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2003/10/14
沖縄紀行
今年は遅い夏休みとなったが、沖縄に行ってきた。実に19年ぶりの沖縄、である。職場の同期が今春から沖縄に転勤になり、この機会を!とばかりに行ってきた(宿泊費浮かしたいため?)。前回はまだ子供だったが、日本のなかに『沖縄』『琉球』という別の国があるのだなあ!日本人とは別の『沖縄人』というのがいる!と幼いながらにカルチャーショックを受けたことを覚えている。
9月に沖縄と言えば台風が心配だが、運よく飛行機が飛ぶ日は台風は沖縄と成田の真ん中、足摺岬沖にあり、この台風を避けるために30分ほど遅れて那覇空港に着いただけで、無事に沖縄の土を踏むことができた。この夏できたばかりの沖縄・戦後初の鉄道のモノレール『ゆいレール』に乗り込む。すでに3時近く、今日は沖縄南部の平和の礎(いしじ)だけを訪れようと思っている。この平和の礎、第二次大戦末期、ここ沖縄で戦死したほとんどすべての人の名が石碑に刻まれている場所である。多くの民間人を含む沖縄の人たちが亡くなった大半だが、本土から沖縄戦に参加しなければならなかった人々や、敵国米英の人々、台湾、韓国、北朝鮮の人々もふくまれている。そして、ここには、私の祖父の名も刻まれている。那覇空港から一つ目の駅、赤嶺からバスを2本乗り継ぎ、ようやく、平和の礎に到着した。太平洋を一望する摩文仁の丘に、それはあった。24万人、聞きしに勝る、膨大な人々の刻銘である。私の祖父の名もあったが、どうにも信じられない気がした。放射状に石碑が並ぶ扇の中心にある平和の広場、そしてその中央に燃えている平和の火、その向こうに広がる太平洋。しばしここにたたずんだ。再び祖父の石碑の前に立つ。信じられないが、祖父はここ沖縄で亡くなった。ただの石碑に、小さく刻まれた名にすぎないが、それ以上の何かがあった。よくわからないが、ここを立ち去ることができない。なんだか、強く引きとめられる、こちらも帰りがたいような気分にさせた。
平和祈念資料館と平和の礎そのせいかわからないが、予定したバスに乗り遅れてしまった。国際通りで同期の友人と飲むことになっている。1時間後のバスでは間に合わない。仕方なく、タクシーに乗ることにした。タクシーの運転手は「よかったねえ、6時のバスは間引きしているから1時間待っても来ないんだよ」と言う。果たして本当かどうかわからないが、7時に那覇に着くにはタクシーで行くしかない。運転手は「精力つけるにはヤギだよ。それも沖縄の薬草たくさん食べてるやつだ。」と言ったり、明日の観光に俺のタクシーを使えと盛んに誘ってきたが、明日は明日の予定があるので丁重に断り、那覇のホテルで降りた。
ホテルに着くと早速友人から呼び出しがかかる。県庁前の「パレット久茂地」というショッピングセンターで落ち合う。第一夜ということで、牧志の公設市場に連れていってくれた。雑多で古く、市場という雰囲気が出ている。エレベーターで2階に上がっていくあたり、ブダペストの中央市場を思い出させる。そこの2階にある食堂の1件でゴーヤちゃんぷるや、ソーミンちゃんぷるをつまみにオリオンビールを飲む。出てきた料理はイマイチさっぱりしすぎ、というか、ちゃんぷる(沖縄で「混ぜた」の意味)にも関わらず、ほとんど肉や野菜が混じっていない。友人も首をかしげて「これは違うな〜」と言っている。店を出て、私が出発前から熱望していた『大東寿司』を食べさせてくれるという大東そばの店へ行く。が、しかし、大東寿司は売り切れということで大東そばだけいただく。太めでコシが強く、かなり食べでがある。だしはさっぱりとしていて、おいしい。友人は「ちゃんぷるがイマイチだった!」私は「大東寿司が食えないなんて!」と言いながらも、今夜は日曜日、友人は明日も出勤なので「明日はもっと本格的な店にいこう」ということで、別れた(格安ツアー航空券なので、1泊はホテルがついている。明日は彼の家に泊まることになる)。
賑やかな那覇の市場翌日は中北部に定期観光バスを使って行くことにした。路線バスを使おうと思っていたが、どうやら路線バスの運賃が高すぎるため、定期観光の方が安いという逆転現象になっている。ホテルから近い場所に乗り場のある沖縄バスを利用することにする。お客は10人ほどで、ガイドさんはなぜか2人。いつもそうなのだろうか?まずは国際どおりを抜けて首里城へ。その間、新人ガイドさんゆかちゃん(沖縄の女性は濃い顔のイメージだが、彼女は色白でほっそりとした感じ。)はさっそく間違いを連発。右手と左手が逆になっちゃったり、カンペの漢字読み間違えちゃったり、初々しさ連発でまあ、これはこれでいいか〜と、間違いを楽しんでしまう。さて、気を取りなおして首里城を歩く。2,000円札でおなじみの守礼門(でも2,000円札がおなじみじゃないか?)は噂どおりちっちゃい!ここでお約束の記念写真。カメラマンさんがゆかちゃんに「バスのなかで注文方法お客さんに説明してくださいね」と言っている。ゆかちゃんはポイントポイントで説明してくれるけど、どうにも心もとない。次は万座毛へと、長い道のり。宜野湾、北谷(ちゃたん)、嘉手納と、米軍基地のなかを進む。ゆかちゃんのガイドは相変わらず車窓とバラバラで、もう何が何だかわからないよ〜(涙)。でも、一生懸命だから、一同暖かく見守る。
守礼門と万座毛〜ゾウさんに見える?風の強い万座毛を見学し、パイナップル園でパイナップルをほうばったりして、今回のメイン、海洋博公園に。ここの『沖縄美(ちゅ)ら海水族館』は必見。スケールが大きく、沖縄らしい美しい魚や大きなサメやマンタなど、おそらくいま、沖縄で一番オススメの場所だろう(人工物のなかで)。見学後、公園内をうろついていたが、とにかく暑い!半分熱中症になりかけたらしく、体がほてって熱い。沖縄に来てから思うが、気温はそれほどでもなくても(30℃)、陽射しが強く、肌に突き刺すようだ。9月の末でもこの調子なのだから、8月に来たらたいへんだろう。クラクラしつつも、なんとか集合時間になったので、バスに戻る。
ここからは後半になり、ガイドさんもゆかちゃんから玉城さんにかわる(下の名前覚えてないあたりどっちがお気に入りだったかわかるような・・・オヤジになったな。俺も(涙))。玉城さんは少し先輩らしくそれなりにうまい、が、まだ若いのでたまにとちったりする。オリオンビール本社のある名護を過ぎ、途中、東南植物楽園で園内見学、ドラゴンフルーツを食べてみた。名前よりもさっぱりしていて、アケビの味を薄くしたような感じだ。その後ゴザを通過。ここは今でも米兵の街といった様子だが、駐留者も減ってきているためか、ずいぶん閉じてしまった店も多いようだ。最後のショッピングスポット、プラザハウスを出た頃には陽も傾き、夕暮れとなってきた。国道58号の渋滞にあいながら、ゆかちゃんと玉城さん2人が『涙(なだ)そうそう』や『花』など、歌を歌ってくれる。ちょっと恥じらいをもって歌っている感じがかわいい感じだが、なんだか心に残った。ゆかちゃん、玉城さん、運転手さんありがとう。次来るときは完璧なガイドをしてくれることでしょう(いつの話だ?)。ところで、守礼門で撮った記念写真は注文とかなかったけど、どうなっちゃったんでしょう?忘れちゃったんじゃないんでしょうか!?
美ら海水族館のマンタと東南植物楽園で食べたドラゴンフルーツ今夜も友人と落ち合って、別の飲み屋にいく。沖縄では、2時間までつまみが何をとっても半額という店が多いとのことで、仕事のことやら何やらごちゃごちゃ話して、ずいぶん飲み食いしたのだが、一人3,000円でおつりが来た。今日のゴーヤちゃんぷるは各段にうまいし、財布も助かる。明日は彼も休みということで、どっか離島に行こうということになった。神の島と呼ばれる『久高島』に行きたかったが、友人はあまりオススメではないということで、座間味島に行くことになった。泳ぐ気などさらさらなかったが、ここまで暑いと泳ぎたくもなってきた。久高島は泳げるというわけではないし、神の島ということでやや閉鎖的、個人で行くよりも、現地の人が案内してくれるというツアーで行くのがよさそうなので、次の機会に譲る。
那覇市の泊港(通称:とまりん)に翌朝行く。座間味への船は満席だと言われたが、運良くキャンセル待ちが出て、無事乗船。島に着き、古座間味ビーチまで歩く。小さな峠道だが、夏の山道をこんなにゆっくり歩くのは何年ぶりだろう。小学生の頃を思い出す。いかにも夏休みという感じだ。さて、ビーチに着いた。実は、海で泳ぐのは初めてである。なんと言っても山国出身だから 。少し緊張して入ってみるが、実に気持ちいい。水中メガネで海中をのぞくと、白い砂、珊瑚礁、その間を熱帯魚が泳いでいる。うひゃ〜、これぞ沖縄に来たって感じだね〜。シーズンもはずれかかっているので程よいすき具合。疲れたら砂風呂(風)にしてみたり、沖縄の海を満喫した。帰りの船では波がちょっと強く、甲板にずっといた我々は潮水で全身びしょびしょになり、那覇に着く。びしょびしょのまま那覇の街を歩く。ここで職場の先輩と合流。壺屋焼物(やちむん)博物館や焼物の店をのぞいたりして、夕暮れになり、また飲みに行った。いつもはそんなに飲まないのだが、雰囲気が飲む、という感じだし、つまみはうまいし、なんと言っても安いので毎晩でも苦にならなかった。先輩はホテルに帰り、我々は友人の家に戻る。全身がヒリヒリしてシャワーを浴びるのも一苦労。今度は日焼け止めを持って行こう。
古座間味ビーチ翌朝は土産を買いに国際通りへ。琉球ガラスのグラスをセットにしたものと、 『沖縄人だけが食べている』 に載っていた謝花きっぱん店の『きっぱん』を買う。そして、最後に再度大東寿司を食べるために大東そばの店へ。初日の夜、私が店員に「いつ来れば大東寿司は食べられるのか?」と聞いているのを見た友人がよほど食べたいのだと思って、再度チャレンジさせてくれた。店員によれば、大東寿司は夕方前ならばあるとのこと。今日は昼なので、きっとあるだろう。琉球ガラスでお冷を飲みながら今度こそ大東寿司を待つ。出てきた大東寿司は、おいしかった。しかし、この店、あまり大東寿司を食べている人がいないことから、ちゃんぷる定食などの方が人気がありそうだ。次来た時は食べてやる!500円もする沖縄特有の味噌汁(要は具だくさんで、どんぶりで出て来るらしい)も食べてやるんだ!!!空港まで送ってくれた友人と別れ、帰国。本当に帰国という感じ。やはり沖縄は日本とはちょっと違う気がした。19年前に感じたほどではないけれど。
大東そばと大東寿司帰ってから、座間味は米軍が沖縄戦で初めて上陸した島で、いわばこの島が沖縄戦の始まりだったということを知った。集団自決など、悲しい歴史もあったのだ。見たことのない祖父のことを考えつつ、甘く、ほろ苦い、南国の柑橘の香りがするきっぱんをかみしめている。それにしても、全身のヒリヒリには参った。数日ほてりとヒリヒリが続き、その後皮がずるずる〜っとむけて、たいへんでした。これも沖縄の醍醐味なのかな。
謝花きっぱん店の『きっぱん』と『冬瓜漬』(2003/09/21〜2003/09/24)
2002/01/09
台風へと向かって
夏も終わりに近づく8月下旬、私は遅目の夏休みを使って旅に出かけた。 とは言っても去年の夏休みは9月中頃だったから、夏のうちに休みを取れた今年はいいほうだろう。
それにも関わらず、今年に限って夏の台風が接近していた。休みを取る 何日も前から南海上でくすぶっていた台風は、自転車並みという超低速でじわじわと日本列島へと 向かっていた。またどうして8月もお盆が明けたての頃に台風か、しかも、今回の行先は高知と宮崎だ。 いかにも台風が上陸しそうなあたりではないか。
大垣行きの夜行から乗り継ぎ、京都に着いたのは午前9時過ぎだった。 この東京発大垣行きの夜行『ムーンライトながら』を利用するのは今回で4回目、1度目と2度目は まだ「大垣夜行」と呼ばれていた時代、3度目は3年ほど前だったか。毎度のことながら熟睡できない 列車で、かつてのような「旅情」もない。あまり好きではないのだが、この列車を使うこともこれ以上 大人になってはなさそうなので久しぶりに利用してみた。が、案の定である。特急用とはいえリクライ ニングの角度も夜行向けとは言い難く、しかも全席埋まるほどの満員ぶり、深夜というのに減灯もして くれない(青春18きっぷで乗っておいてどうこう言う資格はないのかもしれないが・・・)、というわけで、 まったく寝不足のまま京都に降り立ってしまった。午前中はかつて京都に住んでいた頃にやり残してしまった 事務的な手続きをしなければならなかった。2年近くも経つ今になって何を今さら、という気もするが、 京都と切れてしまうのがいやな気がして延び延びになっていた。その手続きも終わり、昼頃には京阪出町柳 の駅前に立っていた。
台風が近づいて空はどんよりとしているが、風は思ったほどではなく、雨も もうしばらくは持ちそうだ。昼ご飯は安くランチを食わせてくれるあの店に行こうと思い、バスで現地に 向かったが臨時休業、月曜日なのでよく通った洋食屋もお好み屋も定休日、ついていない。最後にあり ついた回転寿司もずいぶん味を落としていた。空だけでなく、何だか気分までどんよりとしてくる。 夜は京都に勤める学生時代の友人と飲む予定なのでしばらくは時間があるのだが、行きたい場所も思い つかない。やってきたバスに惰性で乗りこみ、上賀茂神社に行くことに決めた。バスは出町から賀茂川沿いに 加茂街道を進んでいった。右手に賀茂川、川の両側には閑静な住宅地、見上げれば比叡山がある。 思わずバスを降りてかつてよく行った知り合いの家にでも寄りたくなるがそれももうない。このあたりに 住めれば最高なのに、と考え方もどこかどんよりしている。
夜行を降りてから溜まっていた疲れを少しは癒そうと上賀茂神社の境内を 流れる川べりに腰掛けて、一息ついた。無精髭をさわりながら犬の散歩をする人を眺めたり、川面をぼーっと 見つめたりしていたものの間がもたず、立ち上がって歩き出した。上賀茂神社から東に向かって社家町、 大田神社などをあてもなくぶらついているうちに北山に出た。結局そのまま河原町に向かい、河原町三条の ネットカフェで半分死んだようになってパソコンをいじっていた。ここに至って「もう大垣夜行はダメだな」 と実感せざろうえなかった。(でも、今夜も夜行快速に乗らなくては!もはや拷問?)
四条河原町の阪急前で待ち合わせた友人は「台風きてんのに大丈夫か?」と 半分呆れ顔で心配してくれた。飲み屋と喫茶店をはしごしたが、さすがに疲れていて、ただでさえ口数の 少ない自分がさらに無口になり、友人に迷惑をかけてしまったような。それでも「気をつけてな」と見送って くれた友人に感謝。今度は新幹線で来るよ。
京都駅前でバスを降りて、台風の風らしい生暖かい湿った風を体に受けながら 巨大な戦艦のような京都駅の構内に入る。賛否両論の渦巻いた京都駅の新駅ビルだが、世間での評判は意外にも いいらしい。私としては「巨大な屏風」にしか見えず、どこがいいの?と思うのだが。視覚的には駅南と駅北が さらに隔てられた気がするが、実際は自由連絡通路ができ、物理的には両者が近づいた。その自由連絡通路の 改札前の掲示板を見て驚いた。
「明日、当駅発着の夜行列車は全便運休いたします。
<運休する列車>
(中略)
ムーンライト高知 高知行」
えっ?運休?・・・「明日」?じゃあ、今夜は?
駅の窓口で聞いてみる。
「今夜のムーンライト高知は・・・」
「運転しますよ。」 駅員氏のそっけない応答。再度確認するが運転するらしい。明日の夜には台風は過ぎ去っていると思うのだが・・・ ニュースは見ていないが今までの情報を総合すると今頃台風は足摺岬付近にいるはずで、明朝、高知あたりに達する 。そう考えると今夜運休で明日運転というのが正しいような気がするのだが。とにかく運転するというので京都駅の 臨時列車ホームへと向かう。古い12系客車が入線している。ムーンライト高知は「ムーンライト山陽」下関行き、 「ムーンライト松山」松山行きを併結した10両を超える長い編成だった。最後尾もヘッドマークがあるわけでもなく、 まるでこの後ろにも客車がついていたのにどこかに忘れてきてしまったかのように切妻の真ん中にドアがぽつねん とあるだけの無愛想なものだった。発車時刻が近づいてきたものの台風のせいか乗客は少なく、嵐の前の静かな京都駅を 列車は発車した。近くの座席で学生風の男たちが酒をあおりながらしている鉄道談義に気が散りつつも、私は 硬い座席に倒れた姿勢で寝に入った。
※どうやらここまで書きかけて、挫折しちゃったようですね。他にもこういうのあるんだけど・・・(汗)
なるべくこういうのは避けないといけないなあ(苦笑)(2003/10/13補)
2001/06/21
鎌倉走り書き
今週の月曜、以前の休日出勤の振替休みがもらえたので、鎌倉にでも 行ってみようかと、ふらり出かけてみた。以下はその翌日に走り書きしたものだ。
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(前略)
銀行での用事が済むと、東京駅に向かった。
しかし、目の前で快速アクティーがするすると出発。
仕方なく各停の沼津行きに乗車。
品川で思いついたように総武横須賀線快速に乗りかえるも、
東海道線より遅くて、戸塚で後発の国府津行きに追いつかれる不始末。
結局アクティと比べて20分くらい遅くについてしまった。
鎌倉では寺をいくつか見た。
鎌倉五山第二位の円覚寺と、あじさい寺で知られる明月院は異常な混みよう。
こんなに混んだお寺を見るのは銀閣寺の夜間拝観以来だろうか???
平日の午前中でこの混雑ということは・・・
土日に行くなどという野望を実行しなくてよかった、と実感。
円覚寺は「ふぅん」程度だったが、明月院は行列してみるだけの価値あり。
紫陽花の色がスカイブルーなのだがなかなか清清しくて美しい。
今日はいい天気だけど、雨だったらどんな感じなんだろう?
まぁ、雨だったらこの混雑で傘が乱舞して、目を突かれないように気をするのに精一杯で
紫陽花鑑賞どころではなかったは思うけれど。
明月院を出てふらふらと次の目的地へ向かう。
今日は日差しはそんなに強くないが、梅雨の中休みということもあってか、とにかく蒸している。じっとしているぶんには風もあって涼しいのだが、少し歩くと汗が噴き出てくる。
暑さのあまり、ブルーベリーソフトクリームなど食べてひとやすみ。
続いての建長寺は鎌倉五山筆頭なのだそう。
門構えからしてかなり立派。圧巻である。萱葺きの鐘楼なども珍しい。
大きなお寺らしく、塔頭寺院が境内にいくつもある。
それらは公開していないようだが、どこも落ち着きがあって美しい。
古びた門や建物と黄緑色の木々が木漏れ日の光を浴びてえも言われぬ雰囲気を醸し出している。駅から遠い場所のせいか、境内が広いからか、拝観客も少なめ。
塔頭寺院に到ってはほとんど客もおらず、この景色を満喫することができた。
もうひとつ、もうひとつと塔頭寺院を巡っているうちに少し奥まったところにやってきた。
嵯峨野ほどではないが、整備された竹林や、その傍らに咲く紫陽花などがいい味出している。 明月院のように、意図的にたくさん植えた紫陽花もいいのだが、小川のほとりや庭の片隅に、あるべくしてあるといった姿が紫陽花の本来の美しさではないかと思う。
奥の院とも言える半僧坊への道のりは急な階段の連続だったが、そんな景色や苔むした岩、緑の木漏れ日、そして最後の階段付近でのうぐいすの澄んだ鳴き声に励まされ、蒸し暑いながらも無事到着することができた。
建国寺をあとにして、蒸し暑いなか切り通しのような道を通る。
風だけは心地よいが、風が止んだときとの快不快の差が著しく、体感する蒸し暑さは最高潮に達する。思ったよりもすぐに鶴岡八幡宮に着いたので、何とか命拾いした(大げさ)。日ごろの運動不足が祟ってか、疲れはピークに。鶴岡八幡お参りもそこそこに、境内をうろつくもいまさら紫陽花園を見る気にもならず、蓮のたくさん浮いた池の前で休憩して、門前町を歩いて駅に向かうことにした。
北鎌倉の山の中から入ったため、鎌倉という街は、山の中という意識だったが、海産物を扱う店も多く、心なしか風の香りに潮の香が混じっている気がする。
駅から江ノ電に乗り長谷寺あたりを見ようかとも思ったが、江ノ電のあまりの混雑具合に長谷で降り損ね、次の極楽寺まで行く。惰性のように極楽寺を眺め、さすがに自分でも気力が減退しているのがわかり、鎌倉制覇は断念し、せめて海を眺めようと江ノ電で稲村ヶ崎へ。
稲村ヶ崎で出会った交換列車は年代ものらしく、思わずまじまじと眺める。
すれ違った関西弁の女の子二人組が
「なんや、線路が一本しかないやん。」
「京都でも嵐電とかそうやでー。」
と言っているのを耳にする。円覚寺でも大声の関西弁で携帯を使っていた女の子がいたが、鎌倉や湘南って関西人にも人気なのだろうか。
稲村ヶ崎から眺める太平洋は雲で霞んでいた。
波打ち際で孫の砂遊びの相手をしているじいちゃんが印象的だった・・・
再び江ノ電。乗り放題きっぷなのでついついぶらり途中下車をしてしまう。
古いと思っていた電車はよくよく見れば平成の産物、平成元年の銘板が見える。錆びついているのは潮風を受けているからだろう。
窓からグレイの湘南の海が見える。もっと澄んだ色だったような気がしていたが、梅雨時だからだろうか。腰越という小さな駅でも降りて、ちょっとした商店街をぶらついてみたりもした。
いくつもの途中下車をしたが、江ノ島に着いたところで帰ることにした。江ノ島には小学生の頃友達とその弟と来たことがある。友達の親戚の人が連れてきてくれたのだが、あの友達は元気かなと、ふと思ったりする。江ノ島の駅のそばのお寺にも寄ってみたかったが、疲れているので次の機会にしよう。
ここからはモノレールで大船に一気に向かうことにする。
今までの電車の混みようがうそのようにモノレールは空いていた。加速がドキッとする遊園地のような乗り心地と宙を浮いているようなその眺めに疲れた体が刺激されつつ、あっという間に大船に着いた。
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走り書きなので、ずいぶん散文的で事実を追った部分が多いが、初めての鎌倉はこんな調子で進んだ。想像していた以上に、見所は多いようだ。京都と似た部分も多いが、京都にある陰鬱がほとんどないのは湘南が近いからなのか、少し物足りなさを感じた。しかしながら、また行ってみよう、と思わせる街だった。また行く機会があれば、こうして感想を書き綴りたいと思う。
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