Musik
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2002/07/23
真夏にモーツァルトのレクイエムを聴く
Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)
・Requiem in D minor, K.626
・Laudate Dominum
(from Vesperae solenne de confessore, K.339) *
Edith Wiens(S.), Gabriele Schereckenbach(CA.),
Aldo Baldin(T.), Gerhard Faulstich(B.)
RIAS Chamber Chorus, Berlin Radio SO. Uwe Gronostay(cond.)
Maria Zadori(S.), Jeunesses Musicales Chorus, Budapest PO.
Ivan Fischer(cond.)(*)
1990?, (studio)/STEREO
LASER LIGHT, 15 882(独・輸入盤)
【満足度】●●●●○「なぜ、真夏にモツレクなど?」
という人は、正常だと思う。夏にレクイエムを聴くのならば、普通はフォーレだろう。暑い季節には澄みきった純粋な音楽を奏でるフォーレを聴くのが涼しそうだ(涼しさのためにレクイエムを聴くわけではないが)。正反対にヴェルディのレクイエムを聴くのは「真夏に閉め切った暑い部屋でストーブを焚き、鍋焼きうどんを食べる我慢比べ」の様相を呈してくる。刃には刃を、暑さには暑さ(熱さ?)で迎え撃とうというつわものも世の中には意外と多い。だが、モーツァルトのレクイエムは前者のどちらにもあてはまらないか、強引に言えば後者のほうか、少なくとも真夏向きではない。
では、どうして私がこの季節にモーツァルトのレクイエムを聴きたくなったか、と言えば、嫁さんにすすめられて映画『アマデウス』のビデオを見たからである。宮廷音楽家のサリエリが才能あふれるモーツァルトに嫉妬して、最終的に「レクイエム」を書かせることによってモーツァルトを死に追い込むという内容でなかなかにおもしろいが、話自体はフィクションだろう。それはともかくこの映画はモーツァルトの音楽を多用していて、オペラを中心に数多くの曲が使われている。そして、クライマックスで流れている曲は「レクイエム」。映画なのでどの曲も有名な部分が使われており、クラシック好きはいやおうでも続きを聴きたくなる。私はあまり聴いたことのなかった歌劇『ドン・ジョヴァンニ』と、最近聴いていなかった「レクイエム」が聴きたくなった。映画のストーリー上もこの2曲は重要な位置を占めていたから聴きたくなったのだとは思う(ニクいね、この演出!)。
今回紹介するのはウーヴェ・グロノスタイ(グロノステイ?)指揮、ベルリン放送響の演奏。ドイツ風の重厚な演奏かと思いきや、いい意味でその期待を覆してくれる。グロノスタイは主に合唱指揮者として活躍している人のようで、演奏も合唱の存在の大きさを伝えている。有名指揮者がオケを前に押し出し、あるいはオケと合唱を対等に扱ったハーモニーをみせているのに対し、グロノスタイは合唱を前に押し出している。どれも単に合唱を押し出しているのではなく、合唱指揮者らしく穏やかで、美しく、それでいて骨太の合唱を聴かせ、オーケストラはその伴奏に徹している。その結果、うねりが大きく、激しさが強調されて「真夏向きでない」一般的なモツレクの演奏とは対峙した合唱を中心にした真夏でも聴ける演奏を引き出している。これを聴いたあとに他の演奏を聴くとどうも演出過多のわざとらしい演奏に聴こえてしまうから不思議だ。「怒りの日」だからといって深刻にかき鳴らせばいいというものではないことをこのCDが教えてくれた。
LASER LIGHTの廉価盤だが、モツレクを初めて聴く人からモツレクマニアまで、一聴してほしい演奏だ。カップリングの「ラウダーテ・ドミナム」もソプラノが美しい。
2002/04/19
『オルガンつき』2題
【Concert Report】
サンフォニック定期演奏会 〜 パスカル・ヴェロ指揮、東京フィル
Antonio Vivaldi (1678-1741)
・The Four Seasons, Op.8, No.1-4 〜 『四季』
Camille Saint-Saens (1835-1921)
・Symphony No.3 in C minor, Op.78 for Orchestra with Organ
〜 『オルガン付』
Pascal Verrot(cond.)
Mie Kobayashi 〜 小林 美恵(vn.)『四季』
Bryan Ashley(org.)『オルガン付』
Tokyo PO. 〜 東京フィルハーモニー交響楽団
2001/12/16,14:30-16:30 Tokyo Metroporitan Art Space, Tokyo, Japan 〜 東京芸術劇場
【満足度】★★★★☆以前から、『オルガンつき』は聴きたいと思っていた。休みの日とあう演奏会はないか、探しているとこの演奏会が見つかった。
ここから感想を順調に書こうと思っていたのだったが、その後引越しや新居の片付け、仕事などに追われてずっとそのままになってしまった(苦笑)。とりあえず、今でも残っている印象などを・・・
今回の座席は、前から3列目の左という、ずいぶん前よりな座席。まず、前半は、ヴィヴァルディの『四季』。この曲、有名なのだが個人的にはあまり興味がなくて、「春」の冒頭と、「冬」のラルゴしか知らない曲なのだが、案の定、心地よく聴かせてもらった(爆)。指揮者のヴェロはありきたりな表現でいう「フランス風」なほんわかぽわ〜んとした演奏でヴィヴァルディを表現してくれたわけだが、これがよくない、ということではなく、ヴィヴァルディを表現するのには最適な手法だったのでは、という感想を持った。『四季』で強弱メリハリのある演奏をしてもらってもそれはヴィヴァルディとは違う気がするし、今回の演奏はフランス的と言えど、輪郭はぼやけておらず、純粋な音楽として最高の表現だったと思う(が、この曲のよさはわからなかった)。
前半を終えての休憩中、このままの調子で後半も続くとやばいなぁ、と思っていた。しかし、そこは本物の指揮者、ヴィヴァルディとサン=サーンスを同じ表現手法で片付けるほど単純でなかった。前半から順を追っていくにしたがって演奏は盛り上がって行き、オルガン、そしてピアノまで入る頃には豪壮な大交響曲を大音量で表現してくれた。ヴェロの飄々とした若い容姿からは想像がつかないような演奏で、この指揮者がこれだけの大勢のオーケストラを手に収めて操っているというのがにわかに信じられないほどだった。公演のポスターには「優雅なフランスの味わいを東京フィルで再現するマジシャン、パスカル・ヴェロが・・・」などと書かれているので『四季』同様の優雅でまったり刺激のない『オルガンつき』だったらどうしよう・・・と不安に思っていただけに嬉しい誤算だった。
以前、東京芸術劇場はモーツァルトには広すぎると書いたことがあったが、それはヴィヴァルディにも言えた。その反面、『オルガンつき』はこのホールの広さを生かした演奏だったと思う。対照的な曲と演奏だった。
【Concert Report】
都民芸術フェスティバル 〜 小林研一郎指揮、日本フィル
Jack Offenbach (1819-1880)
・"Orphee aux enfers" Overture 〜 喜歌劇『天国と地獄』序曲
Maurice Ravel(1875-1937)
・Piano Concerto in G major *
Camille Saint-Saens (1835-1921)
・Symphony No.3 in C minor, Op.78 for Orchestra with Organ
〜 『オルガン付』
Pascal Verrot(cond.)
Ikuyo Kamiya 〜 神谷 郁代(p.) *
Naomi Matsui(org.)『オルガン付』
The Japan SO. 〜 日本フィルハーモニー交響楽団
2002/1/26,18:00-20:00 Tokyo Metroporitan Art Space, Tokyo, Japan 〜 東京芸術劇場
【満足度】★★★☆☆奇しくも東フィル&ヴェロの『オルガンつき』を聴いてから一月ほどしかたたないうちにまたしても東京芸術劇場で同じ曲を聴くチャンスに恵まれた。今回は日本フィル&コバケンのコンビ。コバケンこと小林研一郎を聴いたのはハンガリー国立フィルとの『巨人』以来になる。
こちらもすでに記憶が定かでないが(苦笑)、思い出して書いてみる。まず、『天国と地獄』序曲。その特徴ある指揮っぷりは、コバケン健在と実感せずにはいられなかった。序曲ということで演奏自体は不完全燃焼といった印象。続くラヴェルのピアノ協奏曲も、ピアニストがいまいち乗り切れていない様子。前半はいまいちだった。
さて、気を取り直して後半の『オルガンつき』の出番だ。コバケンはよそうに反して穏やかな調子で演奏をリードしていく。そして、オルガンが入る部分となり、次第にクライマックスへ。演奏も次第にヒートアップして行く。しかし、正直物足らない。どうも、コバケンの指揮は流麗なためか(その容姿からすると似合わない言葉だが)、先を予想させる指揮で、期待を裏切らない変わりに、嬉しい誤算、というようなことも少ないように思う。おそらく、先月のヴェロのとき同様に盛り上がっているのだとは思うが、「コバケンであればこれくらい当然」という先入観があるため想像の範囲を越えない。
他の指揮者であれば当然にいい演奏だという観想をしそうだったが、せっかくコバケンだから、ということで次に期待したいと思った演奏会だった。
2001/11/02
アルペジオーネ・ソナタを聴く(3)〜アルペジオーネ編
Franz Schubert(1797-1828)
・Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
〜 『アルペジオーネ・ソナタ』
・Variation for Flute and Piano "Trockne Blumen" in E minor, D.802
〜 『しぼめる花』の主題による序奏と変奏曲 *
Klaus Storck(Arpeggione)
Hans-Martin Linde(Traversfloete) *
Alfons Kontarsky(Hammerfluegel)
1974/01, Berlin(studio)/STEREO
ARCHIV(Polydor), POCA-3058(国内盤)
【満足度】●●●●●前回「アルペジオーネ」がどんな楽器かを紹介したが、文で読んでもよくわからないし、今や幻の楽器となってしまったこの楽器の音色を味わうことはできないのかと思っていた。現在、チェロやヴィオラ、ギターで代用されて演奏されることが多いが、それはやはりチェロの音であり、あるいはヴィオラ、ギターの音であり「アルペジオーネ」の音ではなく、わかってはいてもどこか腑に落ちない一面があった。そんな時、見つけたのがこのCDだった。腑に落ちない反面、このCDを見つけた時は聴く必要があるのか少し迷った。なぜなら、古楽器を復活させて演奏したものはある種好事家向けであり、資料的・研究的価値はあるが演奏としてみた場合疑問符がつくものが多いからだ。それでも、私は好事家的な側面も持っているので(爆)、買ってみることにした。
聴きはじめはピアノではなく、その源流といわれるハンマーフリューゲルなのだが、これが何とも懐かしい響き。小学校の音楽室にあったピアノと言おうか、何とも渋くて味がある。さすがにピアノと比べると固めで強弱などをつけにくそうな音色だが、それがかえって過美にならなくていいと思う。そしてメインのアルペジオーネもハンマーフリューゲルと同様音にメリハリを出すのに苦労しているのが分かるが素朴で馴染みやすい音色だ。音自体はヴィオラとギターの間のような感じだろうか。このふたつの楽器が「渋さ、素朴さ、落ち着き」といった意味で最上の音楽を奏でているのは第2楽章のアダージョだろう。どこか懐かしい田園風景の中に建つ木造校舎をバックに聴いたら素敵かな、と思う。テンポも人に安らぎを与えてくれるほどよさなのだ。
「好事家向けでは?」とあまり期待しないで聴いたにもかかわらずこれは収穫だった。この曲はヴィオラやチェロでは雄弁すぎて華やかに過ぎてしまうことが多いように思う。やはりシューベルト本人がアルペジオーネ向けに作曲した理由がわかったような気がする。ちなみにカップリングはフルートの流れを汲む「フラウト・トラヴェルソ」という楽器とハンマーフリューゲルによる『しぼめる花』の主題による序奏と変奏曲という曲が入っているが、こちらも冒頭から物悲しさが漂い、ふたつの楽器のかけあいが絶妙な聴く価値のある隠れた名曲だと思う。(後半に進むにしたがって少し主題がしつこく登場しすぎのような気もするが・・・)古楽器の演奏なんて、とお思いの方にはぜひ一度聴いていただきたい1枚だ。
2001/10/11
アルペジオーネ・ソナタを聴く(2)〜チェロ(アルト・ノラス)編
Franz Schubert(1797-1828)
・Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
〜 『アルペジオーネ・ソナタ』
Dimitri Shostakovich(1906-1975)
・Sonata for Cello and Piano in D minor, Op.40
Arto Noras(vc.)
Tapani Valsta(p.)
1973/09/17-19, Culture Hall, Helsinki(studio)/STEREO
FINLANDIA, WPCS-10167(国内盤)
【満足度】●●●●○+このアルペジオーネ・ソナタという曲、本来はその名の通り「アルペジオーネ」という楽器のために作られた曲だった。次回に紹介するARCHIV盤の解説書によれば、
この楽器(アルペジオーネ)はギターのように金属のフレット24本をもち、6本の弦の調弦法も4度を中心にしたギターと同じ方法である。ギターと異なる点は、チェロのように脚ではさんで弓を奏く点である。歴史的には、ヴィオール属、特にヴィオラ・ダ・ガンバを思わせるが、製作者に復古趣味があったのではなく、ギターからの新しい思いつきのように考えられる。
この楽器の音色の特徴は、しばしば引用されるライプツィヒの『一般音楽新聞』(1832)の表現によれば、高いほうではオーボエに似て、低いほうではバセット・ホルンに似ている点である。また、音の美しさ、豊かさ、愛らしさが特徴だとも述べられている。
とのことで、どうやらギターとチェロの中間にあるような楽器のようだが次第に廃れ、今ではこの曲があるがためにその名だけは知られているが実物は見たこともないし、どんな音色だかわからないという存在になってしまっている。「アルペジオーネ」による演奏は次回のARCHIV盤で取り上げるので今回は現在この曲を弾く場合もっとも一般的なチェロによる演奏を取り上げたい。
最も有名なのはロストロポーヴィチ(チェロ)とブリテンのピアノによる演奏だと思う。巨匠同士らしい堂々としたロマンティックな演奏でこれも悪くない。ただ、この曲を聴き続けるようになって、どこか晩秋のもの寂しさを求めるようになっていった。ロストロポーヴィチの演奏はたしかに秋ではあるのだが晩秋というのには少し無理があるような気がしたのだ。そこで出会ったのがノラスのチェロとヴァルスタのピアノという何とも渋いこの演奏。この曲はテンポ感のよい部分も魅力の一つになっていると思うのだが、アップテンポで演奏していると、知らないうちに能天気なはしゃいだ演奏になりがちである。その点ノラスのチェロは渋い。ピアノのヴァルスタはもっと渋い。どうしてこの2人はこんなに落ち着いて地に足のついた演奏ができるのだろう?それなのに退屈な演奏でないというのは曲の魅力なのか2人のなせる技なのか。
ちなみにこのCD、ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタもカップリングされている。作曲者ショスタコーヴィチをして絶賛されたという演奏で、たしかにすばらしく、こちらのほうがこのCDのメインといってもいいかもしれない。曲もショスタコのもののなかでは聴きやすいもので、こちらも秋向けだろうか。おすすめの1枚である。
2001/09/27
アルペジオーネ・ソナタを聴く(1)〜ギター編
Franz Schubert(1797-1828)
・Sonata for Arpeggione and Piano in A minor, D.821
〜 『アルペジオーネ・ソナタ』
(For Guitar and String Orchestra, Arraiged by John Williams and Christopher Gunning)
Mauro Giuliani(1781-1829)
・Guiter Concerto No.1 in A major, Op.30
John Williams(guitar)
Australian Chamber O.
1998/12/09-10, Ultimo Centre, Australia (studio)/STEREO
SONY CLASSICAL, SRCR 2397(国内盤)
【満足度】●●●●○+今年の夏はほとんどホームページ更新しないまま秋になってしまった。 夏という季節がクラシックに向いていない季節ということもないのだろうが、聴いても感想を書こうという ところまで行き着かない。自分の不精と言われてしまえば返す言葉もないが、音楽を聴いて部屋なりホール なりを出た次の瞬間には肌をまとわりつく湿り気とそこから立ち込める熱気という現実が待っている。私は 一日中部屋でじっとしていられるほど気持ちに余裕がないのでなんだか知らないうちに外に出ずにはいられ なくなって出かけるのだが、結局ぐったりして家に戻ってくる。その頃には音楽を聴いて感じたことを思い 出すことはほとんどないし、あったとしても感想を書こうなどという気力はほとんどないのである。
その点、秋は恵まれている。夏のように勢いだけで日々が過ぎ去っていく 季節とは違い(実際夏である間はなかなか季節が進まないような気がするものだが)、時間の進み方が緩く なったように体感する。考え事をする時間が多くなり、音楽を聴いたあともそのことについて、自分の 現在なんかを都合よく織り交ぜながら物思いに耽る。それは外出しても変わらない。私のページも冬眠 ならぬ”夏眠”から覚めて、ようやく動きはじめた。
9月の下旬になり、それまでTシャツ1枚で出かけるのが当然だったのが、 長袖でなければ我慢できないほど涼しくなった。その日、お茶の水の中古屋に向かう道すがらすれ違う人 の服装は長袖シャツや薄手のジャケットが主流だった。店に入ると秋らしい音楽が流れている。
「ああ、アルペジオーネ・ソナタ・・・」
いつもとはどこか違う。そうだ、これはギターの音色。もうギターの音が似合う季節になってきたんだな。 伴奏のオケの弦楽器の音色も秋というイメージにぴったりきていた(このときはまだ伴奏がオケであると いうことに何の違和感も抱いていなかった!)。私は思わず店員に
「今かかっているCDを見せてほしいんですが」
と声をかけていた。店員から手渡されたCDジャケットを見て、私は少し微妙な気持ちになっていた。 ギターはジョン・ウィリアムス、伴奏はピアノではなくオーストラリア室内管という小編成オケ。 ジョン・ウィリアムスというと、映画音楽なんかをギターで弾いたり、クラシックを聴きやすく編曲して 聞かせるアルバムの企画をしたりしている人で、正直言って「クラシックの本流」の人に言わせれば 「邪道!」という先入観があった。しかも伴奏がオーケストラ。ついでにいうとオーストリアじゃなくて オーストラリアの。しかし、さっきまで店内で珍しく聴き入って、店員に声までかけるほど気になって いたその魅力に負けた(ちなみに、わたしがCD屋で店員に声をかけるということは100回行って1回あるか ないかのことだ!)。今、その音楽を聴いている。先入観というものの恐ろしさと、心の中で 軽視していた自分を恥じるとともに、このCDを店で流していた店員さんに感謝したい。
(※ただ、このCD、Track1の 8'28"〜 8'32"あたりに異音が入っている気が。ギターの弦の音のようにも 聞こえるのだが、どうも金属が振動しているような音で疑問が残る。)
2001/08/15
シューベルトの室内楽を聴く
Franz Schubert(1797-1828)
・Piano Quintet in A major, D.667 "The Trout" 〜 『ます』
・String Quartet in D minor, D.810 "Death and the Maiden"
〜 『死と乙女』 (*)
Sir Clifford Curzon(p.)
Members of the Vienna Octet
〜 Willi Boskovsky(vn.), Gunther Breitengach(viola),
Nikolaus Hubner(vc.), Johann Krump(db.)
1957/10, Vienna(studio)/STEREO
Vienna Philharmonic String Quartet (*)
〜 Willi Boskovsky(vn.1), Otto Strasser(vn.2),
Rudolf Streng(viola.), Robert Scheiwein(vc.)
1963/05, Vienna(studio)/STEREO
UNIVERSAL(Decca), UCCD-9050(国内盤)
【満足度】●●●●○夏になるとどうしても交響曲とか管弦楽といった重量級の音楽から遠ざかる。 去年まではそうでもなかったのだが、今年のような連日38度というような猛暑となればそういった傾向が 顕著にあらわれてきた。だから、というわけでもないのだが、室内楽をとりあげようと思う。(が、途中まで 書いてこの文章をほったらかしておいたら今度は涼しい日々が始まった。今日なんて最高気温26度!)
シューベルトの室内楽の代表ともいえるピアノ五重奏曲『ます』と、弦楽 四重奏曲第14番『死と乙女』は名曲だと思う。あまのじゃくな私のパターンではあるが、少し前まで 室内楽はほとんど聴かなかったし、シューベルトも交響曲を聴いた限りでは「煮え切らない、弛れた音楽家 」くらいにしか思っていなかった。室内楽が苦手な理由は、おとなしくてBGMに最適そうに見える 室内楽は、実は一番やかましかった!ということが大きい。交響曲は100前後の楽器がかき鳴らされ、 室内楽は数台の楽器が鳴っているということを考えると、前者のほうが音が大きいのは当然のように思われるが、 後者のほうが楽器数が少ない分だけ音の強弱の幅(無音部と大きい音の部分)が大きく、心臓がドキッとさせ られる。一方シューベルトという作曲家も、交響曲の分野では「グレイト」や「未完成」などの名曲がある ものの、9曲も交響曲を書いているわりにはぱっとしない。2番や3番、5番など、なかなかいい曲ではある のだがちょっと通向けすぎる。室内楽や器楽、歌曲のほうが親しみやすく、名曲といえそうだ。私は最初、 交響曲や管弦楽曲、協奏曲といった分野から聴きこんでいったのでシューベルトという作曲家の評価は しばらく低いままでいた。やがてピアノ・ソナタやアルペジオーネ・ソナタを聴き、大いにお気に入りの 作曲家になったのだが、彼の室内楽を聴くようになったのは更にあとのことだ。
そんなわけでシューベルトの室内楽など初心者の私だが、このCDはカーゾンが ピアノを弾いているということで以前聴いたことがあった。ただ、1957年の録音ということもあって、 音がいまいちだった。今回、アンビエント(臨場感)・リマスターされたということで買い替えることに した(カップリングも変わっていたし)。
プレーヤーにかけると「むむ、ヒスノイズはあるけどいい音になったのでは?」 と思ったのだが、旧リマスタリングをかけてみるとそんなに変わらないことが判明。以前非リマスタリング盤 を聴いていた頃は古いCDプレーヤーだったからか、新しいCDプレーヤーはなかなかいい音を出している。 本当のことを言うと、オケものを聴く時は物足りなさを感じている。室内楽の時に一番いい音出すような。 だから最近室内楽を聴くようになってきたのだろうか?ヒスノイズも室内楽のような細部の表現の小さな音を 拾うためにはやむを得ないものだろうし、1957年というステレオ録音開始直後にしたら優秀なレベルだろう。 演奏のほうは他と比較しないので文章にはしにくいが カーゾンのピアノとボスコフスキーのヴァイオリンを中心に澄んだ音色で奏でている。渋目が好みの方には 少し明るい音色かもしれないが、私にとってはその明るさも度を過ぎておらず気に入っている演奏だ。カップ リングの『死と乙女』も第2楽章の表現が秀逸だ。
この盤は私のような室内楽初心者向けとしても十分に薦められる盤のように思う。 室内楽通に言わせると味わいが足りないとか明るいとかいろいろな苦情があるのかもしれないが、そこは聴き方の 切り口の違い、カーゾンのピアノを満喫できるこの録音が気に入った。
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