Essay
(特別企画)高野悦子『二十歳の原点』・再考
〜高野悦子の日記『二十歳の原点』について。
1.序文2001/06/20 掲載1969(昭和44)年6月24日午前2時36分・・・ 高野悦子が、山陰線、天神踏切西方20メートルの地点で亡くなった。 線路上を歩いていて、上り貨物列車に飛び込んだらしい。
それから30年後の1999(平成10)年の5月、私はその現場に足を運んだ。 山陰線は「嵯峨野線」という観光向きの名称を与えられ、高架化の真っ最中だった。すでに線路は地上から高架上に移り、その場所は更地となっていた。もとより工事用のフェンスに囲まれ、その場所に立ち入ることはできなかった。1994(平成5)年、太秦の下宿に初めて向かった時、まだ山陰線は地上を走り、天神踏切もあった。私は、何の気なしに一つの時代が終わってしまったように感じていた。
私がこの本に出会ったのは、大学に入学した梅雨時のことだったかと思う。1994年のことだが、まだそんなに前のことに感じない一方、あの頃のことを考えると、ずいぶん前のような気もする。
私の入学した大学は、奇しくも高野悦子が27年前に入学したのと同じ大学の同じ学部だった。27年前と比べると、すべてといっていいほど世の中、そして大学を取り囲む状況は違っていたが、現在と比べると、あの大学にもどこか野暮な、垢抜けない泥臭さのようなものが多分に残っていたと思う。雨の降るある日、授業を終え、することもなく存心館地下の生協書籍部をうろついていた。新潮文庫のコーナーの前を通った時、印象的な表紙の文庫が、三冊並んで平積みされていた。「本学卒業の高野悦子さんの『二十歳の原点』 一度読んでみてはいかがでしょうか?」というようなPOPが書かれていたと思う。紫陽花の花の描かれた『二十歳の原点ノート』、向日葵の花の描かれた『二十歳の原点序章』、カーネーションの花の描かれた『二十歳の原点』の3冊。グレーの背景にカーネーションの赤が妙に焼き付いた。私はその1冊を買って、書籍部を出た。
今考えれば、あの大学に入っていなければこの本に出会うことはなかったのではないかと思う。私は文学部生ではあったが、いわゆる純粋な文学を専攻していたわけではなく、本も興味あるものを、それもごくたまに読むだけで、読書の習慣もなかった。そんな私が普通に他の大学に入ってこの本に出会えたとは考えにくいのだ。しかも高野悦子の3冊は、すでに過去の作品、「新潮文庫 夏の100冊」から除外された今、平積みで、POPまで書いて紹介しているのはあの書籍部しかなかっただろう。雨のしとしと降る中、太秦のはずれの下宿で、私はこの本を読んだ。・・・感想は、なかった。おそらく、最後まで読むこともできず、本を持って呆然としていたと思う。まず、時代背景がまったく理解できない。わずか30年ほど前のことなのに、高校ではまったく触れられなかった部分だ。さらに、文中に出てくる単語の意味がわからない。合理性、闘争、封鎖、全共闘、ブルジョア、団交、アジビラ・・・そして、難解な言葉をちりばめた文章。こういった言葉の示す雰囲気としての意味は理解できたが、本文の途中で出てくる赤裸々な部分が登場するに至って、まだ18の私はそちらの刺激が強くなり、ますます文章を理解することができなくなっていった。同じ高校から別の京都の大学に進学した友人と何度か話題にしたが、そのうちこの記憶は脳裏の奥底に沈んでいった。
ふたたび『二十歳の原点』を読み返したのは大学を卒業した年の暮頃だったろうか。希望した進路への道は自分の努力不足と先行きの見通しの甘さで閉ざされ、進路が決まらぬまま卒業した。親に無理言って京都に残らせてもらい、新たな進路を見出すもこれにも挫折、それを自覚したのが卒業した年の秋頃だった。卒業後もこの頃までは強気だった。ある種の空元気と言おうか、意味もなく強気で、心はささくれ立っており、まわりの人間にも迷惑かけていたと思う。しかし、二度目の挫折は過酷だった。それまでが甘ちゃんだった、というか、ここに至っても親から仕送りをもらいのうのうと暮らしていた自分に嫌気がさした。そんな時期の夜、手に取ったのがこの本だったのだ。何か、妙に共感した。彼女が精神的に不安定で、孤独だったのと同様、あの頃の私は1日中薄暗い下宿に閉じこもり、1週間以上コンビニの店員以外と話すこともなく日々鬱々としていた。それでも、私が彼女と違ったところは案外能天気で、一度親しくなった人を信じることができたから、そして信じることができるような人たちに恵まれたということだろう。
いま、私はごく平凡にいわゆるサラリーマン生活を送っている。果たしてこれがbestであるかはわからないが、betterといえるのではないか。『二十歳の原点』はとかく暗く、陰鬱なマイナスイメージの本として捉えられてきたことが多かったと思うが、私にとってはあの辛い時期に生きる支えになってきた。そんな意味では、この本はまさに私に『二十歳の原点』を示してくれた本だったのではないかと思う(当時すでに23歳だったが・・・)。少し生活を楽しむ余裕が出てきたいま、『二十歳の原点』をいろいろな側面から更に読み解いていきたいと思う。具体的にどう読んでいくかはいまだ決めかねているが、これを綴っていくことによって高野悦子の『二十歳の原点』が少しでも後世の人に伝えられたら、と大仰なことを思っている。
高野悦子さんの32周忌4日前、自宅にて
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