Kyoto〜京都〜
Kyoto Index
京都について
観光地として、一般の街として、追憶として...
2003/06/23
京都買い歩き&食べ歩き
昨年の3月に行ってから、ずっと京都に行くことがなかった。この1年2ヶ月の間には結婚したから、両家の実家に行くことも多かったし、新婚旅行で海外にも行った。それ以外にも東北にも行ったし、鎌倉にも行った。私はもともと出歩くのが好きで、一年中旅行をしていてもかまわないと思っているほうなので、それでも京都にも行ってもかまわないのだが、それでは体も財布も持たない。他の土地を旅行するということは京都に行く回数も減るということなのだ。この出歩き頻度の高さからいうと、今回行くというのも少しはばかられるくらいだったのだが、知人の結婚式ということで、財布は悲鳴をあげながらも久しぶりに行く口実ができた。
今回は常々使ってみたかった「京の遊々きっぷグリーンプラン」を利用してみた。往復新幹線「こだま」号のグリーン車が使え、京都のバス・地下鉄に乗り放題の「京都1日乗車券」までついて東京から一人20,000円という、信じられないほどお得なきっぷだ。「こだま」しか使えないとはいえ、正規料金のほぼ半額、片道の新幹線自由席利用よりも安いのだ。さらに、利用人数とグリーン個室の定員が同じならば、新幹線のグリーン個室も使えるという、ここまでしていいのかと思わせるようなきっぷ。行きはグリーン個室を連結していないので一般のグリーン車だが、帰りは個室を予約した。
いけずの行方
〜一条御前界隈〜千本釈迦堂〜北山東京駅で朝食をとって、「こだま」に乗り込んだ。車両は初代「のぞみ」に使用された300系新幹線だが、いまや「こだま」で使われるようになり、時代の流れを感じる。だが、それだけにグリーン車はゆったりとした豪華なつくりで、格安きっぷで乗るのが悪いくらいだ。各駅に停まるので時間はかかるが、昼寝をしたり、「江戸幕府開府400年記念弁当」などを食べているうちに名古屋も過ぎ、京都での予定などをたてているうちに、約4時間弱、「のぞみ」より1時間半余計にかかって、「こだま」は京都駅に到着した。グリーン車は終始すいていた。
5月最後の週末だというのに、京都は夏のような太陽が照りつけていた。いや、5月末といえば、京都はすでに夏にのりかかっているのかもしれない。気の早い台風が南海上から接近しているというニュースもある。京都駅からバスに乗って、まずは京の宿に荷物を置きに向かう。今日の宿は北野天満宮からほど近い場所にある小さな宿だ。北野天満宮でバスを降り、荷物を預けると、さっそく京都を歩くことした。このあたりは3年ほど住んだことがあるので、妙に懐かしくもある。明るく日が照った商店街には幼稚園帰りの母子の声が元気よくこだまし、なんとものんびりしている。魚屋の女将が照り焼きを火にかざし、夕方の客が来る準備をしている。そんななかにあったかつて住んでいたマンションをみる。濃茶色の四角い建物はやはりこの街にはちょっと不釣合いだったかもしれない。
その先、紙屋川を渡り、右に曲がった場所に「長文屋」という七味屋がある。今回は、京都に結婚式で来ている。しかも、自由になる時間は今日の昼過ぎと、明日の午前中。午後は結婚式で、明後日の午前中はもう帰る準備だ。そう考えるとお寺を眺めている時間というのはほとんどない。思い切って、今回は京都で買い歩いたり、食べ歩いてみようということにした。ガイドブックや本を何冊か参考にしたが、『京都人だけが食べている』(入江敦彦著、WAVE出版)もそのうちの1冊で、その本にここの店は載っている。こんなに自分の住んでいた場所から近いのに気づかなかったというのは、この場所に移ったのが私が京都を離れたあとのことだからだ。店に入ろうとすると3ナンバーがいきなり横付けされ、中からおっさんが出てきたかと思うと「辛口を山椒多い目で!」と速攻で注文している。おっさんは主人と二言三言交わし、また嵐のように3ナンバーで去って行った。少し圧倒されつつ、嫁さんと二人で唐辛子の容器を見ながら、あれにしよう、これにしようと容器の品定めをして、唐辛子を注文する。さっきのおっさんのように自分流でオーダーするのもいいのだが、何しろはじめなので、ここのベーシックを知らない。中辛と、大辛を一本づつ頼んだ。主人は唐辛子を調合しながら「観光ですか?」と話しかけてきた。結婚式に来たこと、以前このあたりに住んでいたことなど話すと北野商店街にあった前の店を知っているかと聞くが、あいにく知らなかった。「近かったのに、どこ見てたんやろね」と言う。やっぱり京都人はいけずだ(笑)。嫁さんともども久々に京都の洗礼を受けてちょっと悔しがってみた。
近頃「金のうんこ」が売れているという会社の前を通る。買いたかったが今回は食べ物関係が多いし、うんこだけに我慢した。北野天満宮は今回は素通り。時間があまりないのだ。今日行くのは近かったのにやっぱり行ったことがなかった「千本釈迦堂」。
千本釈迦堂は正式には「大報恩寺」という。冬になると「大根焚き」が行われ、ニュースでも取り上げられるので存在は知っていた。ところで、京都では沢庵を塩抜きし、煮て食べる「ぜいたく煮」なるおばんざいがある。そのままでも食べられる沢庵をわざわざ塩抜きまでして手間をかけて焚くので「ぜいたく煮」と言うらしい。惣菜屋で「ぜいたく煮」が売られているのを初めて見た時、私にはその姿がどう見てもただの大根の煮付けにしか見えなかったので、「京都の人は大根だけで、魚も肉も入ってない煮物を「ぜいたく煮」なんて言うとは、皮肉なんかな。京のぶぶ漬けやないけど、嫌な客に「今日はぜいたく煮どすえ。よく味おおてな」なんて大根だけの煮つけを出して暗に「早う帰っておくれやす」という表現をしたのがこの料理の由来なんだろうな。京都の人は怖いわ〜」と勝手な想像をしていた。話がそれたが、この千本釈迦堂、京都中が焼け野原になったという応仁の乱の際も奇跡的に本堂のみ焼け残ったというもので、洛中最古の現存する木造建築であるという。西軍の中心地であり山名氏の保護下にあったかららしいが、本堂脇の柱には応仁の乱の際できた刀剣・槍のあとが生々しく残り(っていうか、この傷は本物なのか?)、見ごたえがある。ちなみに、ここは「おかめさん」発祥の地でもあり、夫婦円満にご利益があるという。
台風のせいか、空が次第に曇りはじめ、風が強くなってきた。五辻通を東に向かい、「五辻の昆布」に寄る。この店は千本五辻の目立つ場所にあり、この近所に友人も住んでいたのでちゃんと存在を知っており、幾度か土産に田舎に持ち帰ったことがある。町家風の建物だった店は在学中にビルに建て替えられ、当初はちょっと引いた。昆布などあの頃はうまいとも思わなかったが、久々にこの店によって試食などしていると、深い味わいがあってあの頃より旨く感じる。嗜好が変わってきたのか?ついつい買い込んでしまった。このあとは北山に行きたい。市バスに乗り、千本北大路、今宮神社、大宮交通公園を通り、下岸町という停留所で降りた。北区の閑静な住宅街を歩く。このあたりも京都で住むには環境のいい場所だろう。ラーメン「日本一」、ここは京都風のこってりしたラーメンを出す店だったと思う。一度来たことがある。郵便局と銀行、信金が一つの交差点の角地にそれぞれ建つ上堀川の交差点。郵便局と信金の建物の曲線がきれいだな、と思う。上堀川を東に折れ、しばらく行ったあたりの住宅街に「ちりめん山椒」の店がある。買って行こうかと思ったが、嫁さんが以前会社の人にもらったことがあったと言うし、よく考えればちりめん山椒にはあまり思い入れもないので買うのは省略。ここのケーキがおいしいよと聞いていた「コム・トゥジュール」に寄ってみる。喫茶店も併設してるのかな〜と思って入ってみるとケーキ屋さんだけ。せっかく来たので2つケーキを買って、植物園あたりで食べるのがよかろう、ということになった。加茂川を渡る北山大橋を渡ろうとするといよいよ台風が近づいてきたのか風が本当に強い。学生の頃はあまり来なかった北山をウインドウショッピングする。平日ということもあるが、どこもお客さんはそんなに多くなく、やっていけるのだろうか、と不安に思ったりするが、やっぱりはいってるお客さんはリッチな感じの奥様ばかりだったりして、このあたりは高級なんだと再確認。たまに店には行ってみたりしているうちに時間が過ぎ、植物園の閉園時間がきてしまい、そのまま宿に戻ることにした。京都らしからぬ開放した明るさを持つ北区の住宅街を歩くのもまた楽しかった。これもまた、京都なのだろう。今朝は早かったし、ずいぶん歩いたので疲れた。宿に向かうバスのなかではすっかり寝入ってしまった。
今夜の宿は御前通に面していて、シンプルでありながら、京都らしい風情を持っている。歴史を持つ高い宿には泊まれないが、せっかく京都なのにビジネスホテルじゃちょっと、という向きにはぴったりだろう。豆腐を中心とした夕食も、決して豪華ではないが、京都に来ているということを実感させてくれるような、気持ちを穏やかにさせてくれるような品よく味わいのよいものだ。食後は部屋に戻り、食べ損なった「コム・トゥジュール」のケーキを食べた。なんだか幸せだ。障子をあけ外を見やると隣にある飲み屋から出てきた学生たちが傘をさして散って行く。雨風が強くなってきたようだ。明日は台風直撃なのだろうか、と思いつつも穏やかな気持ちで寝込んだ。
(千本釈迦堂)【市バス】上七軒下車徒歩5分/衣笠校前下車徒歩10分/千本上立売下車徒歩10分
2003/05/26
京都とマクドナルドとコンビニと
なんだかんだで私は京都に6年もいたわけだが、京都に住み始めた1994(平成6)年と京都を離れた1999(平成11)年を比べて、「変わってしまったなあ」と思ったことのひとつにマクドナルドと、コンビニが増えたということがある。
どちらも京都の街並みに景観的に似合わない。八坂神社前のローソンが水色ではなく、紺色の看板を使ったり、赤地に黄色のマクドナルドも金閣寺店や烏丸今出川店などで白地に黄色の看板を使うなどしているが、正直言って、あまり意味がないと思う。それでもマクドナルドとコンビニが増えているのにはいくつか理由があるだろう。まず、長年の不況や世代交代により洛中でも旧来の商売が成り立ち続けて行きにくいこと、金利などの収入でなんとなくやってこれた地主たちも、金利の低下やテナントが入らない、などの理由で、少しでも安定した収益をあげたく、経営状況のよいファーストフードやコンビニに貸し出すようになっていることがあるのだと思う。そして当然のことながら、ライフスタイルの変化。京都は学生の街、首都は東京に移ったし、景気は悪いからバブルの頃のように京都に来てお金を大量に落として行く人も減って、せいぜい学生くらいしかお金を使わない。そんな学生たちも京都に来て初めての一人暮らし、個人の商店や食堂にはどうも寄りにくい。長野の田舎から京都に移り、いまだ学校にも慣れていない京都生活2日目に、部屋の電気が取り付けられず、勇気を出して太秦開日町のバス停近くの電気店(その後CD屋になったが)に照明器具を持ち込みで「これ、取り付けられませんか?」と言えば相談料の表を見せつけて「とりつけられまへん」の一言で1,000円をふんだくられたりしたら、2度と個人商店になど入るか、という気にさせられて当然である。この例は極端にせよ、京都に限らず、個人商店は昔ながらで付き合い始めてしまえば親切で融通もきくのだが、長い付き合いになりそうもない若い学生が来たりすると、気分で冷たい対応をする敷居のお高い(シケた電気屋のくせに(笑)店主も未だに多い。そうなれば、多少味気なくとも、大しておいしくなくても、そんなイヤ〜な目にはあいたくないのでコンビニなりマクドなり大型電気店に行って心穏やかに暮らしていきたい。安いんだし。
いえいえ、こんなにいやな個人商店ばかりじゃないんですよ。一条御前に住んでた時の床屋さんはすごく親切で、カットしながら酒飲ませてくれたし(いいのか?)、白梅町の飲み屋さんで大文字焼きの日に飲んでいたら、飲み屋の入ってるビルの最上階に住むオーナーさんが来て「お客さんも見て行きよし!」と初対面なのにお部屋に通して大文字焼きを見せてくれたり、いい人もたくさんいるんだけどね・・・。それでも印象に残っちゃうのは悪い方。
さて、京都のマクドナルド進出を物語るいい例がある。それは、御所の四隅のうち、三隅がマクドナルドに占められているというものだ。北東角の河原町今出川に出町店があり、北西の同志社の向かいの烏丸今出川店が前出の白地に黄色字の店、南西の烏丸丸太町は茶色地に黄色字の看板。ちなみにぜんぜん意味ない。だってずっと赤だと思ってた・・・。かえって赤の方がいいじゃん、という気すらしてくる。それはどうでもいいのだが、烏丸丸太町店ができた時は少しショックだった。この場所、もともとはアオキ書店という本屋さんだった。この本屋さん、高野悦子の『二十歳の原点』にも出ていた。別の市電の写真集で烏丸丸太町を撮影したものがあったが、その写真を見て、細かい部分は除いても、角地を全面に店舗としている姿は現在と雰囲気がまったく同じであり、本屋の文芸書の角からひょっこり彼女が現れるのではないかと思わせる様子が気に入っていた。ある日来てみると、アオキ書店はなくなり、新しいビルを作っているので不安に思っていると、そこはマクドになっていた。アオキ書店もマクドの隅に、丸太町通りに面した狭い間口で申し訳程度に営業をしていたのは幸か不幸か。とにかく、寂しい気分になった。けれども現金なもので、買い物に行く河原町と下宿のある大将軍とのほぼ中間点にあったこのマクドには何度もお世話になった。今思えば、あんなもの食べずに、地元密着の食堂にでも行っておけばよかった。
他には市電の車庫があった頃の名残か、烏丸車庫前店(2000年頃に烏丸北大路店に改称?)、ホリデーインの中にあるおかげで、存在感が薄くていつ行ってもガラガラだった高野店(現在はカナート洛北店。混んでるんだろな・・・)、かつての繁華街の一等地に居座り、繁華街の凋落を物語っていたような千本中立売店・・・今じゃ年に1度も行かないけれど、京都にいた頃はついついよく行ってしまっていた。ああ、不覚。
京都を離れて3年以上経ち、毎年京都に行くけど、行くたびに増え続けるマクドナルドとコンビニ。ここまでの没個性、悲しいけど、この風向きはしばらく変わらないように思う。
2003/02/17
丘の上から見た京都(5)
狸谷不動院(左京区)
京都市外の人にはあまり知られていない不動尊である。しかし、その信仰は意外に広いらしく、京都で注意深く車のフロントを眺めていると「交通安全 狸谷不動院」というオレンジ色の反射プレートを貼り付けている車が多いことに気づく。平安京の東北の鬼門にあたるということで、桓武天皇が不動明王を安置して都の守護神としたのが始まりといわれる。江戸時代後期に民間信仰を集めていたが、現在のように広く信仰を集めるようになったのはむしろ戦後のことであるようだ。
バス停は市バスの一乗寺下り松町からが近い。有名な詩仙堂の案内に従って歩いていく。途中、宮本武蔵と吉岡又七郎と決闘した場所だと言われる「一乗寺の下り松」を見る。雲母坂(きららざか)を登って比叡山に行く旅人の道標として古くからあったようで、現在のものは4代目だという。そのような話は、どの本を見ても載っているのだが、なぜ「下り」松なのかが謎。枝が下をむいているのか?いや、そうでもない。比叡山から下ってくる時、この松を目印に?確証なし。今後リサーチを進めていかなければならない。ちなみにこのあたり一帯に付けられている「一乗寺」という地名は一乗寺という寺院から付けられたものだが、現在は衰退してないという。下り松にしても、一乗寺にしても、地名になるほどのものでも言葉の意味が不明だったり、元となった寺院は消えていたり、まったく諸行無常を感じさせなくもない。案内板に従っていくと詩仙堂。現在地名をつけるとしたら、このあたりは「詩仙堂」だろう。石川丈山が寛永18年(1641)に造営し、その後寺となったというから、有名な割には寺としての歴史はずいぶん短い。このあたりでは新参者の部類だろう。それでも、現在はこのあたりでは一番の名所になっており、地名にしてもおかしくないくらいだ。しかし、これだけ有名な詩仙堂だって、数百年後に残っているとは限らないのだ。その詩仙堂の、小さな竹造りの門と、その奥に本堂へと続く林のなかの石畳の道を横目に、さらに坂を登っていく。冒頭でも書いた通り、この狸谷不動院は交通安全祈願の寺としても知られているので、自動車でも登れるよう、坂はアスファルトだ。いまいち風流ではない。やがて、大きな駐車場が見えてくる。西向きの斜面で、太陽が燦燦とアスファルトを照り返す。そのすぐ上に、自動車祈祷殿がある。ははあ、ここがあのオレンジの御札の出所か、と納得。車で登れるのはここまでで、ここからは急な石段となる。意外にも新しく立派な階段だ。この企画、登りだらけでかなりキツイ。高いところが好きなのは何とかというが、こんなに疲れるのに登ってくるのはまさしくそうかもしれない。
ようやく、本堂にたどり着く。戦後再興されただけに、懸崖造りも本堂も近代的でまあ、建築的に見るべきものはそうない。だが、振り向いて景色を見て少しは報われた。両側を山に挟まれた間から、左京の街並みが見える。山に挟まれているおかげで、そう見える範囲は広くはないが、程よい距離で市街が見える。山伏が出てきそうな感じもする。ただ、疲れて登ってきた割には特別な感慨がなかった。なんだか、岩屋山志明院に行った時と同じ感じがした。どうも、山伏とは相性がいまいちなのかもしれないな、「諸行無常」・・・今回は諸行無情だな、と思いながら、今来た急な石段を降りた。
【市バス・京都バス】一乗寺下り松町下車徒歩30分 【叡山電鉄】一乗寺下車徒歩40分
2003/01/10
丘の上から見た京都(4)
善峯寺(西京区)〜天上から京都を眺める
善峯寺を私が知ったのは今か ら5年ほど前のことだったと思う。淡交社が『京の古寺から』という、1冊づつ一 寺の四季の写真を収めたシリーズの本を出版しており、この頃出版されたのが「 善峯寺」だったのだが、それをみた父が「ぜひ行ってみたい!」と母と祖母を連 れて京都にやってきた。 善峯寺は「よしみねでら」と読み、大原野を見下ろす高台に建っている。大原 野とは洛西ニュータウンの南西、西山の麓のなだらかな台地あたりのことである 。京都にきた頃は嵯峨野が嵯峨のはずれの野原であるように、洛北の大原のあた りの野原を指すのかと思っていたのだが、洛西と知ったときには驚いた。語源が 違うのだろうか?「大原」の「野(原)」ではなく、「大」きな「原野」という コトなのか・・・?それはともかくも、それまで私は大原野にあまりいいイメー ジを持っていなかった。西京区や向日市のあたりは洛西ニュータウンに代表され るようなベッドタウンで、その後背地も住宅地か何かで、寺社があるにせよ、郊 外の間延びしたものかと思っていたからだ。
このお寺、交通が非常に不便な場所にある。阪急の東向日駅から小塩行のバス に乗り、終点下車、そこから徒歩になるのだが、このとき、私は父の車に乗って 善峯寺を訪れた。小塩のバス停から徒歩40分とガイドなどには載っているのだが 、車に乗っていてもだらだらとした長い上り坂が続き、足に堪えそうだ。しかし 、車だからといって楽にこのお寺にたどり着けると思っていると、そうは甘くな い。お寺の上り口の駐車スペースに車を止めてからがまだあるのだ。山の中にも かかわらず、木々が整理され、見通しがよいため周囲はたいへん明るい雰囲気で 、登り口からでもお寺の建物が見える。が、建物は見えるのだがここからの道が 険しい。駐車場までのダラダラ坂とはうってかわって今度はきれいに整備された 山肌を急な坂道が続く。上の方の道も見え、建物も見えるのになかなか着かない 。最後の心臓破りの坂とでも言えよう。しかしながら坂道の傍らに咲く花などを眺めつつ歩いていれば 坂道も長くは感じないかもしれない。そうして眼下に京都市が一望できるようになれば善峯寺にもほぼ着いたも同じだ。善峯寺の 境内は広く、山の丘陵部に本堂や桂昌院塔などの建物が丘陵を縦横する道で結ばれ 、ある意味下界とは別の天上界にいるような錯覚を受ける。ちょうどこのお寺を 訪れた日は雨上がりの昼過ぎで、眼下にかすかに雲が流れ、京都市内がその雲を 通してうすぼんやりと姿を見せ、まさしく天国にいるような不思議な気分にとら われた。このように整っており、洛中のほかの寺院や山寺と雰囲気を異にしてい るのは応仁の乱後、江戸時代に徳川五代将軍・綱吉の母、桂昌院の援助を受けて 再建されたことが大きいのかもしれない。歴史はそれ以前、11世紀にまで遡るが、現在の建物の多くは 桂昌院によるものという。
おそらく、桂昌院塔(だったと思う)の前からの眺めはいちばんよいだろう。 ここには侘び寂といったものとは違って、突き抜けた明るさがあるということがここに立てばきっとわかる。 洛中のお寺に少し飽きたと感じていたら、このお寺がいいかもしれない。
行くのが不便な善峯寺にもこの春からバスが乗りいれることとなった(冬季運 休)。これでだらだら坂を歩いたり、駅から何千円もかけてタクシーで行かなく てもよくなる。ただし登り口にある駐車場まで。最後の心臓破りの急坂は登らな ければならないので念のため。
【阪急バス】東向日駅より善峯寺行バス終点下車 または 小塩行バス終点下車徒歩40分
2002/12/29
丘の上から見た京都(3)
岩田山自然遊園地(西京区)
先月21日の京都新聞Internet Newsによると、「嵐山を温泉郷に 地元旅館が「開発会社」 来春にも掘削」との記事があり、嵐山に温泉を掘削する工事があるという。以前から嵐山温泉というのはあったが、温度が低く、湧き水程度の温度しかないため正式な「温泉」とは認められていなかった。しかし、近年の不況による観光客減少に歯止めをかけ、嵐山という観光地の魅力アップのために、より深い場所にあると思われる温度の高い源泉を掘り、「嵐山温泉郷」としたい考えらしい。たしかに嵐山というのは京都有数の観光地である割に、混雑した渡月橋など「ガッカリ度合い」も高く、一部の人力車勧誘も鬱陶しく、一度行けば十分と感じている人が多いように思う。さらに、一時期のタレントショップブームも過ぎ去り、観光客が減っても仕方ないと感じる。また、シーズンオフや夕方以降など、昼間の混雑が信じられないほど寂しい場所であり、宿泊客を引き止め、活気を出し、それに伴って周辺の観光地や商店の活性化を図るという意味でもよい思いつきではないかと思う。
そんな嵐山の渡月橋を見下ろす一等地?にあまり知られていない観光地がある。その名も「岩田山自然遊園地(嵐山モンキーパークいわたやま、通称嵐山のサル山)」である。まさに知られざる観光地と言えるだろう(さむい・・・)。渡月橋の南詰から土産物屋と法輪寺の脇の小道をひっそりと落ち葉を踏み分けていく。舗装もされていないし、こんな裏山勝手に登っていいのか?と引き返そうかと迷っていると、これまたちっぽけな小屋いや入口の受付が見えてくる。こんな山に登るだけなのにお金払うの?と、最初来たときはここでまた引き返そうかと迷ってしまったが、意を決してチケットを買い、さらに山を登る。さすがに「山」だけあって、登り甲斐はある(が、実際どれくらい登ったかはもう8年も前のことなのでよく覚えていない)。ようやく見えた山頂は、頂上に観察小屋があり、その周辺は広々とした広場(と言っても山頂なのでそうは広くはない)がある。そして振り向いてみると、これがまた絶景である。眼下には保津川(=大堰川=桂川)を渡る渡月橋と嵐山の全景がはっきりと見え、紅葉の時季は嵐山の全体が色づき、これも美しい。渡月橋の川上に浮かぶボート、その上流は右手に大河内山荘、左手に紅葉に埋まる大悲閣(千光寺)が見え、その真ん中を保津川が流れる。その奥で川は見えなくなっており、保津峡の険しさを想像させる。もちろん、遠景の眺望もよく、北から先週紹介の嵯峨天皇陵のある御廟山、仁和寺の大門と五重塔、双ヶ丘、北野天満、御所、京都タワー、屏風のような京都駅、駅南のガスタンクなども見え、天気のよい日は特に清々しい。
この山のいいところは、眺望や紅葉がすばらしいということもあるが、やはり最も注目すべきはサル山だけに「ニホンザル」たちだろう。小屋のなかには現在のこのサル山のボスを筆頭とした人間関係ならぬサル関係図があり、実際にサルを見ながら「あいつがボスか〜」などとその生態を観察できる。生意気なサルを威嚇したり(してはいけません)、子ザルのかわいらしい姿を見たりと自分もサルだった頃にかえって?楽しむことができる。サル好きだったら1人できて楽しむのもいいし、特に親子連れにはオススメ。自分も子供ができたらまた行ってみようかな、と思っている。
【阪急電鉄】阪急嵐山駅より徒歩5分 【京福電鉄】嵐山駅より徒歩5分
【市バス・京都バス】中ノ島公園より徒歩約3分
2002/12/16
丘の上から見た京都(2)
嵯峨天皇陵(右京区)
前回の「丘の上から見た京都(1)〜船岡山(上京区)」はいつ書いただろう?あれを書いた頃は「これはいい企画だ、どんどん書けそう」などと思っていたのだが、あっという間に忘却の彼方となり、一年半!が過ぎた。読者から「続きはどうなった?」という質問も全くなく、なんか寂しいので続きを書いてみることにする。
今日の旅は、京都の街中から外れた終点のバス停 山越 からはじめよう。ここ山越は明らかに観光客向けのバス停ではない。かつてはここから西に広沢池を経て大覚寺に至るバス路線があったが、歴史的風致地区であるこのあたりは人家も少なく、観光地としてもメインルートではないので廃止になっている。一時期(1996年頃?)は北大路から大覚寺・嵐山への観光客向けの急行バスもあったが、1年ほどで廃止されてしまったこともメインルートでないことを物語っているだろう。 そんな山越から、広沢池方面へ歩く。しばらく歩くと右手に見えてくるのが広沢池である。休日は釣り客やスケッチをする人、ハイキングの人などで賑わう(と言ってもたいした混雑ではない)が、シーズンオフ、特に夜はあたりに人家も少なく、真っ暗な心底寂しい場所になる。この近くには真言密教広沢流の本拠・遍照寺がある。989年に開基されたが江戸時代には廃れ、現在のものはそれ以降に再建されたものらしい。夜このあたりに来ると、今でも真っ暗で物悲しいし、お寺など作っても廃れるのは当然といった観である。そんな広沢池に沿って、府道(一条通のなれの果て?)から右の小道に入る。このあたりも歴史的風致地区に指定されているおかげで京都とは思えない風景が広がる。右手の山肌には竹薮、左手には水田や畑が続き、電柱もなければ自動販売機もない。以前、夜このあたりに車で迷い込んだことがあったが、街灯もなければ人家もないので、本当に真っ暗で、心寂しい思いをした。おそらく、「嵯峨野」は平安の昔からこんな様子だったのだろう。やがて、右手にあるのは後宇多天皇陵。蓮池があったりするが、それ以外は特に見るべきものもない。このあたりには古代からの古墳も数多く点在し、古くから葬送地だったのかもしれない。
さらに進むと農家が数件現れる。直指庵という有名なお寺があるが、ここはよく知らない。そこをすぎてしばらく行くと「嵯峨天皇陵参道」とかかれた道標がある。さあ、今回のお目当て、嵯峨天皇陵にはここから石段を登って行こう。と、石段があるのも束の間、すぐに石段はなくなり、ただの坂道となる。坂道、というより登山かもしれない。(実際、この山は「御廟山」と呼ばれているらしい)ただ、登っていくときは常に眺望がよく、嵯峨野・嵐山を眼下に眺めながらのハイキングは気持ちがよい。およそ20分ほど(だったと思う)で嵯峨天皇陵に到着する。朱印のようなものを置いていた時代があったのだろうか、門の横に木造の小屋があるが、しばらくは使われていないようである。御陵そのものも最低限の手入れはされているが、門は錆つき、奥にある墓石?も風雨で形が削れており、市中にある御陵のようなこぎれいさはない。先ほどの後宇多天皇陵と比べても苔生し、自然環境の厳しさがうかがえる。842年に崩御し、「『山塊記』元暦元年(1184)8月23日条によると、当時すでに陵の所在が不明になっていた」( 平安京探偵記 による)とあるので、果たしてこの場所が本当に嵯峨天皇の眠る場所であるかはいささか心もとないが、今回は丘の上から見た風景が目的なので誰の墓だろうと、もっと言えばただの小山でも問題ない。しかし、この場所にいざなってくれたきっかけを作ってくれたのだから感謝すべきか。
ここからの風景は実によい。風景がよい、というよりこの場所がいいのかもしれない。本当に静かだ。見下ろす風景は、手前に広がる嵯峨野の田園、大覚寺、大沢池、広沢池、北嵯峨高校、渡月橋、嵐山の寺社、遠くは京都駅方面も見えるが、霞でぼんやりとしている。そう、ここを訪れたのは春霞広がる季節だったか、雨上がりの霞のときだったか。今が平安の昔で、眺めている風景の方が非現実のもののような気すらしてくる。なんだか不思議な魅力のある場所で、右京区在住の頃に一度、上京区に移ってからもう一度行った記憶がある。京都に住んでいれば、もう一度行きたい場所だが、住んでいない今となってはまた別の京都を発見したくてなかなか行く気になれない場所になってしまった。時間と少しの体力があれば登れるので、機会があれば登ってみることをお勧めしたい。
【市バス・京都バス】大覚寺より徒歩約40分
(今回のコース)→【市バス】山越より徒歩約60〜120分
2002/04/02
二泊一日、京都、16時間滞在京都に行くことにした。
3月も後半に入った時期、連休をもらえることになったが、行く場所はなかなか決まらなかった。もちろん、京都も選択肢になかったわけではなかった。しかし、近頃京都に対する気持ちが以前ほどではなくなったことをいいことに、また違ったお気に入りの場所を見つけてもいいかな?との思いがあり、意識的に目的地から外していた。
今まで手付かずの東北地方は魅力的だった。遠野、釜石、三陸海岸・・・特に岩手に興味があった。
限られた予算内で行くとしたら夜行なのだろうが、今や東北へ行く夜行列車は風前の灯となり、夜行高速バスという選択がもっとも賢明だと思われた。
ネットで高速バスの空席状態を調べる。
東京−盛岡 ×
池袋−花巻 ×
池袋−釜石 ×
満席だ。他の東北各方面行きも軒並み満席だった。
弘前行きや八戸行きならば若干の空きがあった。しかし、岩手より遠くなればなるほど料金も高くなり、第一、限られた時間しか ないのに岩手より遠くまでいって戻るのは時間のロスだった。そのままバスの空席状況を調べる。
飛び石連休ながら連休初日は学生の休みと重なってしまったようで、東北のみならず、どこへ行く便もほぼ満席だった。ここ数日の暖かさで桜の花も咲きほころんでいるが、まだ3月。学生は休みで帰省や旅行などをしているのだろう。
まだ3月、ということを思うと、東北に行くのが億劫になってきた。東北ならば、夏の、深緑の季節に行けばいいじゃないか。
私の頭の中には、3月の、まだ雪が残り、ねずみ色の雲の下を凍えて歩く自分の姿と、夏の、入道雲の遠くに見える緑と水のほとりを 自転車で駆け抜けて行く自分の姿の両方が交互に浮かび、3月というこの時期に東北に行くことが無性に馬鹿らしく思えてきた。
そんな時、今行くなら京都ではないか、と思い出した。京都の桜は例年ならば4月1日頃だ。私の大学の入学式は4月1日だった。 なぜ、そんな、まだ落ち着かない時期に入学式なのか、と思っていたが、毎年桜の花は満開だった。
それより今年の桜前線は早い。すでに京都ではソメイヨシノの開花宣言がなされていた。満開の卒業式は今年はのぞめそうにないが、 出かけるならば今だろう。
琵琶湖の橋を越えて
〜山科疎水『明日は春か』〜毘沙門天〜随心院『小野梅園』
昨夜、池袋を発った夜行バスは穏やかな朝の日を浴びながら、草津駅を出たところだった。 昨日、あれから京都に行くバスの空席状況を調べたが京都に停まるバスはすべて満席、大阪行きも満席、あきらめかけたときに見つけたのがこの「浜大津行き」のバスだった。他のバスが満席の時期でも若干の空席を残して走るこのバスが廃止にならないのは、西武の創始者がもともと近江商人だったから意地で走らせている、などという噂を聞いたことがあるが、その真偽はともかくも、このバスに空席があったことは私にとって渡りに船だった。
バスは草津駅でほとんどの乗客を降ろすと琵琶湖を越え、大津市内に入る。6時55分、浜大津の駅にバスは定刻どおり到着した。夜行バスは久しぶりだったがすがすがしい朝となった。ここ数日寝不足が続いていた自分としては、かえってよく眠れたくらいだった。京津線に乗り換え、大谷を越え、山科のひとつ手前、四宮で降りる。浜大津から時間にして10分、ここはもう京都である。
四宮駅から山科疎水に向かって歩く。休日の朝の京都は、どこかのんびりとして、都会的なせわしなさを感じさせない。東海道線のガードをくぐり、少し迷いつつも疎水に着いた。疎水べりには遊歩道があり、桜の木がびっしりと植わっている。
桜は、まだ咲いていなかった。
しかし、遠目に見ても、木全体が紅色に染まり、いつ咲き始めてもおかしくない様子だった。実際、目を凝らしてつぼみを見ると、 柔らかな薄紅色の花びらが、今にもほころばんばかりだった。
右手に疎水、左手に山科の家並を見下ろしながら疎水べりを歩く。時折ジョギングの人とすれ違う。この人たちは、毎朝ここを走りながら、桜の様子を身を持って知ることができる。そして、この桜が咲く日も、満開の日も、花びらの降り注ぐ日もここを走ることができるのだなと思うと羨ましく感じずにはいられない。
安朱橋を渡り、毘沙門堂の参道を上る。大学のとき、ある先生がこう言ったのを思い出した。
「僕が京都に住むことに決まったとき、どこに住んだらいいのかめっぽう見当もつかない。聞くと山科だけはやめろと言うんですね・・・」
その先生の知り合いは、山科は治安が悪いから住むのにお勧めしない、と言ったそうだ。
しかし、なかなかどうして、山科でもこのあたりは非常に閑静で、高級な雰囲気の住宅もある。赤穂浪士の髪を埋葬してあるという瑞光院を眺めたりしながら、だらだらとした参道を歩く。最後に急な石段を登ると毘沙門堂だ。
「毘沙門天」とかかれた大きな提灯が下がる仁王門をくぐると本堂が見えてくる。本堂の両側にある枝垂桜は五分咲きといったところか。お参りと境内を軽く散策してひとやすみ。朝の空気をめいっぱい吸い込む。
やがて今来た参道をのんびりと下り、先ほどの疎水へと向かう。桜はまだだが、道沿いの民家の庭からウグイスのさえずりが聞こえ、そこにボーゥボーゥという鳩の鳴き声が時折混じりあって、ユーモラスな二重唱を奏でている。来るときには気がつかなかったが、安朱橋の桜の木の下には菜の花が鮮やかに咲いている。桜はなくとも春を感じることができた。山科に対する私のイメージはいまいちよくなかったようで、京都に住んでいた6年間、山科方面に出向いたのは年に1度あるかないか程度だったと思う。 「京都」という認識があまりなかったのかもしれないが、寺院まわりをした記憶も醍醐寺あたりしかない。ほとんど空白地帯の山科の中で、今回は梅園がきれいだという小野の随心院へと行くことにした。
以前地下鉄がなかった頃は山科駅からがまた遠かったように記憶しているが、今やわずか5分ほどで地下鉄の小野に着いた。
小野という地名は小野小町の邸宅があったからとされ、随心院は小野小町ゆかりの寺院として知られている。紅梅が随所に咲き誇り、華やかな雰囲気が漂いつつも、落ち着いているのは小野小町のなせる業か。小野梅園は今が盛りで紅梅の香り漂う。入ろうか迷ったが、外から眺めて満足してしまったので今日は随心院の庭園のほうを拝観して梅園は外から楽しむことにした。
随心院の庭園は朝一番ということもあり、貸切状態だった。腰をおろし、夜行バスを降りてから歩き続けている疲れを癒しつつ、庭園をじっくりと眺めた。上品な雰囲気を持った庭園だ。広めの庭園というのは私としては好かないのだが、ここはどことなく落ち着かせるものがあった。
随心院を出て、小野小町に深草少将をはじめ多くの男性が送った恋文を埋めてあるといわれる「文塚」(要するに、ラブレター捨て場?(苦笑))を見たり、小野小町の歌碑を見てのんびりとした時間をすごした。
サクラサク卒業式
〜同志社『卒業式』〜御所『枝垂桜』〜本法寺〜宝鏡寺『人形展』地下鉄で小野から今出川まで一気に移動する。
休日の10時少し前ということもあって、車内は河原町に買い物に行く人で混雑していた。車内にはちらほら袴姿の学生もいる。卒業式だろうか。
案の定、今出川で降りると、烏丸今出川の交差点は卒業生やそれを見送る人で混雑していた。さらに、冷泉家の特別公開に訪れる見物客で二重の混雑となっている。
冷泉家の公開は事前のはがきが必要ということでは入れなかったが、塀の傍らに咲く桜は満開で、卒業生や見物客が足を止めては見ている。
私のお目当てである今出川御門から程近い御所の公園に向かう。枝垂桜はすでに満開、公園じゅうに桜見物の親子連れや老夫婦、カメラマンもいる。それは、ここが御所のなかということを忘れさせるほどのどかな光景だった。
卒業式を横目に相国寺の境内を抜け、そのまま西陣まで歩いて行った。
堀川通を越え、西陣織の工場が並ぶあたりを歩く。どこか行ったことのないお寺に行ってみたくて、本法寺に行く。
彼岸のためか、遠方からも墓参りに来ているらしき車が多かったが、境内は静かだった。
本堂の傍らにある大きな桜の花が、ほんの少しほころんでいた。
となりの宝鏡寺も訪れてみよう。
宝鏡寺は人形の寺として知られているようで、3月はお雛祭りの人形展をしていた。私としては、人形展以上に、そこで出店を出していた人形屋の小さな雛人形に心惹かれた。値段も手頃で思わず買いそうになったが、こういうものは男が一人で買うものではないだろう。またいつか買いに来る機会があるだろうと思い宝鏡寺をあとにした。
今まで我慢していたどんよりとした空が、ついに限界とばかりに雨を降らし始めた。寺の前の京傘店を覗き込む。
「京都迷宮案内」で京傘の店が登場してきたことを思い出し、一本欲しいな、と思ったりもしたが、やはりまだ身分不相応のように思えた。
京都に住んでいる間に一本くらいあってもよかったかな、なんて思ったりする。
弥生の突然の風雨
〜府庁前〜北野天満宮『大萬燈祭』〜真如堂『涅槃図』そろそろお昼時だ。
ホームページで目星をつけておいた店が府庁のそばにあったはずなので、堀川下長者町までバスに乗る。
「堀川下長者町」どこか京都らしい地名だ。どういうわけか知らないが、中学のとき、修学旅行でこの通り名の標識を見たことが記憶として残っている。
下長者町通を東に入り、件の店を探す。雨も小休憩となり、難なく見つかったのだが、町家は寝静まったようにしんとして、営業しているように見えない。
あきらめて近くにあるうどん屋に入る。京風のだしが利いたうどんで美味だった。夜は飲み屋になり、いくつかのおばんざいもあるようだ。いつか来てもいいかもしれない。もっとも、狭い店内、これだけ府庁に近いと役所帰りの人で混雑してしまうだろうが。
うどん屋を出て府庁の脇を歩いていると、再び雨が降り出した。今度は大粒で、さらに強風のおまけつきだ。 府庁前だけ広くなった釜座通を小走りに行く。もはや雨に耐えられず、コンビニで傘を買ってしまった。 それにしても強い風だ。傘をさしても飛ばされそうになる。あとで知ったのだが、この日は不安定な天気だったようで、台風並みの強風が近畿全般で吹き荒れていたようだ。
そんな強風も次の目的地である北野天満宮に着いた頃には雨と一緒にやんでいた。北野天満宮は自分にとっても一番馴染みの深い神社だ。
京都に進学できたとき始めてきた神社もここだったし、京都2年目からはここから徒歩5分ほどの場所に住んでいたので縁日があるとふらりのぞきに行ったりした。
だが、越してきた翌年より北野天満宮千百年の大萬燈祭に向け、本殿の修復工事が始まり、それ以来、仮本殿にお参りすることが続いていた。
今年、その大萬燈祭を迎え、修復工事が終わったのだ。
今日が弘法さんの縁日であるためか、先ほど来の風雨の影響か、聞いていたような混雑はなかった。出店が並ぶ参道を歩いて行くと三門には「大萬燈祭」の文字の入った提灯がずらりと並んでいる。境内にもたくさんの提灯。今まで閉鎖されていた正面の本殿の門も開かれ、6年ぶりに「本当」の本殿に入ることができた。
3月6日から始まっている大萬燈祭は3月25日の千百年大祭をピークに、3月27日までの期間中、さまざまな催しものがあり、この日も舞が行われていた。
舞を眺め、お参りをし、お茶屋でもらえるような大萬燈祭の京うちわをお土産にした。
ずいぶん盛りだくさんに見物してきたが、時計はいまだ午後2時をさしている。昨夜計画を立てたときはここまでは無理かと思っていた真如堂に行くことにした。涅槃図を公開しているのだ。
バスに乗り、真如堂へ向かう。「真如堂前」というバス停があるが、ここでは降りない。一昨年の9月、ここから真如堂に向かったが、ずいぶんな急坂でそろそろ初秋というのにずいぶん汗をかいてしまった。
二つほど先の「岡崎神社前」で降りた。バスの通る丸太町通から黒谷さんへ向かうなだらかな坂を登って行く。こちらのほうが楽な坂道だ。ちょうどお彼岸の中日ということで黒谷さんの墓地には数多くの人々が墓参にやってきていた。
真如堂では、涅槃会時期の参拝ということで、「花供曽(はなくそ)」という鏡餅を刻んで焼き、砂糖をからめたというおかきのようなお菓子をいただいた。名前自体はあまり食欲を誘うものではないが、無病息災で過ごすことができるというありがたいお菓子らしい。
縦6メートル、横4メートルもある大きな涅槃図は薄暗い本堂の中でも鮮やかに、それでいて落ち着いた色調を醸し出していた。
ここでは寺男たちが親切にも拝観者についてまわって説明をしてくれるのだが、そう内容が変わるものではないので以前拝観した人間にとっては、聞いているのも楽ではない。説明させどうしでは申し訳ないので相づちを打ったり、驚いて見せたりするのだが、すべて聞いたことのある話を聞いてこれらのジェスチャーをするのは良心の呵責という意味でもすべきではないのかもしれないが、他の拝観者と一緒に説明してくれるので「聞いたことあるのでもういいです」というわけにもいかず精神衛生上よろしくない。
ようやくその説明が終わるとともに説明を聞いていたおばさん二人組も昨年訪れたことがあったようで、同様の感想を持っていた。黒谷は京都の東大路の東、吉田山に連なる小高い丘の上にあるのでここから眺める京の街は格別だ。将軍塚のように京の街を遠望するような高い場所もよいが、ここくらいの小高さから眺めるのが一番いいように思う。そのほうが、京の街の生活の息遣いが聞こえてくるような気がする。これは紫野の船岡山にも言えることだと思う。
それから東大路に向かって岡崎の路地を歩く。このあたりは都心からそう離れていないのに、驚くほど静かだ。
先ほど黒谷さんに登ってくる途中の墓地脇の道にしても、今歩いている路地にしても、少し時代を遡ったような錯覚を覚える。小さな酒屋、電信柱の電球、路地を駆け抜けて行く子供たちなど、妙に懐かしさを誘う。
路地を抜け、聖護院の前を通り、東大路に出た。時計は4時をまわり、寺社回りは十分堪能していた。
ここからは、別の京都を楽しもう。
京都を感じる
〜河原町『ぶらぶら』〜西陣『お好み焼きと銭湯』京都南座の前、四条京阪でバスを降りた。交差点では東の言葉で
「いやー、今回は京都を味わったなあ。前回は寺ばっかりだったけど、今回ほど楽しくなかったな」
と大声で話す観光客の若者たちがいる。あまり寺の楽しみ方をわかってないような気もするが、寺だけで京都がわかるというのもウソだろうから、彼らの言葉も少しうなずける。
今日の四条大橋には托鉢の僧侶がいない。今日は休みなのだろうか。橋の上の僧侶と言えば、以前、こんな情景を目の当たりにしてしまったことがある。
「いや〜○○クン?元気してたぁ?もう、メッチャ懐かしいわぁ〜」
若い女性が、こう僧侶に話しかけていた。正直言って「うわ、この坊主、俗物やな〜(苦笑)」と思ったが、僧侶とて人間、昔の同級生にあって話しかけられることもあるだろう。それ以来、なんだかこの橋の上にいる僧侶が身近な存在に感じられるようになった。京都のような街であれば、同級生の何人かが寺に就職?することも少なくないのだろう。
そんな四条大橋を渡り、喫茶店にはいった。朝から歩き通しで、いい加減疲れてきたのだ。
今回立ち寄ったのは、四条木屋町を下った「フランソア」という店。京都でも有名な部類にはいる店だ。何度か訪れたことがあるが、一人ではいるのは初めてだ。
となりに風俗店があるので、一人で来ると必ず声をかけられるというのが難点。アレに声をかけられないようにするにはどうしたらいいのか?反対方向からくればいいのか!?さて、30分ほど休憩したら足の疲れもずいぶん取れた。四条から三条に向け河原町通をCDショップや時計屋などをぶらり眺めながら人ごみの中を歩く。これがなんともいい。昔と比べて変わった店、変わらない店、いろいろな店があるが、何か自分が街の中にいるなぁという安心感がある。
十字屋の三条店でCDを少し買って店を出ると、腹も減りだした。今夜の夕飯を何にするかは決まっていた。
先斗町でおばんざいの店にはいるのもいいし、ちょっと洒落た店でリッチにいくのもいいかもしれない。
しかし、夜行バス日帰りの今回、そういう店は似合わないし、そういう気分でもない。
私は、学生時代何度かお世話になったお好み焼き屋に向かった。河原町三条からあの頃よく使った59番のバスに乗って千本今出川で降りる。
五辻通の裏路地にはいった場所にあるその店は、若い主人が一人でやっている店で、そういう店なのでやっているかどうか、少し不安もあった。暗い通りをはやる気持ちを抑えながら進んで行く。
暗闇に、ぼわっと店の営業中を知らせる看板が光っているのが見えた。
「よかった。やっている。」
次に不安になったのは、店の混雑具合だ。
そう広くない店に、そもそもお好み焼きというのは一人で食べに行くものではない。混雑しているのに4人がけのテーブルが4つほどしかない店で一人で食べていたら店にも他のお客さんにも迷惑がかかる。もしもテーブルが埋まっていたら帰ろうと思っていた。
勇気を出して店の戸を開けると、店には一組の先客がいるのみだった。
「一人だけど、いい?」
主人は快く受け入れてくれた。
ミックスの大と、ビールを頼んだ。
ビールは、学生時代には頼めなかったメニューだ。
先に出たビールをちびちびやりながらお好み焼きができるのを待つ。
あとからきた大学生らしき二人組は、大学院のことや、就職のことなど話している。
「持ち帰りで、ミックスをひとつ」
女性の声が聞こえた。風呂上りのいい香りがしてくる。
はっ、と目が覚めたような気になり振り返ると、銭湯帰りなのだろう、髪の毛をアップした女性の後ろ姿が見えた。
なんだか日常の京都を垣間見ている気がする。
やがてお好み焼きが出てくる。
ここのお好み焼きは大きい。そして、うまい。
イカや、ミンチや豚肉などの具も大きいし、食べ甲斐がある。半分を越えるとさすがに腹の方もきつくなってきたが、それでも食べきった。
残りのビールを一気に飲み干し、口を拭く。
「ご馳走さま」
「1,200円です」
「はい。3年ぶりに来てみました。相変わらずおいしくて・・・」
「いやぁ、覚えてます。どこかでお目にかかったことがあると思って。わざわざきてくれはったんですか」
「学生時代はよくきたんですけどね」
「今はどこに?」
主人と短い会話をして店を出る。
「おおきに!」
3年も前のことだし、年に数回しか訪れなかった私のことを覚えてくれていたのが本当かどうかはわからない。でも、覚えている、と言ってくれただけで、この店に、京都に来てよかったような気がした。
私は千本通を気分よく歩いた。
時計の針は8時をまわっていた。
京都を離れるまであと3時間もない。しかし、この時間ではもう店もほとんど開いていない。もう一杯、と言いたいところだが、空きっ腹と朝からの疲れにビールが効いたようで、かなり気分がいい。
さっきのお好み焼き屋の女性を見たときから思っていたのだが、銭湯に行こうと思った。一日雨に降られたり、風に吹かれ、お酒で汗も出てきたことだし、時間的にもちょうどいい。
夜風に吹かれて酔いを醒ましながら銭湯に向かう。行くのは、以前から行きたいと思っていた「船岡温泉」。この銭湯は本家銭湯とも言うべき建物がすばらしい。
千本鞍馬口の交差点を東に入る。この交差点にあったあさひ銀行の西陣支店は知らぬ間に取り壊され、マンション建設が始まっている。この不景気で、特に西陣のような古い町はその影響をもろに受けているのだが、銀行の支店閉鎖がそれを物語っているように思う。
鞍馬口通りをしばらく歩くと船岡温泉がある。
船岡温泉の建物のつくりはここで書くまでもなくすばらしいのだが、建物だけでなく、中身もすばらしい。薬草風呂、電気風呂、打たせ湯、ジェットバス、サウナなどがあり、極めつけは総ヒノキの露天風呂。
近所の人、学生、外国人留学生など、客層も京都らしく豊富だ。
旅の疲れを癒しつつ、すべてを堪能しているうちにあっという間に時間が過ぎ、帰らなければいけない時間がやってきた。
「どうも」
「おおきに」
という番台のおじさんの声がさっきのお好み焼き屋の「おおきに」と重なって、しばらく耳に残った。
千本鞍馬口のバス停から京都駅行きのバスに乗る。
途中から、卒業式帰りの学生が乗り込んでくる。彼女たちも、今日で京都に来ることはしばらくなくなるのだろう。見覚えのある大学の袋と大きな荷物を提げて、四条大宮で、京都駅で彼女たちは降りていった・・・京都駅に着いたのは、夜行バスが出る6分前だった。大急ぎで烏丸口から八条口に走って、何とか帰りの夜行バスにも間に合った。
このバスは明日の朝6時半には自分の街に着く。
いろいろな思いを胸に、私はバスの揺れに任せて眠りについた。
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