲は、何か柔らかいもので大切なものを包んだような、微妙な、いつ消えてなくなってもおかしくない雰囲気に包まれる。特に最後の2曲の落ち着きようといったら、聴いていて胸が苦しくなるほど美しい。続くシューベルトの『さすらい人』幻想曲も、やっぱり弱音の多いアダージョに、またしてもやられてしまった(苦笑)。
この録音は昨年、デッカのLegendシリーズでリリースされた。それまで知らなかった録音だし、古い録音だったのでさほど期待していなかったがこれほどのものだとは。私にとって欠かせないピアノ曲のアルバムとなった。
2001/02/21
ミトロプーロスの2つの『浄夜』
(ウィーン・フィル盤&ニューヨーク・フィル盤)
Arnold Schoenberg(1874-1951)
・Verklarte Nacht(Transfigured Night), Op.4 『浄夜(浄められた夜)』
Franz Schmidt(1874-1939)
・Symphony No.2 in E flat major
Dimitri Mitropoulos(cond.)
Vienna PO.
1958/9/28,Grosser Saal,Musikverein,Vienna(live)/MONO
Music & Arts,CD-991(米・輸入盤)
【満足度】●●●●● (『浄夜』のみ)前回ストコフスキーの浄夜を聴いたら無性にミトロプーロス&ウィーン・フィル盤を聴きたくなった。私はこの演奏が『浄夜』の理想の形の一つではないかと思っている。たしかに録音はモノラルだし、レーベルとしての"Music & Arts"もあまり信頼はしていない。それでも満足度5つをつけらるのは、これ以上の演奏を見つけるのは、過去にも今現在もこれからもおそらく無理だと思うからである。
演奏は濃厚の一言に尽きる。それでいてくどくないのはウィーン・フィルのなせる技か。そのウィーン・フィルの濃厚な弦楽が折り重なり、抑揚の効いたミトプー節が全開だ。まるでオーストリアの深い森に聴き手をいざなうかのように、一朝すれば夜のウィーンにいる気分になれるだろう。ただでさえ言葉で音楽を表現することが難しい『浄夜』だが、この演奏はなおさら表現が難しい。こんな表現で申し訳ないが、とにかく聴いてみて!、という感じである。お腹いっぱいのときに聴くと苦しいかもしれないけれど・・・(苦笑)
カップリングされているのはシェーンベルクと同年生まれのシュミットの交響曲第2番。曲調はR・シュトラウスと似ているが、時にラヴェル風になったと思えばディーリアスのように叙情的になったりで、個性がいまいち感じられない曲だった。ここ3日間毎日聴いているものの、聴いていてしんどいというのは否めない。聴きやすい曲ではあるのだが・・・。しばらく時間を置いて聴けばわかる日が来るのかもしれない。
なお、ミトロプーロスにはSONY CLASSICALからステレオで出ているニューヨーク・フィル盤もあり、こちらはこちらでよい演奏だ。ミトプーらしい抑揚の効いた演奏であることはウィーン・フィル盤と変わらない。しかし、ウィーン・フィルでないぶんだけ濃厚さがなく、時に演奏が薄っぺらく聴こえ、ライヴ特有の高揚感にも欠けている。演奏時間を比較してみると、
[ ウィーン・フィル盤 ] 31分06秒(1分ほどの演奏後の拍手含む)
[ ニューヨーク・フィル盤 ] 25分13秒となっており、前者のほうがじっくりと、深みのある演奏をしている。演奏時間での比較は少し好ましくないのかもしれないが、その他ステレオという点などを考慮しても私はウィーン・フィル盤を推したい。
最後に気になる録音について。冒頭で"Music & Arts"があまり信頼できないと書いたが、この時期のライヴ録音としては満足している。おそらくORFEOから出ている同時期のザルツブルク音楽祭の録音とさして変わらない程度だと思う。30分以上かかるこの演奏を1トラックしか使わないあたりはいささか乱暴だが。
(参考盤)
Arnold Schoenberg(1874-1951)
・Verklarte Nacht(Transfigured Night), Op.4 『浄夜(浄められた夜)』
Vaughan Williams(1872-1958)
・Fantasia on a theme by Thomas Tallis
Dimitri Mitropoulos(cond.)
The Strings of New York Philharmonic
1958/3/3,(studio)/STEREO
SONY CLASSICAL,SRCR 8463(国内盤)
2001/02/18
ストコフスキーの『浄夜』と『惑星』
Arnold Schoenberg(1874-1951)
・Verklarte Nacht(Transfigured Night), Op.4 『浄夜(浄められた夜)』
Gustav Holst(1874-1951)
・The Planets ,Op.32 『惑星』 *
Leopold Stokowski(cond.)
Sympony O.
Los Angels PO. and Women's Voices of the Roger Wagner Chorale *
1957/8/23,24,1956/9/2,3(*),Stage Seven of the Samuel Goldwyn Studio,Hollywood,California(studio)/STEREO
EMI(Angel),CDM 7243 5 67469 2 3(米・輸入盤)
【満足度】●●●●○音の魔術師といわれるストコフスキーのCDを取り上げたい。この指揮者について私がいまさら事細かに言う必要はないと思うが、クラシック音楽のいわゆる「大衆化」に大きく貢献した指揮者だろう。ディズニー映画『ファンタジア』でサウンドトラックを担当したり、ステレオ録音に積極的に関わったり、精力的な活動をした。今回取り上げたCDは、EMI系列のキャピトルレコードに録音したもので、今月再発売となったものだ。洋泉社の「クラシック名盤&裏名盤ガイド」という本にも取り上げられており、聴きたいと思って前から探していたが廃盤で手に入らなかったものだ。
さて、このシェーンベルクの『浄夜(浄められた夜)』という作品、私としてはほとんど馴染みがなかった。聴くようになったのは、例によってまた、生で聴くことになったから予習せざるを得なかったからだ。やはり就職前の旅行で、苦労して取ったウィーンのムジークフェラインでのマーティン・ジークハルト指揮ウィーン交響楽団の演奏会だった。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、そしてこの「浄夜」がプログラムだったが、「ロンドン」も未聴だったので、予習はかなり苦しかった(苦笑)。その演奏会のことは、また旅行記でも書く機会があれば書きたいと思っている。
ところで、この曲はリヒャルト・デーメルの詩「女と世界」の最初の詩を標題として書かれたものだそうで、弦楽六重奏として作曲された。その詩の大意はこうだ。
冬の夜、林の中をそぞろ歩く恋人である男と女。しかし女は別の愛してもいない男性の子供を妊娠しまったと告白する。男は月の光が降り注ぐ浄夜をたたえ、そんなことは許す、その子を自分の子供として産んでくれと言う。二人は抱き合い、肩を寄せつつ去っていく。
よくわからないが、だいたいこんな意味のようだ。正直言って「はぁ?」と思ってしまう。こんなことが許せるのだろうか?「愛してもいない別の男」と関係を持ってしまうような女とこれから先うまくやっていけるのか?という疑問が湧かずにはいられない。まだあなたもその男も好きだと言ってくれたほうが助かる。(ほんとに、もぅ。俺がまだ甘いのか?(苦笑))
そんなわけで、私としてはこの詩がどうのこうのはあまり考えないで聴くようにしている。音楽の標題というのは大雑把に捉えていればよいのであって、この部分はこの標題、などと考え始めると音楽を楽しむ幅が狭まってしまうように思う。私は、この曲の場合、
冬の夜、林の中を歩く男女が何か大切なことを話している。しかし浄夜はそれを何事もなかったかのように包み込む。
という程度の標題イメージで聴くようにしている。それで充分なのではないだろうか。ストコフスキーの演奏は、すっきりとしていて、冬の冷たい夜を思い起こさせるような繊細さを持っている。ミトロプーロス&ウィーン・フィルのような濃厚な演奏(今後紹介したい)も素晴らしいが、このストコフスキーのアプローチもステキだ。月夜の下、何も考えないでこの演奏に浸っていたい、そんな気持ちにさせる。心から落ち着きたいときはこんな演奏がよいのではないだろうか。
なお、カップリングの『惑星』の作曲者、ホルストはシェーンベルクと同じ年に生まれていたのだ。ストコフスキーの演奏はこちらもすっきりタイプでステレオ効果を狙った秀逸な演奏だと思う。ときどきこんな表現するんだ、と、ドキッ、とさせてくれる部分があるのもストコフスキーらしくていい感じ。新しい発見があるかも。
2001/02/08
コンドラシンの≪ペトルーシュカ≫,ボロディン:交響曲第2番
Igor Stravinsky(1882-1971)
・Petrouchka, Burlesque in four scenes (1947) ≪ペトルーシュカ≫(1947年版)
Alexander Borodin(1833-1887)
・Symphony No.2 in B minor *
Kirill Kondrashin(cond.)
Amsterdam Royal Concertgebouw O.
1973/2/8,1980/6/6(*),Concertgebouw,Amsterdam(live)/STEREO
PHILIPS,PHCP-9241(国内盤)
【満足度】●●●●○実は、少し恥ずかしいが、ストラヴィンスキーという作曲家は、つい最近まで駄目だった。『火の鳥』とか、『春の祭典』とか、聴いてみても、何が何だかさっぱりわからなかった。もちろん、今回取り上げる『ペトルーシュカ』とて、例外ではない。
1999年の11月、私はようやく就職も決まり、残り少ない自由な時間を謳歌していた。自転車で京都の好きな場所を訪れたり、思いつきで演奏会を見つけては出掛けていったりしていた。ある日、京都の街をうろつき、その途中でたまたま京都コンサートホールの前を通りかかった。ふと、いいコンサートがあればチケットを買っていこうと、プレイガイドまで足を伸ばした。案内には『京響第419回定期演奏会〜ウーヴェ・ムント指揮』が11月19日に行われると書かれていた。その次の定演は12月27日の第九で、その頃は既に京都を離れている。最後の定演か・・・聴きに行こうかな、と思った。しかし、その思いは曲目を見た瞬間、急激にしぼんでいった。
● プロコフィエフ:交響組曲『3つのオレンジへの恋』
● ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
● ストラヴィンスキー:舞踏音楽『ペトルーシュカ』(1947年版)
・・・なんだい、こりゃあ。『3つのオレンジへの恋』の有名なワルツの部分を知っているだけで、あとは苦手なストラヴィンスキーやらプロコフィエフ。聴いたことすらない。聴くのはあきらめよう。しかし・・・私はプレイガイドの前で考えあぐねた結果、「最後なんだから!」と一番安いP席1,500円を購入した。だが、2週間後の演奏会は、結局よくわからなかった(^^ゞ。しかしながら、何らかのきっかけはもらい、その後も何度も聴き、ようやくこの曲が好きになってきた。現段階で、私がいちばん好きな演奏はこのコンドラシン盤だ。1978年に当時のソ連からオランダに亡命したコンドラシンだが、この演奏は亡命前の1973年のコンセルトヘボウとのライヴである。第1曲の「謝肉祭の市場」から盛り上がり方がすごい。鮮やかなストラヴィンスキーの音楽がコンセルトヘボウの演奏と、コンドラシンの指揮によってザクッとえぐり出されている。テンポ感も高揚感も素晴らしく、主題がさまざまな楽器で奏でられていく部分は聴いていて切れ味がよい。ピアノのクラシックらしからぬ感じも○(マル!)。第2曲の「ペトルーシュカの部屋」では、フルートのソロとオケの掛け合いが聴きものだろう。第3曲の「ムーア人の部屋」ではトランペットのソロがツライ部分があるが、ライヴならではのものだろう。第4曲目の『謝肉祭の日の夕方』は最後の曲らしく、今まで以上にオケの盛り上がりと音の厚みが聴き逃せない。終楽章ではトランペットも調子を取り戻し、コンドラシン的な咆哮を聴かせている。それでいて行き過ぎない、バシッとした音楽を作り上げているのはこのコンビの相性の良さだろうか。なかなか血湧き肉踊る演奏だった。
さて、このCDでは『ペトルーシュカ』以上に素晴らしい演奏が納められている。それがボロディンの交響曲第2番だ。知名度はいまいち低いようだが、私はロシアの泥臭さ(第1楽章)、ロシアの大自然とエキゾティックな雰囲気(第2楽章)白ロシアあたりのイメージであるロマンティックなメロディ(第3楽章)、広大で豪快なロシアそのもの(第4楽章)を持ったこの曲が好きだ。まあ、個人的な勝手なイメージではあるが(苦笑)。こちらはコンドラシンの亡命後の演奏で、なかなかかっとびな演奏を聴かせてくれている。私の持つイメージ通り、第1楽章では重厚な腰の低い音楽をずんずんと押し進めていく。この曲の白眉である第3楽章はホルン・ソロから始まり、前述の通りロシアのロマンティックなイメージにピッタリである。しかも、ただロマンティックなだけでなく、ちゃんと雄大で力強さも兼ね備えた演奏だ。そして第4楽章。ここの豪快さがこの曲の命だ。う〜ん、期待通りの演奏。ラストに迫るに従って力強さが増していく。大音量で深夜に聴いたら気持ちいいだろうなぁ(←悪趣味!)。
両曲ともコンドラシンは切れ味がよくテンポがいい。それでいて豪快な音楽を聴かせてくれている。これぞコンドラシン節、といったところだろうか。亡命には政治的背景もあり、私がどうこう述べられるものではないが、死の直前の最後の3年間をコンセルトヘボウの常任客演指揮者として多くの録音をフィリップスの高音質で残すことができたのはコンドラシンにとって、そして何よりも我々音楽ファンにとって幸福なことだったと思う。今後はベートーヴェンの『英雄』など、廃盤になってる商品も含めてリバイバルしてほしい。
2001/02/03
カンポーリ・クラシックス
〜チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲
Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)
・Concerto for Violin and Orchestra in D major,Op.36
Ataulfo Argenta(cond.)
Alfredo Campoli(vn.)
London SO.
1956/12/27-28,Kingsway Hall,London(studio)/STEREO
Sir Arthur Bliss(1894-1975)
・Concerto for Violin and Orchestra(1955)
・Theme and Cadenza for Violin and Orchestra
Sir Arthur Bliss(cond.)
Alfredo Campoli(vn.)
London PO.
1955/11/9-11,Kingsway Hall,London(studio)/MONO
BEULAH(CAMPOLI CLASSICSV(3)),3PD10(英・輸入盤)
Original recording by courtesy of the Decca Record Company Limited.
【満足度】●●●●○アルフレッド・カンポーリはヴィルトオーゾ・ヴァイオリニストとして有名な人。しかし、あまりCDを出していないこと、日本においてヴィルトオーゾが立場的に「クラシックなのに超絶技巧を披露して、ハデハデ、なんてお下品なんざましょ!」という風潮が戦後長く続いたことからあまり知られていない。私もこのCDを手に入れるまでは存在を知らなかった。このCDを買うきっかけとなったのも「指揮者が情熱的なスペインの指揮者・アルヘンタだった」からで、カンポーリだから買ったというわけではなかった。
このCDはブリスの協奏曲なども併録されているが、あまり知らないし、ブリスのほうはモノラルだったので、チャイコフスキーから聴きはじめた。出だしからオケが情熱的、さすがアルヘンタ、などと感心して聴いているとヴァイオリンが交わりはじめ、知らないうちに、完全にヴァイオリンのうまさに魅了されてしまっていた。緩急など自由自在、音の強弱も、まるでそれが自分の体の一部分であるかのように自在に操っている。しかも、1956年というステレオ初期とは思えないほど録音がよく、ヴァイオリンの技巧の細かい部分まであますことなく伝えてくれている。さすが、デッカの優秀な録音技術だ(しかし、このCDはデッカの版権から離れてしまっている。なんともったいない!デッカが出せば、もっと広く流通するのに)。もちろん、アルヘンタの伴奏もすごい熱の入りようだ。おそらく、独奏伴奏ともども、ここまで情熱的な、そして個性的なチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は他にないだろう。そして、終楽章など、壮絶な勢いかつ、聴かせどころではヴァイオリンを巧みに操り、圧倒的な力強さで走りきる。
併録されているブリスのヴァイオリン協奏曲はカンポーリのために書かれた作品で、伴奏指揮は作曲者自身が買って出ており、この録音が初録音だった。こちらはモノラルだが、やはりカンポーリの技巧を聴くことができるし、録音も優秀だ。超名曲という曲ではないが、比較的聴きやすく、それでいて叙情的に過ぎることもないので一聴しておきたい。ひょっとしたら気に入るかも。
それにしても、ヴィルトオーゾは下品だといって聴かない人はずいぶん損をしていると思う。クラシックも音楽、体で「感じる」部分が大切だと思うし、この部分こそが音楽において大切だと思う。そんなに出回っていないが、CDショップで見つけたら迷わず買うことをお勧めする。
2001/01/25
アンドリュー・ロイド=ウェッバーのレクイエム
Andrew Lloyd Webber(1948- )
・Requiem
Lorin Maazel(cond.)
Placido Domingo(T), Sarah Brightman(S),
Paul Miles-Kingston(Treble)
Winchester Cathedral Choir
English Chamber O.
1984/11/20-22,Abbey Road Studio No.1,London(studio)/STEREO
LONDON,POCL-1628(国内盤)
【満足度】●●○○○この作品はネット上で知り合った方に教えていただいた。1995年に作曲され、同年に初演及びレコーディングを行っている。全米チャートで1位になり、米英両国で各10万枚以上売れたという。その割りに私はこの存在を知らなかった。まあ、正直言うと、天の邪鬼というか、判官びいきな私はこの手のものを無視しがちなのだ(^^ゞ
さて、このCDを紹介されたとき、アンドリュー・ロイド=ウェッバーとは誰ぞや?と思った。おそらく現代作曲家の一人で、悲歌のシンフォニーを作曲したグレツキみたいな人かと思っていた。が、それは大きな誤解だった。『オペラ座の怪人』や『キャッツ』といったミュージカルの超有名作品を作り上げたミュージカルの作曲家だったのだ。ああ、それだったら知ってるぞ、たしかにキャッツはなかなかよかったな、と思い出してみたものの、その人がレクイエム?というのが不思議ではある。どうやら父親のウィリアム・ロイド=ウェッバーが亡くなったことが動機の一つであることは確かなようだ。指揮にマゼール、テノールにドミンゴ、ソプラノには作曲者の妻:サラ・ブライトマン(最近、彼女のアルバムもヒットした。折があれば紹介しようと思う。なんと、アンドリューの奥様らしい!知らんかった〜)を起用し、力の入れ様も尋常ではない。しかし、この音楽を聴くにあたって、過去に大ヒットしたとか、作曲者がミュージカルの大作曲家であるとか、演奏家が有名であるという事実はなるべき排して聴くように心掛けた。往々にして、そういった先入観は、作品に対して正当な判断を妨げると感じているからだ。(ま、私の場合は直感に基づいたいい加減な感想が主なので、余計そういった情報が悪いほうに作用しがち、ということもあるが・・・)
第一曲目の「レクイエムとキリエ」は、なかなかに美しい。フォーレ的な面があるが、次第にヴェルディ的になるという少しついていけない一面があるのも事実か。第二曲目の「怒りの日・御稜威の大王」は、合唱が非常に現代的。少し表面的な表現のような。第三曲目「レコルダーレ」は非常に壮大な、宇宙を思わせるような音楽。第四曲目「私は嘆く・涙の日」は・・・って一曲ごとに書いてみるものの、どうも捉えどころがない。どうも、一曲の中で雰囲気が大きく動き、それが曲のイメージを混乱させ、全体からみると、どうも構成力に欠けている気がする。特に4曲目と5曲目はその感が強い。第六曲目「ホザンナ」、これはロイド・ウェッバーの本領発揮といえそうだ。この曲の前半はまさにミュージカル的で、聴いていて気分がよい。ちょっと折り込み方が強引な気もするけれど…。さて、この曲のメインは何と言っても第七曲目の「ピエ・イエス」。ボーイ・ソプラノの美しい歌い口、澄んだ声、優しいメロディライン、心から落ち着く曲だ。第八曲目、「聖体拝領唱と赦祷文」だが、赦祷式という儀式のときに流れる音楽よろしくまさしく音楽自体が儀式のようだ。
結論からすると、正直言っていまいちではないのかなぁ、と。たしかにピエ・イエスは素晴らしいし、いろいろな音楽から手法を取りいれているのだとは思うけれど、ごった煮状態で、レクイエムというより合唱曲集といった趣が強いような。それでもこれだけ売れているということは私の感性が違うからなのか。でも、やっぱり私はアンドリュー・ロイド=ウェッバーだったらこの曲の演奏会に行くよりミュージカルのほうが見たいぞ(笑)。
というわけで、今日はここで終わりにしようかと思ったものの、どうも欲求不満が…(;-_-)
では、アンドリューのお父さんはどんな音楽を書いていたのか、ということでもう一枚紹介。
ウィリアム・ロイド=ウェッバーの作品集
〜≪インヴォケーション≫
William Lloyd Webber(1914-1982)
・Serenade for Strings (1)
・Invocation (2)
・Lento (3)
・Three Spring Miniatures (4)
・Aurora - tone poem for orchestra (5)
・Nocturne (6)
・Love Divine,All Loves Excelling (7)
・Benedictus (8)
・Mass:'Princeps pacis' (9)
・Jesus, Dear Jesus (10)
Richard Hickox(cond.)(1-5,7,9)
Tasmin Little(vn.)(8), Skaila Kanga(hp.)(2,5,6),
Julian Lloyd Webber(vc.), Ian Watson(org.)(6-9),
Hollie Cook(S)(10),
Choir of the Arts Educational School,London
The Westeminster Singers, City of London Sinfonia
1997/7/24,25,1997/7/8(6,8),1997/11/14(10),
All Saints Church,Tooting,London(studio)/STEREO
CHANDOS,CHAN 9595(英・輸入盤)
【満足度】●●●○○((5)までは●●○○○)アンドリュー・ロイド=ウェッバーの父親、ウィリアム・ロイド=ウェッバーの作品集。ウィリアムはロンドン音楽大学の学長を務め、妻はピアノ教師だったそうだ。このCDにはアンドリューの弟であり、チェリストのジュリアン・ロイド=ウェッバーも参加しており、まさに音楽一家といえそうだ。ウィリアムの作品はCDとしても少なく、前出のレクイエムの発表後に録音されていることから、アンドリューのレクイエムのヒットで、父親にも光が当てられ企画されたアルバムだろう。
『弦楽のためのセレナード』(1)はイギリスのディーリアスらの感情移入型の曲をさらに感情を込めたといっていいような作品。続く『インヴォケーション(祈り)』(2)では、さらにその傾向が強まり、まるで映画音楽かドラマ音楽のようだ。私には少し感情過多といった印象ではある。その点『レント』(3)のほうがシェーンベルク的であり、聴きやすい(でも、まだまだ濃い)。そのあとの『3つの春のミニチュア』(4)は、その傾向が弱まり、非常にイギリス風で、聴く側に考える余裕を与えてくれている。次の『オーロラ』(5)は壮大ながら、特に感心しない。ハープとチェロによる『ノクターン』(6)は、2つの楽器の美しさを充分に引き出した作品で佳作だろう。チェロが息子のジュリアンの手によるものであるためか、より一層美しさが際立っている。『聖なる愛かな、すべてに勝る神の愛』(7)は、オルガンと合唱がうまく和音を奏で、美しい神への合唱曲だ。『ベネディクトゥス』(8)はヴァイオリンとオルガンのための作品。ウィリアム自身の結婚式のために作曲された曲で、『聖なる〜』以上に2つの楽器が和声を美しく織り成し、印象的だ。ミサ曲『平和の主』(9)は、オルガンと合唱で構成され、おそらく内容的にもアンドリューのレクイエムにも影響を与えているのではないかという印象を受けた。しかしこちらのほうが構成的にしっかりしており、全体が美しく、曲の流れを断つようなことは皆無で、いい意味でクラシックの作曲家らしい。『イエス、愛するイエス』(10)は、クリスマスキャロルとして作曲された。導入が少年合唱で、オルガンをバックにいとおしい歌声を聴かせる。聖夜にふさわしい曲だろう。
全体を通して聴いてみて、前半5曲目までは、「えらいCDを買ってしまった」と後悔していたが、(6)以降でその思いは覆った。この作曲家は和声を頻繁に用い、美しさを引き出すことが好きなようだ。いずれも流れるように美しい曲ばかりで、叙情的にすぎ、当時批判されたという事実も納得できてしまう。たしかに若干くどい曲もあったが、オルガンや合唱を用いた作品では独自の世界を作っており、癒しの音楽としては最適ではないか。私としては(8)、(9)、(10)が気に入った。特に『イエス、愛するイエス』(10)などは、アンドリューのピエ・イエスより美しいだろう。このCDを聴いた限りでは、合唱曲においてアンドリューが父・ウィリアムを超えたとは言えなさそうだ。
2001/01/19
ヒコックスのベートーヴェン交響曲全集より〜≪田園≫
Ludwig van Beethoven(1770-1827)
・Symphony No.6 in F major,Op.68 "Pastoral"≪田園≫
・Overture"The Creatures of Prometheus",Op.43
・Overture"Coriolan",Op.62
Richard Hickox(cond.)
Northern Symphonia of London
(C)(P)1984/1985,(studio)/STEREO
ASV(Quick Silva Series),CD QS 6053(英・輸入盤)
【満足度】●●●●○今回は英国の小編成オケ:ノーザンシンフォニア・オブ・イングランドと英国人:ヒコックスによるベートーヴェン交響曲全集から≪田園≫を紹介したいと思う。日本ではイギリスのオケや指揮者というと、独墺と比べて「貧弱」「貧相」「しょせん島国」などと言われて、お国もの以外見向きもされない時期が長く続いた。半分事実だったにしろ、くだらない評論家の言葉に惑わされて聴きもしないのにそう思い込んでいたという部分が大きいと思う。個人的好みはあるにしろ、ロンドン響など、フランスあたりのオケよりよほどうまいし、独墺の片田舎のオケより立派な音楽を聴かせてくれる。イギリスのそうした不当に低い評価を払拭してくれるのがこの演奏だ。実のことを言うと、私はベートーヴェンの交響曲の中でも≪田園≫は苦手なのだ。まどろみに誘うような音楽で、重厚にやろうが古楽器でやろうがどうも食えなかった。それでも聴きやすい音楽なので何枚もCDを持っているが、巨匠たちの演奏でもどうもぼやけている。もうこの曲の名演を探すのをあきらめていたとき、なんとなくでヒコックスの全集を買った。分売なので≪田園≫を買う必要はなかったのかもしれないが、とりあえず、ということで買ったのだ。だから、聴くときも「とりあえず」で聴いたのだが、まさに目から鱗であった。
まず何と言っても、くっきりと、クリアな演奏だったということだ。ここには大編成オケの重厚さも古楽器オケの身軽さもなかったが、第一楽章から音楽が自然に耳に入り、目の前に田園風景が(それも、くっきりとした、現実的な姿で)浮かんできた。その思いは第3楽章の『田舎の人々の楽しい集い』でますます強くなり、第4楽章の『雷と嵐』ではその強靭な表現力に驚かされた。終楽章の『牧歌。嵐のあとの喜びと感謝』では、のびやかで張りのある演奏で、今まで感じたことがなかった立体的な包み込むような演奏が聴けた。≪田園≫を聴いて眠くならなかったのは何年ぶりだろう。それどころか、音符のひとつひとつが生き生きとしていて気持ちがうきうき、そして少し興奮した。
それにしても、ASVという英国のレーベルはなかなか企画がよい。チェクナヴォリアンのメキシコ音楽集といったマニアックなものから、チョン・ミュンフンのドヴォルザークのセレナード集など、まさに、かゆいところに手が届くラインナップ。そして、今回の演奏が収録されていた廉価盤の"Quick Silva"シリーズは英国内のオケや指揮者の演奏が1000円前後で買える。演奏は当たりあり、ハズレありだが、日本でも同じように「日本のオケや邦人指揮者や演奏家」の廉価盤シリーズをどこかのレーベルが出してくれないだろうか。そうすれば国内の演奏家に対する関心も高まり、演奏の質のみならず、演奏家の自信にもつながり、何がなんでも海外オケ、という現在の風潮も変わるのではないだろうか。イギリスと日本、同じ島国でも、かたや斜陽と言われつつも自国に対するプライドを持ち、一方は経済大国と言われつつ、自国の文化のほうは崩壊し、欧米人に憧れ続ける、という風潮は両国の大きな違いのように思える。まだ日本には誇れる文化や技術があると思うし、それが不十分な分野はこれからが創っていくことができると思う。なぜか日本の文化政策に一石を投じる文章になってしまったが(爆)、どうだろうか?
2001/01/15
【Concert Report】
ポーランド国立歌劇場&中丸三千繪
〜ヴェルディ:歌劇≪椿姫≫
Giuseppe Verdi(1813-1901)
La Traviata〜歌劇≪椿姫≫
Jacek Kaspszyk(cond.)
National Opera,Warsaw O."Teatr Wielki Warszawa"
Michie Nakamaru〜中丸三千繪(S/Violetta),Zachos Terzakis(T/Alfredo)
Adam Kruszewski(Br/Germont),Anna Lubanska(MS/Flora)
2001/01/14,17:30-20:30 Ibaraki Kenmin Bunka Center Hall,Mito,Japan
〜茨城県水戸市、茨城県民文化センター大ホール
【満足度】★★★★☆この公演は私にとって国内初めてのオペラ鑑賞となった。今まで生でオペラを見たのはプッチーニ≪蝶々夫人≫、ヴェルディ≪アイーダ≫、モーツァルト≪フィガロの結婚≫なので、4回目となる。前の3作はいずれも海外で・・・と書くと、かっこいいが(爆)、オペラは海外のほうが断然安い。プレミエ公演や超大物歌手の出演でもない限り、最高位の座席でも5,000〜15,000円程度だし、一番安い座席だったら1,000円しないところも多い。しかし、日本だとその2〜3倍はくだらない。このポーランド国立歌劇場も、東京だと22,000円もする。今回は水戸での地方公演なのでA席7,000円だったが、それでも現地の倍くらいだろう。しかしながら、国内ではずいぶん安い部類に入るし、世界的にも活躍している地元茨城県下妻出身の中丸三千繪がヴィオレッタ役で登場、その他キャストはオール海外メンバーということで、期待は高まる。
当日は早めに水戸入りしたが、あたりをぶらぶらしているうちに夕食をとったりで時間が経ち、会場に入ったのは開演20分前だった。会場の茨城県文化センターは特別豪華というわけではなかったが、収容人員は1,700人ほど、オペラを公演するホールとしては、これぐらいの人数が最大限だろう。シートなど、ホールの古さが程よい感じで、オペラ向きといった感じだ。「狭いホールだ」と述べている東京から来たらしい人もいたが、東京の競技場のようなホールでいつも聴いていると、そういう意識になってしまうのかもしれない(って、かなりアンチ東京入ってる(^^ゞ)。それにしてもオペラの公演というのは他のクラシックの公演に比べて女性、特におばさま層が多い。若い女子学生が多いのは合唱関係だろうか?交響曲のコンサートだと、8割方男性ということも多いので、これには少し驚いたが、いろいろな客層がいるというのは喜ぶべきことだろう。
さて、演奏のほう。かなしげな序曲の導入が鳴り響くと、胸が高鳴る。幕が上がると、立派なサロンが舞台の上に出来上がっていて、ドレスを身にまとった女性や、正装した男たちがいる。にわかの地方公演とは思えない豪華さである。みるみるうちにオペラ独特の高揚感に襲われて、オペラにのめり込んでいった。ありがたいことに日本語字幕もついていて、楽章ごとの大まかなストーリーだけを頼りにCDを聴いていた私にとっては、視覚的効果と台詞が重なって、実に理解しやすく、これものめり込む要因になった。オケ、中丸ともに美しい歌い口で、聴いていて疲れるところがない。第1幕最後のカヴァレッタ「花から花へ」も、マリア・カラスで予習してきた私にとっては少し煮え切らない部分もあったものの、女性的という意味では中丸に軍配が上がりそうだ。第2幕では、アルフレッド役のテルザキスと、その父ジェルモン役のクルシェフスキーが存分に力を発揮していた。特にアリア「プロヴァンスの海と陸」では、気持ちの入った歌いっぷりで、会場を沸かせた。しかし、やはり今回の公演でもっとも見物だったのは最後の第3幕だろう。病に伏したヴィオレッタを不健康かつ力強い歌声で演じることができる中丸のオペラ歌手としての力を感じた。 死を間近にアルフレッドが来ることを信じて歌う諦観のヴィオレッタ、そしてようやく現われたアルフレッドに体全体で喜びを表現する姿は迫真の演技で、最後の生き返るのか、生き返って欲しい!しかし・・・ヴィオレッタの死で幕が下りていく部分は、恥ずかしながら、目頭が熱くなった(^^ゞ。終演後のカーテンコールも熱烈な拍手がいつまでも続き、メンバーも中丸の故郷ということを知ってか知らずか、サービス精神いっぱいに何度もその拍手に応えてくれた。この雰囲気は、ヨーロッパの歌劇場での雰囲気以上のものがあったと思う。
日本人の活躍の星、中丸の里帰り公演となった今回の公演は予想以上の盛り上がりで、私としても大満足だった。驚いたことには、3時間という長丁場だったにもかかわらず、時間が経つのがあっという間だったということだ。感覚としては半分くらいだった。それだけ魅力ある公演だったということだろう。また、メール友達の話では、ルチア・アリベルティがヴィオレッタ役を務めた横浜公演もなかなかのものだったという。今年はあと何度かオペラにも行きたいと思う。
2001/01/08
オーマンディのヴェルレク
&シッパーズのロッシーニ「ステーバト・マーテル」
Giuseppe Verdi(1813-1901)
・Messa da Requiem
Eugene Ormandy(cond.)
Lucine Amera(S), Maureen Forrester(MS),
Richard Tucker(T), George London(B), Westminster Choir
Philadelphia O.
1964/5/14,15,Manhattan Center,New York City(studio)/STEREO
Gioacchino Rossini(1792-1868)
・Stabat Mater
Thomas Schippers(cond.)
Martina Arroyo(S), Beverly Wolff(MS),
Tito del Bianco(T), Justino Diaz(B), Camerata Singers
New York PO.
1965/1/18,2/2,9,Manhattan Center,New York City(studio)/STEREO
SONY CLASSICAL(ESSENTIAL CLASSICS),SB2K 53 252(米・輸入盤・2CD)
【満足度】●●●●○+新年第1回目の"Musik"は、このCDを取り上げようと思う。実はこのCDはネット上で知り合ったけええのうぇぶぺーじのWeb Masterであるけええさんが、強力に推薦していたものである。もう、2〜3年前か、京都でオフ会があったおり、彼と話したのだが、「多くの人が固定観念で音楽を聴いていて、(評論家や雑誌などで)評価が低い演奏家の演奏は聴きもしないのにたいしたことないと思い込んでいる。たとえばオーマンディのヴェルレクなんて、かなりいい。」というようなことを話した。私も、世間のオーマンディの評価の低さには実際の録音とのギャップを感じていたので、多いに同感だった。ただ、ヴェルディのレクイエム自体、当時ほとんど聴かなかったので、気には留めていたものの、今の今まで聴かなかった。最近になってこの曲も聴くようになり、今年の買い初めの際、名古屋は栄のタワーレコードで比較的廉価で売られていたので購入したのだ。
まず、このヴェルレクのすごいところはテレビ番組やCFで取り上げられる「怒りの日」の部分以外も飽きることなく聴かせてくれるということだ。これは、当然のようであって、今まで聴いたCDでは実現させてくれなかった。爆演の誉れ(?)高いパイタ盤は「怒りの日」こそすごいが、他の部分はかなり退屈させられる。昨年高音質でCD化されたデッカのライナー盤は完成度が高く、全体に聴きやすいはずなのだが、やはりすべて聴き通すとかなり疲れ、もう一度手にとって聴こう、という気にはなれない。これはおそらく、ヴェルディの曲自体が破天荒で精神的に疲れるものだからだろう。では、オーマンディ盤はどうなっているかといえば、破天荒と思っていたものが、何とも美しい。こういう書き方はおかしいが、モーツァルトやフォーレのように「レクイエム」しているのである(今まで、私はヴェルレクを「レクイエム」としてはどうも聴けなかったように思う)。だから、演奏も、独唱も、合唱も澄んでいて、和音を心掛けていて、鑑賞していてとても心地よいのだ。今までは「臨終のときにヴェルレクだけはやめてくれ!」と思っていたが、この演奏だったらお願いしたくなるほどだ。しかも、ソニーの録音が優秀なことも特筆できるだろう。
さて、カップリングはシッパーズの指揮したロッシーニ作曲の「ステーバト・マーテル」。こちらはこちらで本当に力強い。シッパーズは1930年生まれのアメリカの指揮者で、バイロイト音楽祭にアメリカ人として初めて指揮したなど、かなりの実力派だ。しかし、1977年、ガンのためこの世を去った。同年生まれのマゼールが現在、巨匠として活躍していることを考えると、50歳前での死は、あまりにも早すぎただろう。そのような話を別にしても、30代半ばでのこの演奏は力強く、何とも生き生きとしている。こちらも必聴と言えるだろう。ちなみに、この曲を1970年に録音したイシュトヴァン・ケルテスも1973年に43歳で水難事故により死亡している。この二人が現在生きていれば、ずいぶんクラシック業界も元気だったような気がするのだが、この曲には何か因縁でもあるのだろうか。偶然ではあろうが、気になってしまう。
2000/12/14
【Concert Report】
−大江戸線全線開通記念−
新星日本交響楽団・21世紀コンサート
〜『皇帝』と『新世界より』
Richard Wagner(1813-1883)
・"Die Meistersinger von Nurnberg"−Prelude to Act 1
Ludwig van Beethoven(1770-1827)
・Piano Concerto No.5 in E flat major,Op.73 "Emperor"≪皇帝≫*
Antonin Dvorak(1841-1904)
・Symphony No.9 in E minor,Op.95 "From the New World"≪新世界より≫
Shigeo Genda〜現田茂夫(cond.)
Kyoko Tabe〜田部京子(p.)*
Japan Shinsei SO.〜新星日本交響楽団
2000/12/12,19:00-21:10 Bunkyo Civic Hall,Tokyo,Japan
〜東京都文京区、文京シビックホール
【満足度】★★★☆☆+「なんじゃそりゃ?」そう思う方もいると思う。何と言っても今回行ったコンサートの冠には「大江戸線全線開通記念」なんて文字がついていて、後援が東京都交通局だったりする(爆)。この手のコンサートは、あまり期待できないのだが、ふとしたことで行くことになった。この日は仕事を休んだので、東京にふらりと来ていたわけだが、せっかく来たのだから、何かコンサートに行こうと考えていた。サントリーホールでは秋山和慶指揮・東京交響楽団の第九があったのだが、年末の第九の雰囲気はあまり好きでないし、一人で聴くとなればなおさら場に不釣り合いだと考えた。そもそも、あの長丁場を聴く気もなかった。他には室内楽などもあったが、結局このコンサートに決めた。『新世界より』は、あまり好きな曲ではないが、『皇帝』は生で聴いたことがない。しかも、ピアノは田部京子だ。以前、洋泉社あたりの本で彼女のシューベルトを誉めていたので興味があった。それに、この有名曲目白押しのプログラムならば予習をする必要がない。リフレッシュで休んだ日には持ってこいだろう。
文京シビックホールは東京ドームのすぐ前、文京区役所のビルの一部を占めている。地下は営団地下鉄丸の内線・南北線の後楽園駅、都営三田線・大江戸線(!)の春日駅に直結していて、地上はなんと26階建て、25階と最上階は展望ラウンジになっている。こんないい環境で働いている公務員は贅沢だな、と思う。公務員の環境というのも格差が大きいものだ。そんなことを思いつつ、展望ラウンジにあがる。すでに6時を過ぎ、東京の夜景を一望できた。ただ、一番景色のいい南側の皇居・東京タワー方面はレストランが占めていて、見ることができない。まあ、1000円程度から食事ができるようだったので、機会があれば入ってみるのもいいかもしれない。さて、ここの2階にある文京シビックホールだが、定員1500ほど(推定)の標準的な広さだ。造り自体はオーソドックスで、私としては好きだ。ちょっとシートがへんで、空調がシートの後ろから出てくる造りのようだ(わけわからん)。私の席は前から11列目、舞台に向かって左寄りのほうだった。ここからだとピアノの指遣いも見えるかな、という期待があったが、ほぼ期待通りだ。客の入りは約5割、やや年齢層が高いように感じられた。
最初のワーグナーはほんの肩慣らしといったところか。現田の指揮は、キビキビしていて、なかなかに格好がいい。30代後半といったところだろうか、がっちりとした感じで、ひげも生えているので頼り甲斐のある兄貴といった感じか。続いて、『皇帝』。田部は写真より少し歳をとったかな、という感じだが、きれいな人だった。第1楽章を聴いて感じたが、田部のピアノの音色は非常に繊細だ。弱音を非常に大切にし、そんな部分は注意深く、集中して音のひとつひとつに気がこもっているように感じた。よく聴いていないとオケにかき消されてしまいそうだが、その辺はオケと源田がうまくやってくれていた。続いて第2楽章のアダージョだが、これは白眉だった。田部のシューベルトが誉められていたと書いたが、これでシューベルトを弾くというのならばぜひ聴いてみたい。音色のイメージとしては、カーゾンと通じるところがあると思う。私はCDで聴くピアニストの中でカーゾンが気に入っているので好きな音色といえるだろう。そういう意味では、きらびやかな場面の多い『皇帝』との相性が必ずしもいいというわけではないだろうが、聴いてみればそれはそれで微妙なバランスが好きな演奏となる。終楽章はまさしくそのバランスが大切だと感じたが、全体を通しても田部の個性的かつ繊細なピアノが光った演奏だった。
続いては『新世界より』。私としては『皇帝』が目当てだったので、以前京都でこの曲を聴いて頭痛した経験も含め、まったく期待していなかった。第1楽章はあまり乗り気でなく聴いていたが、聴いているうちに「これは聴きやすいな」と感じた。第2楽章の通称「家路」の部分では、余計な感情が入っておらず、上空から大都会の夜景を眺めているような、洗練された演奏を聴くことができた。聴いていて感じたのだが、この演奏を一言で表わすならばクール&スマートということになる。しかし、終楽章はそれだけでなく、さっそうとしたテンポの取り方と、ヴァイオリンの音色を際立たせた力強い演奏となった。あれだけ力強いにも関わらず、推進力はまったく衰えず、スキッとした演奏をする現田の指揮はなかなか評価できると思う。高い年齢層にも関わらず、盛大な拍手(しかも、時間をかけて拍手の音がだんだん大きな音になっていく)に応えアンコールではブラームスのハンガリー舞曲第1番を披露。その後も鳴り止まない拍手に「じゃあね!」という感じで手を挙げて舞台をあとにする現田の姿が、今日の演奏を表わしていたと思う。何とも都会的でスタイリッシュな、大都市・東京の地下鉄の開通にふさわしい演奏会だった。
なお、新星日本交響楽団は来年2001年4月より東京フィルハーモニー交響楽団と合併するという。おそらく私がこの形で聴くのは最初で最後となると思うが、よい思い出にもなった。私は、映画を見たあと主人公と自分を重ねた行動をとってしまうのと同じように、さっそうと会場をあとにした。
2000/12/11
【Concert Report】
第14回ショパン国際ピアノ・コンクール・イン・ジャパン
〜入賞者によるコンサート・ショパンの2つの協奏曲 ほか
Ludwig van Beethoven(1770-1827)
・Overture Coriolan
Frederic Chopin(1810-1849)
・Piano Concerto No.1 in E minor,Op.11
・Ballade No.4 in F minor,Op.52
・Piano Concerto No.2 in F minor,Op.21
Kazimierz Kord(cond.)
Chen Sa(p.)-Op.11
Alberto Nose(p.)-Op.52
Friter Ingrid(p.)-Op.21
Warsaw Philharmonic National Orchestra of Poland
2000/12/02,18:00-20:20 Sakura Mate,Kumagaya,Japan
〜埼玉県熊谷市、熊谷文化創造館さくらめいと「太陽のホール」
【満足度】★★★☆☆(Op.11は★★☆☆☆)第14回ショパン国際コンクールの入賞者によるオール・ショパン・プログラム。ショパン国際コンクールは5年に一度ワルシャワで行われるピアニストのためのコンクールである。過去、アルゲリッチやアシュケナージなどが1位になり、日本人でもカレーのコマーシャルでおなじみの(爆)中村紘子、私が初めて協奏曲を聴いた京都大学交響楽団の定演のソリスト・海老彰子(曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番)なども入賞している。1990年、1995年の2度は1位が出ていなかったということで、最近はピアニストも不作のようだ。
この日本ツアーは1位から6位までの入賞者が会場1ヶ所あたり2〜3人出場しているようで、チケットを売り出した今年の初夏の頃にはまだコンクールも行っていなければ、自分が買った会場に、何位のピアニストが来るかも分からないという、ある種、大博打的なコンサートだ。私が買った熊谷会場には上記出演順に4位、5位、2位の3人が来ることになった。会場の熊谷文化創造館さくらめいと(なんか変な名前だ)は、初めて行ったが、外観は大きく、デザインも洗練されている。大ホールにあたる「太陽のホール」が今回の会場で、小ホールは「月のホール」なのだそうだ。外見のわりに定員は少ないようで、つくばのノバ・ホールとほぼ同じくらいだと思う。大きく見えたのは、天井が異様に高いからだと思われる。いくらなんでも高すぎる。座席に座っていて天井が見えないというのは、落ち着かないものだ。
オーケストラはワルシャワ国立フィル、指揮はコルドである。コルドはショパンの伴奏指揮者や、PHILIPSからグレツキの交響曲第3番などをリリースしている指揮者だ。1曲目のコリオラン序曲を聴いた感じでは、ごく普通の指揮者のようだ。さて、続いてのピアノ協奏曲第1番はコンクール4位の中国出身、チェン・サがソリスト。堅実なピアノといった感じで、今一つ抑揚に欠ける。21歳ということなので、今後に期待したい。演奏後の休憩では「眠かった」という声が多く、実際私もウトウトしてしまった。コーヒーが飛ぶように売れていたのが印象的だった。
休憩後のバラード第4番はコンクール第5位のイタリア出身、アルベルト・ノセ。本来ならばコンクール6位の佐藤美香が出演する予定だったが、けがのため代役としてノセが出ることになった。ノセのピアノは力強い。ショパン向きといえそうで、多少雑な面はあるものの、心に訴えるものがあった。チェン・サと同い年ということなので、今後が期待できるだろう。残念だったのは会場のどこかから空缶を叩くような音がし続けていたこと。かなり気になる人も多かったらしく、キョロキョロしている人も何人かいた。
最後はピアノ協奏曲第2番。コンクール2位のアルゼンチン出身、フリター・イングリッドがソリストである。順位的にも一番期待がかかる。赤のポロシャツに白いスラックスという、今まで見た演奏者の中でも一番ラフな服装で彼女はピアノに座った。イングリッドのピアノはその服装よろしく、自由に楽しくピアノを弾いているように見えた。それまでCDで何回かこの曲を聴いてきたのだが、この曲に命が吹き込まれたようで、まるで同じ曲を聴いている気がしなかった。ピアノのタッチにやや雑なところがあるが、ショパンらしさ、抑揚、テンポの取り方などはさすがである。あとで誰かと似ている、と思ったらまさしくアルゲリッチだ。アルゼンチン出身で自由奔放な様子、本人も多少意識しているのかな、と思った。演奏後は何度もカーテンコールがかかり、アンコール曲を用意していなかったと思われる彼女はコンマスに「早く引き上げてちょうだいよ!」とでも言ったのか、その直後にオーケストラも退席となった。
今回のようなコンサートの醍醐味は、同じピアノ、同じ作曲家の曲にもかかわらずあそこまで違う音色か、と知ることができたことである。普通のコンサートでは、ピアニストが3人も出てくるということはありえない。また、ピアノという楽器は音を出すだけだったら誰にでもできるが、演奏するとなると難しいものなのではないかと感じた。今後の3人の活躍を期待しつつ、今回のリポートはこの辺で。
2000/12/05
ベルグルンドという指揮者(3)〜R・シュトラウス編
Richard Strauss(1864-1949)
・Don Juan,Op.20
・Burleske in D minor *
・Serenade in E flat major,Op.7
・Till Eulenspiegels lustige Streiche,Op.28
Paavo Berglund(cond.)
Sergei Edelmann(p.)*
Stockholm PO.
1989/6/19-22,Philharmonic Hall,Stockholm(studio)/STEREO
BMG(RCA VICTOR RED SEAL),RD60173(欧・輸入盤)
【満足度】●●●○○(ドン・ファン、ティルは●●●●○)ベルグルンドにとっては珍しいレパートリーである、R・シュトラウス。シベリウスのスペシャリストといわれているから珍しく感じるが、実際のコンサートなどでは、当然さまざまな作曲家の作品を扱っているのだろう。それらの中からレコーディングされたとすれば、ベルグルンドにとってR・シュトラウスは得意なのかもしれない。
まず、ドン・ファン。聴きはじめたとき、この演奏は超名演ではないか?と思ってしまった。生命感あふれる音とビシッとした推進力。金管の突き抜けるクリアな音、弦のみずみずしい音など、今までこの曲で聴かれなかった音色を聴くことができた。また、弱音部になっても推進力が衰えるようなこともなく、冒頭の緊張感が最後まで持続し、ずっとワクワクして聴きつづけることができた。この曲は単調に演奏すると、かなり退屈な曲だと個人的に思っているが(もっといえば、R・シュトラウスの曲自体、似た傾向があるように思える)、ここまで燃え上がった演奏をスタジオで実現できるというのは、ベルグルンドの才能に驚かされた。
続いて、ブルレスケ。ピアノとオーケストラのための協奏的交響曲とでもいうのだろうか、初めて聴く。ドン・ファンのような演奏を聴けるのかと思うと、ここでは少し雲行きが怪しい。この曲自体に少し問題があるのか、曲の流れ方もスムーズでないし、ピアノとオーケストラのバランスが難しいようだ。雑音のような音楽といったら言い過ぎかもしれないが、両者が喧嘩したような印象を受けた。次のセレナードも初聴だ。冒頭は独特の美しさを持っているが、セレナードというには音が氾濫しがちな曲でスムーズな流れを阻害しているような印象。メロディー自体はところどころで印象に残っているのだが。これが作曲家の問題なのか、演奏者の問題かは、今後同曲の異演盤や実演を聴くほかなさそうだが、登場回数自体少ないし、現在のところ、魅力をあまり感じていないのでなかなか理解するにいたるには時間がかかりそうだ。
最後の1曲はティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら。長い名前なので、「ティル」と略されて呼ばれることも多いようだ。演奏のほうはドン・ファンとまではいかないものの、なかなかの熱演。これで、もう少し縦の線がきっちり決まれば、かなりの名演になったはず。それにしてもこの曲をうまくまとめ上げているし、盛り上げ方が圧倒的。それでいてオケが破綻するようなことがないのが、嬉しい。こんなふうにオケをコントロールできたら楽しいだろうな、と思う。とにかく、このCDのドン・ファンとティルはおすすめだ。英雄の生涯あたりも録音していてくれれば名演になったと思うのだが、どこかにないだろうか。
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